【いしかりガイド】
レリーフ 「先人たちの碑」

2015.07.21 公開
2016.12.26 更新


市制施行(H08)記念メモリアル事業 画像画像
市役所ロビーに設置されたものを弁天歴史公園に移設(H12)
石狩の未来を石狩川に託した先人たちを顕彰
石狩川を中央に配置,鮭とハマナスをモチーフにデザイン化

■ アイヌの人たち

マレク/マレプ(鉤銛)によるサケ漁
最初下に配置されていたデザインを変更,上に配置し直した

■ 荒井金助 (1808-1866) 石狩改革の現地責任者

1854(安政1) 箱館奉行設置 (老中阿部正弘の積極的改革路線)
1855(安政2) 蝦夷地を幕府直轄地とする
1857(安政4) 荒井金助 石狩役所に着任
1858(安政5) 保守派・井伊直弼が大老に

荒井金助 石狩調役並として石狩場所改革を実行
    樺太開発のための財政改革
    場所請負制度の廃止 函館奉行所の直捌(直接経営)
        すでに時代に合わなくなっていた
        自由化して,漁場ごとの入札制度にする
        これにより幕府の収入が増大
        阿部屋も一出稼人に
    在住者子弟の教育 学館,道場の建設
    産業の振興 開墾(篠路,望来),石炭・石油の発見
    役人の永住政策,アイヌへの不当な扱いの禁止 etc
    1859(安政6) 石狩役所を右岸ワッカオイに移す
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石狩役所のワッカオイ移転は1859年とされているものが多い(石狩弁天社史ほか)。
上の画像の案内板「石狩役所跡」では安政5年,つまり1858年と記されている。
どっちが正しかろうとたいした問題ではないが。

■ 運上屋

場所請負人の交易所(荷捌所),宿泊施設

■ 鮭地曳網漁

漁獲量低迷し1970(S45)地曳網漁廃止
現在は海での定置網漁

■ 農耕

砂とたたかう砂地造田
昭和初期に始まり,戦後市内全域に広がり穀倉地帯に
その技術はエジプトなどで応用されている

■ 北前船と大型セメントタンカー 過去と現在を対比


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