旧題 : "石狩川に架かる道路橋"
2008.08.24 公開
2009.06.09 独立
2009.11.14 改題
2010.01.12 改造
2022.07.04 更新
随分むかしのことになるが,石狩川は信濃川に次いで日本で2番目に長い川である,と教わった。
(1894年(明治27年)に364kmと推量されている)
北海道庁技師岡崎文吉が,明治32年から調査に着手し明治42年に提出した『石狩川治水計画調査報文』によると,石狩川の流路延長は92里余とされている。およそ360kmである。(2017.08.26) |
その後多くの蛇行部分がショートカット(直線化)された結果,いまでは利根川よりも短くなっている。
100kmほど短くなったとはいえ,それでも長さ268km。架かる橋の数は60を超えるらしい。
私の収集癖をもってしても,残された?時間からしてすべての橋をここに収録するのは無理のような気がする。
とりあえず石狩河口橋からはじめて,徐々に溯っていくことにする。
そして,2012年9月,ついに最上流の橋と考えられる天石橋まで到達することができた。
とりあえずは「石狩川の橋と堰」のすべてを完結したことになる。
とはいえこれからも,記述の正しさや新たな角度からの橋たちの表情を求めて,ページの更新を継続したい。
(2012.09.10 記)
2011年のまとめの記
2012.01.07 2011年には,特筆すべきことがらがいくつかあった。
@ 美浦大橋と江竜橋とが竣工,開通(供用開始)したこと。
美浦大橋は 3月26日,江竜橋は 12月1日。
822.6m と 801.0m 。どちらも長大で美しい橋である。
足繁く通って工事の進捗状況を眺め続けてきただけに感慨深いが,開通式の様子は対照的。
美浦大橋の開通は大震災直後の自粛モードの中,いかにも簡素なものであった。
江竜橋の場合は多くの橋の開通式がそうであるように,盛装した三代夫婦の渡り初めなどもあり晴れやかに行われた。
式典は格好の被写体ではあるが,好みからいえば,何気なくさらりと済ませるほうが気持ちがいい。
両岸住民の利便以上のものを求め,経済性(コストパフォーマンス)最優先で論ずるばかりでは仕方がない。
今の時代だからこそ「遊び」(心のバッファ)が求められるだろう。
石狩川と親しむ契機になるようなこれらの橋との接し方を模索することも大切ではないかと思う。
その意味では,美浦渡船が終焉したことはくれぐれも惜しまれる。
工事関係でいえば,ほかに旧花園頭首工左岸の魚道工事も完了した。
A 源流の沢に架かる林道橋に到達することができなかったこと。
2011年の課題だっただけに,計画を練るべく林野庁北海道森林局上川中部森林管理署に問い合わせた(5月はじめ)。
なんと,2010年8月9月の豪雨災害のため決壊して層雲峡本流林道は全面通行止めかつ入林禁止と判明。
ならば7月に行ったときに無理にでも済ませておけばよかったと臍を噛むが仕方がない。
2012年には入林が可能になるのかどうかもいまのところ定かではない。
いずれにせよこの課題は今後に引き継がれることになった。
B 「石狩川の橋と堰」の写真展を開催できたこと。
5/19〜6/20 石狩浜海浜植物保護センターにおける企画展示『はまなすの丘(石狩川河口砂嘴) もうひとつの楽しみ方』に続いて,石狩地区地域防災施設(川の博物館)において『写真展 石狩川,橋と堰』を開催することができた(7/12〜7/31)。
ほとんど連続しての2ヶ月強だったこと,2010年末から準備に追われていたこと,などから,片付くまでとても忙しく,しかし充実した一年だった。
開催に協力していただいた石狩市石狩浜海浜植物保護センター,ならびに川の博物館の管理運営を委託されている(当時)石狩川振興財団にはたいへんお世話になり厚く感謝する次第である。
2011年は,新たな橋あるいは堰をリストアップすることはなかった。追加した写真も前年に比べて半減した。
これからも源流の橋や特別なものを除いて書き加えられる項目はあまりないだろう。
