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美浦渡船 道内で最後まで運航していた渡船
番外編』から切り離して『石狩川の橋と堰』のサブフォルダへ


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2008.09.23 公開
2014.08.08 独立
2014.08.09 更新


かつて北海道には150近い渡船場があったという。
石狩にも,1978年にその歴史の幕を閉じた石狩川河口の渡船場をはじめ,茨戸川などに数多くの渡船場があった。
しかし自動車文明の席捲の中で,渡船場はことごとく姿を消していった。
そしていま,道内でただひとつの渡し舟が残っていた。
浦臼町晩生内地区と美唄市中村地区の間で,石狩川に運航する美浦渡船(来歴)。
工事中の美浦大橋の写真を撮りに行き,たまたまその存在を知った。

2008.09.21 この日が今年の最後の運航日であるという。絶妙のタイミングで乗せていただいた。

国道275号を当別から浦臼に向かうと,晩生内駅前交差点美浦渡船場入口の案内板がある。それにしたがって右折。道道1159号を直進するとやがて石狩川の堤防にぶつかる。道なりに砂利道を堤防の上まで上ると美浦渡船の看板が目に入る。右手(やや下流)には建設中の美浦大橋。あとは河原の船着場まで一直線。

現在の船頭さんは,5人目の渡し守の国田さん。とっても話好きで気のいいおじさん。雨が降らないせいで水嵩が減っているという。それでも,動ける範囲を上流下流間2往復もしてくれた。

来年も6月から運航するとのこと。

「美浦渡船を守る会」という組織もあって,立派なパンフレットを発行している。
美浦大橋が竣工しても残ってほしい歴史遺産である。


美浦丸
旅客定員4名

陸の上の国田さん

水の上の国田さん

川から見た船着場

対岸中村揚水機場
左に船着場

上流からの美唄側
(左岸)
上流からの浦臼側
(右岸)

美浦大橋
工事中
美唄側の船着場は,美浦大橋工事のため美浦渡船入口の標識のある場所からは行き着けない。
道道139号を北へ1kmほど進み中村第2揚水機場の脇を左折,堤防に上がると河川敷に中村揚水機場の大きな建物が望める。揚水機場上手脇の土手に,水辺に下りる階段が設けられていた。ちょっとコワい。(2008.09.25)

堤防の上から

対岸浦臼側

揚水灌漑発祥地

2009.06.26 浦臼側船着場
2009.08.14 美唄側船着場 微笑ましい看板が立っていた。それとは裏腹に,階段が狭い鉄製の工事現場風から,コンクリートブロックによるいかつい永久構造風に。これならコワくはない。

中村揚水機場

揚水機場敷地の隅

船着場看板

降りる階段

下から
2009.08.14 浦臼側船着場

船着場全景

美浦丸
2010.07.17 朝思いついて渡し守の国田さんに電話する。うまいぐあいに午前中なら乗れるという。
狙いはアーチ部の建造に取り掛かった美浦大橋を真下から見上げること。

まず上流へと進む。2.4kmほど遡って奈井江発電所を遠望できるあたりで折り返す。
右岸の護岸コンクリートが隠れるほどの水位があると奈井江大橋の近くまで行けるという。
左岸の岸辺にキタキツネ
下流へは,船着場から300mほど。
工事中の橋の下を潜って折り返す。

大橋を背に国田さん

浦臼側船着場

美唄側船着場

上の折り返し点

下の折り返し点

大橋の上から船着場
2010.09.04 今年9月いっぱいで運航が打ち切られるかもしれないという。
存亡の危機に直面している美浦渡船だが,次から次にお客さんが現れて大賑わい。
空き時間に運よく乗せていただいた。
幸いにも昨日の雨で増水していて護岸コンクリートが見えない
前回よりさらに0.8kmほど遡っていただいて,奈井江大橋を遠望することができた(直線でおよそ2.8km地点)。
つながった美浦大橋アーチリブも真下から堪能。

深川東高校放送局の高校生たちが,美唄側から,そして浦臼側にもやってきて,熱心に取材活動をしていた。

この日の美浦丸スナップショット(岸辺から)

 

 

 

 

 

 
2010.09.18 この日もぶらっと船着場を訪ねてみた。
お昼前。出ようとする美浦丸にお客さんはひとりだけ。
タイミングよく便乗させていただいた。
穏やかな川。水位も下がって護岸コンクリートがすっかり出ている。

来年以降のことは正式には決まっていないものの,どうやら見通しは悲観的らしい。
なんとか続けられないものか…

9月いっぱいは国田さんの都合がよければ乗せていただけそうである。

というわけで,今回は国田さんの雄姿を載せる。

 

