鋼製吊橋(人道橋) |
49.4m |
1985(S60). 完成 |
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2009.11.09 公開
2010.01.10 独立
2018.11.02 更新
1959年(昭和34年)に架けられた木造吊橋の先代が老朽化して架けかえられた。
『石狩川の橋物語』には"日東吊橋"の名で載っているが,橋からはその名を確認できなかった。
『上川町史』でも"日東吊橋"。
2009.11.07 |
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2010.04.05 |
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2013.05.15 |
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2014.09.03 |
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2016.09.27 |
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2017.08.06 |
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2018.10.20 |
2018.10.20 |
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左岸の道道849号からの接近を試みたが,やや分かりにくかった。
吊橋へのアプローチの道路沿いに,「マクンベツ10線渡船場跡」の石碑が立っている。
裏に,明治45年設置,大正7年廃止,とある。
廃止になった理由は明記されていないが,もしかしたらこの年に橋がかけられたのかもしれない。
『石狩川の橋物語』に,「明治41年には真勲別地区と留辺志部地区とを結ぶ橋長12間(約22m)の木橋が架けられた。
しかし河川の移動が激しく,同44年(1911)には流されてしまい渡船場が設置されている」との記述がある。
おそらくこの渡船場のことだろう。
だとするとこの地の橋には相当古い歴史が秘められていることになる。 (2010.01.16)
どうやら早とちりだったようだ。上の記述は菊水橋の項に移動する。
明治45年設置,大正7年廃止となるのは,『上川町史』によると"マクンベツ十一線渡船場"に符合する。
廃止の理由は"経営困難のため"ということで,橋が架けられたか否かには関連はなさそうである。 (2010.01.22)
国道39号からは,道北バスのバス停「古川」から至近距離。
2010.04月,右岸,バス停から近づく。曲がりなりにも町道であるからか,橋のたもとまで除雪され道は開いている。
しかし,左岸側は人の歩いた形跡なし。右岸側もワレワレの足跡のみ。
2016.09.27 この年8月,台風による石狩川の増水で七戸の吊橋,菊水12線の吊橋が崩壊したが,この吊橋は幸いにも無事だった。
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