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(新)江竜橋 (旧)江竜橋 道道279号・滝川市(江部乙)-雨竜町(伏古)
旧橋 鋼箱桁橋
新橋 PC箱桁橋808.0m
801.0m1965(S40).09 完成
2011(H23).11 完成サムネイルをクリックすると大きな画像が表示されます。
2008.10.03 公開
2010.01.10 独立
2019.08.17 更新
石狩川と雨竜川の合流点のすぐ上流に架けられていて,ふたつの川を跨いでいるので長い。
かつての合流点はいまよりかなり上流にあったようだ。
橋の下を流れる石狩川は,1960年(昭和35年)に通水された新水路(江部乙第2捷水路)で,雨竜川の方が石狩川旧河道を利用したもの。
完成当時は道内で3番目に長い橋だったという。
歩道がなく狭くてコワい(幅員6.0m)。
橋名板もほとんどはがれていて老朽化がはげしく,現在下流側に新橋を建造中(2008.09月)。
新橋は,2002年(平成14年)着工,2011年(平成23年)12月1日供用開始。
長さ:801m。幅員:車道9.5m,歩道3.5m,PC箱桁橋。
道道のPC橋としては最長になるという。また,石狩川に架かる橋としては,河口からでは最初のPC橋となる。
工事中の風景。工期は2012年(平成24年)1月20日まで,とか。
2010.06月。雨竜川右岸から,石狩川左岸から,さらに,ふたつの川に挟まれた六戸島背割堤を走って新橋工事の直下から眺めてみた。
新橋はすでに雨竜川を跨いでいる。
これから石狩川を跨ぐ部分の工事の佳境に入るのだろう。
新橋は緩やかな弧状を描いているので,ほぼフラットな現橋よりかなり高い位置を通過することになる。
石狩川と雨竜川に挟まれて,石狩川右岸堤防と雨竜川左岸堤防とがぶつかるところ(ここから六戸島背割堤が両川の合流点近くまで伸びる)。
ここに石碑が立ち,"青年流汗の碑"とある。
裏の碑文には,1974年(昭和49年)完成の背割堤工事に携わった若き北海道産業開発青年隊の研鑽が讃えられている。
2010.08月。石狩川左岸,河川敷に下りて接近。
2010.10月。つながっていないのは,橋中央の六戸島部分を残すのみ。
2010.11月。左岸側も右岸側も橋梁本体の工事はほとんど終わっている。六戸島の橋脚2本の箱桁工事がたけなわ。
取り付け道路の工事は左岸側で動いているが,右岸側での動きは皆無。
2011.05月。雨竜川右岸から望む限り,中央部の橋桁工事がまだ僅かに残っている。
2011.08月。前回から3ヶ月経過し,橋梁本体の工事はほぼ完了していた。
石狩川と雨竜川に挟まれた六戸島に向かう。ここでも工事現場は跡形もなく片付けられていた。
途中の現場へ通ずる工事用の道路は,石狩川の増水で河道が変わり鋭く抉られて寸断状態。
2011.08月末。オホーツクへの途中またまた立ち寄る。
鮮やかな緑の高欄も完了。歩道とか防水舗装など路面の工事を残すのみ。
年明け完了の予定が多少早まって,12月上旬に渡橋式が行われるらしい。
2011.10月。取付道路工事が急ピッチ。
2011.12.01 14:00 新・江竜橋 供用開始
雨竜側(右岸)から江部乙側(左岸)へと,歩道のない旧・江竜橋を歩いて渡った。
この日をもって現役を引退するという直前のことながら,実は初めてなのである。
何を意味するボタンなのか定かではないが,とにかく押す。いわれるがままに,右側を縮こまって歩き始める。
後ろから来る車は余裕で私を追い抜いていく。
しかし前から来る車は,私も,そしてドライバーもともにビビる。
車は大きく対向車線にはみ出して私をさけねばならない。
対向車があれば通り過ぎるまで待たねばならない。
私も身をすくめて立ち止まっていなければならない。(車にしてみれば随分とお邪魔ムシ的存在?)
