■ 鮫様 「石狩川の主」チョウザメ
アイヌ伝説と和人の鮭漁への願いが混交して生まれた極めて特異な存在
サケの神様が誕生した経緯についてはさまざまな言い伝えが残っている |
石狩川流域のアイヌの間では,天の川は石狩川が天に写ったものだと信じられていた
天の川の河口に黒い影が横たわるとサケが溯上せず,清めの儀式を行って引き取ってもらった。その黒い影こそ,チョウザメである
神居古潭を境に,石狩川上流の人々(ペナウンクル)は”熊”を部族の守神とする山の族,下流の人々(パナウンクル)は”鯱”や”鮫”を守神とする海の族。[更科源蔵「アイヌ語地名解」] |
「村山家文書」
1818(文政元)年,石狩場所警備の下役に夢のお告げがあった
川の主を名乗る大きな鮫が現われ“自分の堂宮を建ててほしい”
いったんは断るが,ぜひともということで承知すると立ち去った
続いてまた,川の主を名乗る大きな亀が現われ同じことを頼む
2つもはとても建てられないと断ると,鮫と同居でもいいという
上役に相談すると,上役は場所の支配人に仮堂を建てるように申し付け,川尻に茅葺で建てた |
■ 弁天社の鮫様
1694(元禄7) 弁天社創建 松前藩家臣 山下伴右衛門
1706(宝永3) 阿部屋伝兵衛 石狩場所を請負う
1773(安永2) 阿部屋全盛 苗字帯刀,日本長者鑑
イシカリ場所を支えたのは豊富な鮭であったが,
同時に,アイヌの人々の労働力だった
1780(安永9) 天然痘流行 アイヌ647人死亡
1805(文化2) 西蝦夷地 天然痘大流行
1807(文化4) 東蝦夷地(1799)に加え,西蝦夷地も幕府直轄化(1821まで)
1815(文化12) 阿部屋(村山家) 石狩十三場所一括請負
1816(文化13) 弁天社再興 村山家の守り神に
1817(文化14) 天然痘流行 アイヌ833人死亡(2130人中)
1818(文政1) 労働力減少により,サケ漁獲高1/4に激減
場所の苦境→労働力確保のためアイヌ撫育→チョウザメをサケ漁の神様へ
役人の夢枕に川の主を名乗る鮫と亀とが現れる
仮堂を川尻に茅葺で建てる
1823(文政6) 堂宮を新築 お札により祀る
妙鮫大明神,法亀大明神
阿部屋苦境
栖原屋に支えられる
1825(文政8) 妙鮫法亀大明神 御神体奉納,開眼(入魂)
願主 元小屋支配人・山田仁右衛門
1826(文政9) イシカリ鎮守・妙鮫法亀大明神として祭礼を挙行
以降,サメさま(鮭漁の神)
として崇敬される
1855(安政2) 弁天社,稲荷社,亀鮫社を一社に合祀
亀鮫社の古宮を修復手入れして(弁天社として)使用 |
■ 金龍寺の鮫様
1859(安政6) 宝珠山金龍寺 創建 日蓮宗
1889(M22) 妙鮫法亀善神 奉納 古谷長兵衛
由緒来歴があまりはっきりしていない |
■ 文化財への指定
1967(S42).12.22 石狩市指定文化財第1号 (弁天社全体)
2007(H19).03.20 北海道有形民俗文化財に指定 大明神,善神とも |
■ チョウザメの剥製の展示 (ダウリアチョウザメ)
・砂丘の風資料館 1969(S44)捕獲 石狩川河口 1.9m
1982(S57).03.31 石狩市指定文化財第2号
・観光センター 2004(H16)捕獲 石狩川河口
2.3m |