 

 
2010.12.26
12/22北海道新聞朝刊によると,浦臼町と美唄市は美浦渡船の運航を来年度限りで打ち切ることに決めたという。不幸なことだ。

1916年(大正5年),晩生内-茶志内間に開業された美浦渡船はやがて100年の歴史を刻もうとしていた矢先,姿を消すことになる。

開拓の苦難の証,そして,道内ではここにしか残っていない渡し船。
貴重な歴史遺産が,またひとつ失われる。

美唄側

浦臼側
2011.06.04
今年が最後の運航となるという美浦渡船の初日に駆けつける。
NHKの取材を受けながら入念な点検を行う国田さん
挨拶交通安全旗の掲揚だけという簡素なセレモニーで,運航の無事と安全を祈る。

美浦大橋の上から,美浦丸の雄姿を捉える。
それにしても,今年いっぱいでやめる,ということはぜひともやめて欲しいものだ。
この日の第一便
大橋の上から

出航!

橋に向かう

Uターンして戻る

下船
この日の第二便
道新記者も

のんびり。。。
この日の第三便
行ってきま〜す

対岸近くを

国田さん
2011.06.25
今年2度目の乗船。

恥ずかしい???

 "美浦丸"

美浦大橋

 町境の標識が見える

船着場へ向かう

係留する国田さん
2011.07.15
前日からの大雨で増水した渡船場を訪れた。(この日の水位)
美浦丸はいつもの川岸(乗り場)からかなり高い位置まで引き上げられて浮いていた。
乗り場へのアプローチの道路は途中から完全に水没。交通安全旗も水中に立つ。

途中から水没した道路

漂う美浦丸

対岸近くは激流

美浦大橋からの乗り場
2011.09.04
台風12号のアベック前線が雨を呼ぶ。
9/2の夕方にはまださほどではなかった水位だが,9/4には目を剥くほどに増水していた(月形水位観測所)。(こちらも参照)
美浦丸も堤防の法面,高い位置まで避難。
河川敷のより高い位置で草が倒れているのは,ここまで冠水したということか。
美浦大橋から見下ろすと,激流が渦を巻いている。

2011.09.02 夕

2011.09.04 午後

堤防の美浦丸

堤防からの美浦丸
美浦大橋からの乗り場
2011.09.23
なんだかんだいっても,浦臼町と美唄市がいったん決めてしまったことはテコでも動かないようだ。
100年近い歴史を刻んだ美浦渡船も,25日についにその終焉の日を迎える。
残念ながら所用ができてその日に立ち会えない。
やむなく23日,最後の美浦丸を目に焼き付けるべく訪れる。
この朝立てられたという横断幕が眩しい。
前日からかなり増水。水面を疾走する美浦丸の雄姿を目にすることはできなかった。

横断幕

うずうずしている美浦丸

美浦大橋から
2011.09.24
絶好の渡船日和。2日連続ながら,自分にとっては最後の美浦渡船。
閉航日の25日はマスコミも押しかけて,新聞やTVで報道されることだろう。
前日のこの日もお客さんが次々に車で訪れる(対岸から望む)。国田さんは休む間もなし。
午前中だけで,おそらく10回近く出航したのではないのだろうか。
昼前最後の便に乗せていただく。川岸の木々が先日の増水でなぎ倒されている
にわかに雨が降り出し,上へと向かう航路を短縮して引き返す。最後の最後まで船頭・国田さんの冷静な判断というべきだろう。
3年間,思い出をありがとう。国田さん,おつかれさま。

上流へと向かう

下流から引き返す

大橋の真下を走る

大橋と美浦丸

船上(上へ)

船上(下へ)
2011.10.20
9月25日,『家族船』で96年の歴史の幕を下ろした(北海道新聞記事による)という美浦渡船。
その後の美浦丸がどうしているのか気がかりで,閉航からほぼひと月して訪ねてみた。
河原に引き上げられのんびり寝そべっている姿は,まったくいつもと変わらない。
"あと4,5年は頑張れるんだがなぁ・・・"との呟きが聞こえてくるようでもある。

 

 

 

 

 
2014.08.08
美浦渡船に乗せていただいたうちの5回分について,航路のGPS軌跡が残っていたので重ね合わせてみた。
各回で水位などの関係から上流での折り返し点が異なるが,ほとんど航路が一致していることがよく分かる。
さすが渡し守の国田さん,流れの澪筋を熟知していたことの証左であろう。感服!

航路のGPS軌跡


石狩川の橋と堰