歩行者にとっても,ドライバーにとっても,新橋の完成は心臓の負担を軽減することは間違いない。
江部乙側まで渡り切って振り返り,ほっと胸を撫で下ろす。
ともあれ,私(と妻)が,供用中の旧・江竜橋を歩いた最後の人間になったのではないだろうか。
新・江竜橋から,供用終了間際の旧・江竜橋の姿を収める。
旧・江竜橋を歩きながら,新・江竜橋を見上げる。
雨竜川の上
六戸島の上
石狩川の上
"祝・江竜橋竣工"
石狩川と朧な太陽
最も高くなっている新・江竜橋の中央部分に開通を祝う人や車が集まっている。
左岸から右岸へと向かう車列の中には,滝川市や雨竜町のバスも。
先頭にテープと看板。滝川市の市章と雨竜町の町章も厳かに飾られている。
11時,開通のセレモニーが始まる。
テープカット,そして2組の3代夫婦が,神妙に渡り初め。
ほんのちょっぴり歩いて,それぞれ車やバスに分乗,雨竜町での祝賀会場へと向かい,開通式はめでたく?終了したのだった。
一般供用の開始は14時。
たまたま通りがかって準備のために停められていた車が数台。
やがてバリケードが外され何ごともなかったかのように,新・江竜橋は開通した。
記念品のひとつもなくて,肩透かし・・・
この橋と対になっていると思われる道道279号のJR函館本線・跨線橋は,まだ工事中だった。
橋の写真を撮りに行った際何度か現場で出遭って,その後もいろいろ情報をいただいた日本高圧・ドーピー特定建設工事共同企業体の管理技術者氏に,謝意を表するものである。
来年には旧橋の解体工事がはじまるのだろうが,旧橋の橋名板はぜひとも新橋のどこかに埋め込んでしっかりと保存すべきだ。
2012.05月。年度が改まって,旧橋の解体工事は始まっているのだろうと思っていた。
ところが,知らせてくれる人がいて,旧橋はまだ車ででも通行可能だという。
早速,どんな按配なのか出かけてみた。
確かに通行禁止の標識もないし立入禁止のバリケードもない。
旧橋上から新橋を,そしてまた,新橋上から旧橋をしっかりと撮影することができた。
解体工事が動き出す兆候は,いまのところまったく見られない。
旧橋の橋名板の謎
下の写真を見比べてみると,違いがわかる(ヒビワレの場所などはまったく同じなのだが…)。
日付の新しい方が古そうに見える。なぜだろう。
化粧直しに上塗りされていた塗料が落とされただけなのかもしれない。
新橋供用開始の日にはまだ工事中だった道道279号のJR函館本線・江部乙跨線橋は,すでに完成していた。
かつての踏切は3月19日に閉鎖されたらしい。
旧橋の情報をお知らせいただいたみよちさん,ありがとうございます。
2012.07月。依然として旧橋は健在。今回は右岸から徒歩で旧橋を渡り,新橋を戻って往復する。
2013.05月。旧橋の撤去作業が進んでいた。積み重ねられた橋桁。高水敷では橋脚もすでに撤去されている。
石狩川,雨竜川の流れの上(低水路)の部分のみ,まだ橋桁が残っている。
2013.11月。旧橋はまだしぶとく残っている。しかし六戸島に撤去工事用の桟橋も仮設され工事はたけなわか…?
2014.07月。流れの上の橋桁2本,まだ残っている。のんびりした撤去工事だ。
それでも今年中には終わるのだろう。
2016.08月。右岸側=雨竜川低水路上の旧橋1径間は,まるで時計の針が止まったかのようにそこにあり続けていた。
ちなみに左岸側に関しては,撤去工事はすっかり完了したものと思われる。
(追記:2016.08.06)
思えばこの地には,75年間に及ぶ伏古渡船場の歴史があり,引き続き46年間旧橋は人と車を通し続けてきた。
もしかしたらこの1径間を歴史を物語るモニュメントとしてしばしの間残そうというのだろうか?ならば大賛成。
かつてあった伏古渡船場跡の史跡などをここに移し,小公園として整備するというのはいかがか・・・
2011年12月1日,新・江竜橋が供用開始されてかれこれ5年。
にもかかわらず,一部とはいえ健気にもいまだにその姿を残し続ける旧橋。
廃橋をこよなく愛する【花畔・網】としては,勝手ながら旧橋を立派な「廃橋」と認定することにしたい。
よってこれ以降,旧・江竜橋については『廃橋ツアー』のページで扱うことにする。2016.08.05
2017.08月。旧橋がすっかり撤去されていてビックリ。せっかく「廃橋ツアー」にお招きしたというのに・・・
2018.05月。伏古渡船場跡の石碑も移設されていた。
現橋の完成により,1890年(明治23年)丸木舟で始まった渡船の歴史に終止符が打たれた。
雨竜側の橋のたもとに伏古渡船場跡の史跡(説明板)が立つ。
旧橋の取付道路脇に置かれていた渡船場跡の石碑が取り外され,台座だけになっていた。さらに下流には尾白利加駅逓と波止場跡の史跡(説明板)も見られる。
どこかに移設されたのだろうが,発見できなかった。 (2013.11.05)
駅逓といえば,雨竜川支流恵岱別川沿いの道道94号脇に,恵岱別駅逓跡の石碑(裏側)も見られる。
石狩川左岸・江部乙側にもあるという渡船場跡の石碑を探してみたが,見つからなかった。江部乙側の取付道路の決定にはすったもんだがあったらしい。
河川敷の藪の中で息を潜めているのかもしれない。とりあえず今回は諦めることにした。
いろいろ情報をいただいた滝川市江別乙支所の皆さん,ありがとうございました。 (2009.06.26)
決着した道道279号は,江竜橋から2度直角に折れ江部乙市街(12丁目)に至って国道12号に接続している。
その後14丁目を通って国道12号にまっすぐ直結する道路が1976年(昭和51年)に整備され,札幌から旭川に向かうには改善された。
ここにくると,戦後間もなく洟垂れ小僧だったころの記憶が微かによみがえる。
農作業の手を休めた大人たちの呼ぶ声がする。
年上のいとこに手を引かれながら伏古の土手に駆け上がった。
焼き玉エンジンの小気味よい音を響かせて,ゆっくりと進むポンポン蒸気に見惚れた。
まだ堰提もない時代,石狩川の舟運の残像だったのだろうか。
2018.05.06 新橋架替工事に伴って,2013年以来姿を消していた伏古渡船場跡の石碑が場所を変えて復活していた。
石碑は綺麗に化粧直しされ,説明板はやや冗長。去年(2017年)移設されたという。
石狩川の橋と堰 |