しかし機会を捉えては同じ橋を違う季節に,また異なる角度から眺め続けていきたい気持ちは変わらない。
おそらくまだ多くの誤りを含んでいるであろう記述の内容についても,可能な限り正していくつもりである。
感想,意見,質問,ほかなんでも,気兼ねなく寄せていただきたい。
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2010年のまとめの記
2011.01.10
2010年4月始め,北見側から石北峠を越えてのアプローチがこの年の石狩川の橋と堰を尋ねるツアーの始まりだった。まだまだ雪深い大雪湖のまわりをうろつき,大函までで北見へ引き返した。
2度目は4月の終り,三弦橋,タウシュベツ橋梁などの日帰り廃橋ツアー。ついでに三国峠を越え石狩川に沿って帰るほぼ600km走行の強行軍。ことは易々とは捗らないものだ。大函でデジカメの電池が尽きる。
2度とも大函の呪いか?新大函トンネルの層雲峡側坑口より下流の橋の写真は1枚も撮れず仕舞いだった。
6月,高速道路無料化実験の後押しを受け,正攻法で層雲峡温泉街手前まで迫った。
道央自動車道には岩見沢ICから入る。比布JCTから旭川紋別自動車道(国道450号)を走って上川層雲峡ICで出る。菊水橋を渡り国道39号を右折,石狩川に沿って上流へと向かう。白雲橋から彩雲橋までの姿を捕捉して日帰りする。このとき,ホテル層雲の本館と別館を結ぶ私設の橋が石狩川に架かかっていることを知る。
そして7月,ホテル層雲2連泊プラン。当たり前のように女房同伴。
あまり意味もなくクマよけの鈴をぶらさげて,彩雲橋からヤンベタップ川の白雲橋まで20数項目(一部重複するが)を手に入れることができた。後半小雨まじりの空模様だったのがやや惜しまれる。
結局2010年も源流の沢に架かるいくつかの林道橋まではとうとう届かなかった。
おそらく石狩沢に架かる"天石橋"が最上流の橋。ここまで行き着くことが2011年の課題である。
層雲峡本流林道への入林許可を得ることから始めなければ…
そして,2010年そのほかのことども。
○10月にはお色直し完了後の旭橋の勇姿を撮りにいき,レンタサイクルを走らせたこと。
○今年で廃止となる美浦渡船には3回も乗せていただいたこと。
○工事中の橋たち(札幌大橋,石狩川頭首工,月形大橋,美浦大橋,江竜橋,旧花園頭首工など)に足繁く通ったこと。
などなど。
川が流れ,その両側に人が暮らせば,交流のための橋が望まれるのはいわば必然。橋は人間の造作物であることは確かとしても,川と人の営為とが交錯する自然に溶け込んだ風景でもある。
新たな橋,あるいは老朽化した橋の架けかえは,その地域に暮らす多くの人々の長年の夢の実現であろう。
またその地域には縁のない私のような人間にとっても,橋がある風景,橋が架けられていく過程は興味深い。
しかし同時に,橋が架けられることにより失われることどもにも注意深く目を向けていかなければいけないだろう。
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2009年のまとめの記
2009.11.18
2009年,旭川,そしてより上流の橋めぐりは6月26日に始まる。
締め括りは11月7日。合わせて7回に及んだ。
すべてが日帰り取材。高速はコワいので目的地まで片道3〜4時間費やす。橋を眺めて歩く時間は朝早く出てもせいぜい3〜4時間。
2時間そこそこで切り上げるという,もったいない日もあった。
思い立ったが吉日。早朝の空を見上げて青空だったらそれ行くぞ!てな感じ。
せっかく行っても天気が悪ければガッカリだし,予定は組みにくい。
7回の取材ツアーのうち,4回が女房同伴。
足手纏いになるどころか,写真を撮るのにきわどい場所に車を止めたり,あるいは移動させたり,おおいに助かった。
旭川では2度レンタサイクルを借用して河川敷を走り回った。これも女房の発案。
2度目はたまたまスタルヒン球場で日本ハム-楽天戦があった。橋巡りもそっちのけ。気がつくと外野席の芝生に腰を下ろしていた。暑い日だった。日本ハムのインフルエンザ禍が始まった日でもあった。
