【いしかりガイド】
運上屋棟 弁天歴史公園管理棟

2015.07.21 公開
2016.12.29 更新


運上屋=アイヌと和人との交易の場 をイメージ 画像画像
     松前などの商人の出張所,集荷,旅人の世話など・・・
     石狩の運上屋(石狩十三場所の元小屋)は1876(M9)の大火で焼失

2000(H12) 弁天歴史公園管理棟の名称を”運上屋”として公開
     下見板張り 画像 壁の横板を少しずつ重なり合うように取り付けた板張り
     石置き屋根 画像 長柾葺に石(1700ヶ)を置いた屋根
     煙出し天窓
     囲炉裏 画像


ホール,バザール広場 画像,トイレ,インフォメーションセンター
土・日・祝 ボランティアガイド常駐 画像
        『北海道観光振興功労者表彰』受賞 (平成24年6月)
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□ 展示室(ホール) 画像
        平日もオープン
        石狩,400年の歴史を伝える品々を陳列

        2016(H28) すっきりとリニューアル
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■ 各種パンフレット

■ ジオラマ(立体模型) 画像画像

幕末(安政年間)の本町地区を再現
村垣氏蝦夷巡航図,西蝦夷日誌(松浦武四郎)
砂嘴の伸長の様子 画像
運上屋,出稼ぎ小屋,武器庫(対ロシア),
勤番所(幕府役人),アイヌの小屋,
弁天社,北前船(弁財船),渡し舟

■ サケの缶詰 画像

1877(M10).10.10 開拓使官営 石狩缶詰所
アメリカ製機械を導入(日本初の洋式缶詰工場)
パリ万博に出品・好評。主に輸出用
1887(M20) 民営化 高橋儀兵衛 (GIHYOE) に払い下げ
高橋は尚古社社員でもあった
1912(M45) 廃業

■ 火の用心 のお札 画像

場所請負人村山家に伝わっていたもの
とびの親と子 異変が近づくと引っ越す習性→火の守護神
宮城県松島町町の寺にも同じものがある

■ 秋味 画像

“鮭”を指す言葉 “石狩魚”とも
石狩との関係 古くは縄文時代,歴史に残るのは江戸時代から
塩引き,干し鮭などに加工された

■ 古地図 画像

蝦夷地見取絵図     1791(寛政3)
飛騨屋代木図        1728(享保13)-1759(宝暦9)
        1755から飛騨屋,蝦夷檜の伐木事業を独占 河口に木場
        後,村山家 十五島公園付近に木場
        石狩山(漁岳,札幌岳など)で大規模な伐採
西蝦夷地イシカリ御場所絵図面     1858(安政5)
        河口近くに”妙鮫”,”法亀”の社 1855(安政2)

■ 絵巻物 「蝦夷国魚場風俗図巻」 画像 画像

1枚もの,右から左へ展開
和人とアイヌの交易の様子を表す
作者           小玉貞良    宝暦年間の作品 画像
                 商場知行制から変った場所請負制が定着したころと思われる
オムシャ     和人が場所に出向いての交易における挨拶儀礼 画像
                 対等な交歓儀礼→慰労行事→統治の手段としての撫育行事 (変質)
                 タバコの葉,銚子,樽,俵 など
ウイマム     アイヌが松前に出向いての交易 画像
                 交易品を運ぶところ     干鮭,昆布,オットセイ,熊の皮,鮑 など
タモ網漁     浅瀬で2人1組,石を投げている
地引網漁     岸では鮭を運んでいる人 画像
筋子作り     アイヌの女性を和人が指図,塩引,干鮭を丸木舟に積み込み漕ぎ出す 画像
交易船        弁財船への干鮭の積みこみ
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■ 石狩川鮭漁図 (観光ポスターにも使用)

1882(M15) ころ描かれたものと思われる
鮭地曳網漁 ロクロでの巻き取り
駅逓の標識 開拓使が札幌県に移行するころ
駅逓 宿泊施設,運送用人馬斡旋所
帆船 北前船(弁財船)
アイヌ,遊女,髷をつけたかみしもの人,釣り人・・・

■ 快風丸 画像

1688(元禄1)6月 水戸光圀の命により石狩来訪
石狩河口に到着し40日ほど停泊
調査記録が残されている

■ サケ漁にまつわる資料,ほかの陳列 画像画像

ランタンやはかり,木製のコップ
絵はがき,食器類
2016(H28) さけまつりに合わせて企画展開催 画像


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