【石狩】昭和初期にホテルとして建設されオープンしないまま、1945年(昭和20年)7月15日の石狩空襲で爆撃され焼失した「石狩海浜ホテル」の浴槽とみられるコンクリート片が、石狩浜海浜植物保護センター(弁天町)の観察園内で見つかった。六角形や四角形の色鮮やかなタイル張りで、関係者は「石狩空襲の歴史を伝える貴重な遺構」として今後の活用策を模索している。

 同センターなどによると、石狩海浜ホテルは、旧小熊邸(札幌市中央区)などを手掛けた建築家田上義也氏(1899~1991年)の設計。地元有志が32年(昭和7年)に建設を計画し、5年後の37年(昭和12年)に外観が完成したものの資金難で内装の仕上げまで至らなかった。42年(昭和17年)に道庁に売却され、戦時下では青少年を鍛える「健民修練所」として活用されたため、空襲の標的となったとみられる。以後は砂に埋もれ、地元では一度も営業されることのなかった「幻のリゾートホテル」として語り継がれている。

 見つかったコンクリート片は、ホテルの正面玄関に向かって右端に造られた浴場の一部。10月上旬、同センターのボランティア、安田秀司さん(59)が、植物を植えるためにスコップで土を掘り起こしていたところ、長さ約4メートル、深さ約50センチの楕円(だえん)形の浴槽の半分が出てきた。

 3年前にも浴槽の近くで建物の基礎の一部が見つかり、この辺りにホテルが建っていたことは分かっていたが、安田さんは「これほど鮮やかできれいなタイルが出てくるとは」と驚く。同センターを運営する市は「歴史的な財産。今後の活用について協議したい」と話す。ただ、一部民有地のため、すべてを掘り出すのは現段階では難しいという。

 田上氏の建築物に詳しい北大名誉教授の角幸博さん(69)は「ホテルは田上さんの脂の乗った時期の作品のひとつで、一部でも残っていたことは価値がある。地域おこしの資源になる可能性は大きい」と、話している。(成田智加)