【いしかりガイド】
運上屋棟 弁天歴史公園管理棟
2015.07.21 公開
2016.12.29 更新
■ 各種パンフレット
幕末(安政年間)の本町地区を再現
村垣氏蝦夷巡航図,西蝦夷日誌(松浦武四郎)
砂嘴の伸長の様子
運上屋,出稼ぎ小屋,武器庫(対ロシア),
勤番所(幕府役人),アイヌの小屋,
弁天社,北前船(弁財船),渡し舟
1877(M10).10.10 開拓使官営 石狩缶詰所
アメリカ製機械を導入(日本初の洋式缶詰工場)
パリ万博に出品・好評。主に輸出用
1887(M20) 民営化 高橋儀兵衛 (GIHYOE) に払い下げ
高橋は尚古社社員でもあった
1912(M45) 廃業
場所請負人村山家に伝わっていたもの
とびの親と子 異変が近づくと引っ越す習性→火の守護神
宮城県松島町町の寺にも同じものがある
“鮭”を指す言葉 “石狩魚”とも
石狩との関係 古くは縄文時代,歴史に残るのは江戸時代から
塩引き,干し鮭などに加工された
蝦夷地見取絵図 1791(寛政3)
飛騨屋代木図 1728(享保13)-1759(宝暦9)
1755から飛騨屋,蝦夷檜の伐木事業を独占 河口に木場
後,村山家 十五島公園付近に木場
石狩山(漁岳,札幌岳など)で大規模な伐採
西蝦夷地イシカリ御場所絵図面 1858(安政5)
河口近くに”妙鮫”,”法亀”の社 1855(安政2)■ 石狩川鮭漁図 (観光ポスターにも使用)
1882(M15) ころ描かれたものと思われる
鮭地曳網漁 ロクロでの巻き取り
駅逓の標識 開拓使が札幌県に移行するころ
駅逓 宿泊施設,運送用人馬斡旋所
帆船 北前船(弁財船)
アイヌ,遊女,髷をつけたかみしもの人,釣り人・・・
1688(元禄1)6月 水戸光圀の命により石狩来訪
石狩河口に到着し40日ほど停泊
調査記録が残されている
ランタンやはかり,木製のコップ
絵はがき,食器類
2016(H28) さけまつりに合わせて企画展開催
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