当初"道路橋"に限定していたものが,"鉄道橋","水管橋"に広がり,さらには橋を越えて,"頭首工","床止工","発電所取水堰"にまで血が騒いだ。
結果,ページのタイトルとしていた「石狩川に架かる道路橋」は必ずしも中味にそぐわないものとなり,現タイトルに改題させていただいた。
今年新たに捕捉したのは,伊納大橋から白雲橋に至る43項目。内訳は,橋35ヶ,堰8ヶで,そのほか下流でも,大富揚水機場水管橋,ふれあい橋を追加した。去年の29項目をはるかに凌ぐ。
日ごろ見慣れた石狩川の架橋はどれも長大橋ばかりだったからだろうか。強く惹きつけられたのは,愛山橋(偽装吊橋)を含めて4ヶの人道吊橋。とりわけ名前すら定かでない上川町の3ヶの吊橋には感動すら覚えた。幅1mあるかなしか,長さも50mそこそこ,いずれも古色蒼然たるたたずまい。地区住民にとって生活上欠くべからざる存在であり続けたであろうこれらの橋は,立派な文化遺産であるともいえる。
もうひとつ,塗装工事中の旭橋に遭遇したこともいい思い出となった。工事前の姿を撮り損ねたのが心残りでもあるが,来年にはお色直し完了後の勇姿に出会えることを楽しみにしている。
残りはいよいよ層雲峡を経て最上流部。
資料によると,源流近くの林道に架かる橋を含めて30ヶ近く。さらに大雪ダムをはじめ,堰は5,6ヶ所。
自宅から目的地に到達する時間はますますかかることになる。日帰り取材では無理かもしれない。
昨春の右目に続いて,今日,左目の白内障手術を終えた。
しばらくは目を閉じて,来年のことなど想ってみよう。
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2008年のまとめの記
2009.01.31
2008.08.19 中小屋温泉に行ったついでに,通りすがりのたっぷ大橋と美原大橋の写真を撮ってしまってミイラれる。
翌日には石狩大橋,新石狩大橋を撮りに行き,美原大橋も撮りなおし,完全に嵌まってしまった。
この年の撮り納めと決めて,すでに冬景色の神居古潭に出かけたのが 12.01。
4ヶ月ちょっとで我ながら随分頑張ったものだ。
2009年は伊納大橋からいよいよ旭川市街地に入らなければいけないが,数の多さにちょっぴり躊躇している。
旭川市街地をスキップするのも手かなと思ってもいる。
いずれにしても気候がよくなってから動き出すことにする。
始めは道路橋のみにこだわるつもりだった。
しかし並んですぐ近くに鉄道橋梁があるのに,見て見ぬ振りも忍びなくなった。
すると水管橋だって気になる。
やがてまったく橋でもないのに,頭首工もここに欠かせない風景とならざるを得なくなった。
そのうちほかにも出てきそうな気がする。ダムとか。。。
つい先日,いしかり市民図書館で『石狩川の橋物語』(三浦宏・編著,石狩川振興財団・発行) なる本を見つけた。
眼からウロコの橋にまつわるエピソードが満載である。
このコレクションを続ける上では,座右の銘とせずにはいられない。
ここまでの記述の間違いを正したり,あるいは内容を補足したりするために,大いに活用させていただくつもりである。
完成年月は,橋名板に記載があればそれにしたがった。
長さなどについては,日本橋梁建設協会の橋梁年鑑データベースの記載を優先した。
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自動車橋 |
人道橋,鉄道橋,水管橋
+ 廃橋 |
堰 |
特別参加 |
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「堰」としてひとくくりにしているが,黒岳沢川を含む上流の堰は,通常,治山ダム,砂防ダム,床固工などと呼ばれるものである。
土砂災害を防止するための構造物であって,形は似ていても一般的には貯水機能を持たない。 |
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