運河は,1931年(昭和6年)生振捷水路により茨戸川が湖沼化された3年後,1934年(昭和9年)に開削,同年完成した。
長さ,約1,500m,幅37m。
運河の正式名称は「石狩川旧川連絡新水路掘削工事」ということらしい。
「志美運河」「生振運河」「茨戸川運河」「石狩運河」などとも呼ばれるが,これらはいずれも通称。
茨戸川の排水,治水を主たる目的とする運河ではあるが,船舶も往来する。
かつて茨戸川水面が貯木場として利用されていた時期(1963年ころから)があった(花畔大橋の下流水域)。
石狩川河口からタグボートで曳航されてきた北洋材などが,この運河を通って運ばれたわけである。
現在"新港南1丁目"とされるあたりは,貯木場と連携する木材工業団地として造成された(1965年)地区である。
現在の運河橋は2代目。放水路水門とともに運河水門が建設されたときに同時に架けなおされた。
初代運河橋(長さ16.32m)は運河開削後の1936年(昭和11年)9月完成。北海道で最初の全溶接橋梁として有名である。
当時の溶接技術水準を考えると,現場での溶接は画期的なものだったらしい。
解体した一部が川の博物館に記念保存されている。
運河水門は1981年(昭和56年)完成。石狩川との合流点から,約150m上流。石狩放水路水門と連動する。
運河水門概要。(ゲートの径間,高さ : 18.50m x 6.52m x 2門)
運河呑口近くに明治の終りころから花畔三線渡船場があったが,1974年(昭和49年)に廃止された。
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2021.04.19 |
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2010.05.07 マクンベツ湿原での夕陽を眺めての帰路。
運河水門近くに立つ回転電光掲示板が「水門ゲート 閉鎖中」と表示している。
運河水門ゲートが閉ざされている姿に初めて接する。
石狩川がかなり増水して水位が上がっていることによるものだろう。
(以前川の博物館で,運河水門は年に数回閉ざされることがあると聞いたが,要するにこういうことなのだろう)
それではもしかしたら,と,放水路水門を見に行ったが,こちらも閉ざされていた。
この時点では,茨戸川の水は外には流されていないということになる。(しばらく溜めておこうということか?)
2010.05.10 水門はなにごともなかったかのように開いていた。
翌日川の博物館でうかがったところ,茨戸川の水位が0.65m以上に上昇すると運河水門は閉ざされるという。
今回は4月29日から5月9日までずっと閉鎖されていたらしい。
茨戸水位局の水位情報を見ると5月9日の17:00以降,ようやく水位が0.65m以下に落ち着いている。
これだけ長期に及んで水門が閉鎖されたのはごく珍しいこととか。
3月中旬以降の寒さのせいで融雪が遅れた分だけ4月の末に一気に進み,石狩川が例年になく増水したということなのだろう。
5月5日,たまたま訪れた石狩川頭首工,美浦大橋あたりの水位上昇もコワイほどだった。
2010.08.12 17:30 水門は閉じていた。この時点での水位0.85m。
台風4号の接近と前線の影響で11日朝から雨続く。茨戸川の水位は12日早朝から0.65mを越していた。
2011.09.03 台風12号に伴う前線が大雨をもたらして石狩川が増水。12:10ころ通りかかると,水門は閉ざされていた。
その後茨戸川の水位はいったん0.65mより下がったが,石狩川の水位が高いままだった。
2011.09.07 朝7:00ころ,相変わらず閉ざされていた。
このとき,水門の内側(茨戸川)の水位は0.7m強。外側(石狩川)では約0.95mだった。
近くのマクンベツ湿原。この日の水位は木道以下だったが,一時は木道も深々と冠水していたものと思われる。
この朝,石狩放水路水門はほぼ10年ぶりに開かれていた。
2011.09.08 朝10:00ころ,まだ水門は閉ざされていた。
水門内側の水位は0.7m強でほとんど変化がないが,外側では0.2mほど下がった。それでも外側の方がやや高い。
2011.09.09 14:20ころ,水門は何事もなかったかのように開かれていた。水位は0.55mていど。
2016.06.24 初めて弁天丸乗船。
2018.07.04 7月に入ってからの雨続きで石狩川がかなり増水。運河水門はすでに閉鎖中(午後1時過ぎ)。
放水路水門の方は,この時点ではもまだ閉じたままだったが,5日,6日には開かれる。
そして7日,放水路水門は閉じて運河水門が開き,平常に戻った。
この間の動きについては,Topicsページでレポートしている。(7/4,7/5,7/7)
2021.04.19 (new) 11時ころ,久しぶりに水門ゲートが閉じられているのを目撃。17日からの雨で石狩川が増水,茨戸川への逆流を阻止するため18日昼ころには閉鎖されていたようだ。⇒放水路水門
茨戸川は生振捷水路で本流から切り離された河跡湖とはいえ,伏籠川,創成川,発寒川などが合流する。
そのため"運河"とされてはいても,主要には茨戸川の水を石狩川に逃す治水事業として開削されている。
流れの方向はいつも茨戸川から石狩川へ,と思っていた。
実は違うようだ。
茨戸川に合流する河川はいずれも固有の水源に乏しく流入水量はきわめて少ない。
しかもその半分近くが下水処理場からの放流水。
(それが長期にわたる水の滞留を招き,富栄養化の主な原因ともなっていた)
茨戸川は石狩川河口(日本海)に近く,それゆえ運河での流れの方向は,潮の干満による海水位の変動に左右される(いわゆる感潮区間)。
干潮時には茨戸川から石狩川へと流れるが,満潮時には石狩川から茨戸川へと逆流する。
ということは,運河での流れが止まるという時間も周期的に存在するというわけだ。 |
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