【いしかりガイド】
井上伝蔵の句碑

2015.07.21 公開
2015.07.27 更新


■ 秩父事件

1881(M14) 大蔵卿松方正義による緊縮財政→デフレスパイラル
                    農産物,生糸価格の大暴落
自由民権運動,困窮にあえぐ民衆による圧政への憤りの爆発

1884(M17).11 秩父地方で農民による武装蜂起
                    政府は軍隊を投入,農民軍(困民党)は10日ほどで壊滅
                    処罰者 4千人

■ 井上伝蔵

困民党会計長・井上伝蔵 欠席裁判で死刑判決 → 逃亡生活

1887(M20) 北海道に渡る 苫小牧で越冬
1888(M21) 石狩八幡神社宮司岡村静雄を訪ねる
1892(M25) 伊藤房次郎名義で樽川村字分部越で開墾に従事
1893(M26) 親船町に住み,小間物・文具商,代書業
                    尚古社会員 俳号“柳蛙”
23年間石狩に住み,その間3回転居 ☆居住地跡標識設置 画像
1911(M44) 札幌に移住 下宿屋「石狩館」
1912(M45) 野付牛(北見)に移住 ハッカ栽培
1918(T07) 死去 65歳
死の間際,井上伝蔵であることを明かす

■ 句碑 『俤(おもかげ)の 眼にちらつくや たま祭』 2002(H14) 建立 画像画像

M35 尚古社故人会員追悼句集 直筆短冊では”魂祭”とある
故人への追悼の想いと,同志や妻への想いのどちらともとれる

刑場の露と消えた同志や秩父に残した妻のことを,片時も忘れることはなかった…という

■ 2004(H16) 映画『草の乱』 緒形直人(井上伝蔵役)    秩父事件120周年記念作品



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