【いしかりガイド】
石 狩 弁 天 社

2015.07.21 公開
2017.01.08 更新


石狩弁天社の社紋

厳島神社と同じく
”三つ盛二重亀甲に剣花菱”

(参照) Topics 2017


300年以上の歴史を持つ道央圏最も古い社(やしろ)のひとつ 画像画像
1967(S42).12.22     石狩市指定文化財第1号

1694(元禄7)     創建 石狩川秋味上乗役 山下伴右衛門 願い出
1816(文化13)   再興 新たに社殿造営 村上家守護神
1848(嘉永1)     修築
1855(安政2)     弁天社,稲荷社,亀鮫社を一社に合祀
1874(M07)      移設 八幡神社の位置から現在地に
1950(S25)      本殿再建

現鳥居は 1985(S60)

奉納物の数々から,広く交易があったことがうかがえる
印 石狩市最古の木造建築物 村山家による再興時からの遺構

現在も漁業者を中心とする崇敬講により護持され,8月末には例大祭がとりおこなわれる 画像


【参道】

礼拝器 (右)画像 (左)画像    2016(H28) やや修復 (右)画像 (左)画像

手水鉢 1845(弘化2)
茨城県などに産する石材・班石(まだら石)とも呼ばれる蛇紋岩
水戸の名工・大内石可作
題字 水戸藩主の書
水府港 = 茨城県那珂湊港
石狩と水戸との関わりが深いことを想わせる

灯篭

彫字 施主 村山・栖原

狛犬 阿(右)画像画像 吽(左)画像画像

海からの風で痛みが激しいので小屋に入っている不思議な狛犬
石材=笏谷石(しゃくだにいし) 福井県に産する火山性凝灰岩,北前船により全国に流通

北千島沖流網之碑 画像

吉田庄助ほかの実績を讃える
戦前の操業期間   1933(S08) 〜 1944(S19)        沿岸漁業からの転進を図って操業が始まる
戦後の操業期間   1952(S27) 〜 1976(S51)        200海里問題等により廃止にいたる


【拝殿】

祭祀・拝礼を行なう

むくり破風の向拝
画像

むくり    上方に凸に湾曲している破風(はふ)
破風       鼻(部材の先端部)を隠すために取り付ける板
向拝       本殿や拝殿で屋根の一部が前方に突き出し,拝礼の場所となっているところ

透かし彫り 画像 の欄間 龍,唐草模様など

【本殿】

神体を安置する

【外陣】

礼拝の場所 内陣の外側の一郭

■ 絵馬額

・ 老武将 画像画像
スギ材,漆塗り
人物不明 作者の渡辺元周は長崎の画家
・ 関羽正装 画像画像
ケヤキ材一枚もの,金粉
三国志,劉備(蜀)に仕えた武将 →曹操(魏),孫権(呉)
桃園の誓い 劉備,張飛,関羽(万能の神・関帝)
信義に厚いことから”商売繁盛の神”ともいわれる
汗血馬 血のような汗を流して走る馬,一日に千里を走る
・ 加藤清正虎退治 画像画像
ケヤキ材一枚もの,金粉
関羽図と同じく井上文昌(谷文晁の弟子)の作,2枚同時に奉納?

■ 書 『福以徳招』 村山君 画像

福とは心の喜びであり善の心である。日々その心を持って歩めば幸福を招く
M31 初代連合艦隊司令官 伊東祐亨 (スケユキ/ユウコウ)

ほかに 尚古社保管の書 『萬古清風』 中島君
古来伝承の精神を重んじ、清々しい新風のように清らかで永遠に持続する

■ 鰐口 画像画像

1814(文化11),直径47cm,厚さ15cm 道内最大級
参拝の時に打ち鳴らす仏具
        鈴が下がっているのはおおむね神社,鰐口が下がっているのはおおむねお寺

■ 写真

・ 北千島沖流網漁風景


【内陣】

神体,鏡などが納められる 奥まったところ 画像


虹梁 虹のようにそりがある梁 透かし彫り

【神体】

七体合祀 画像
厨子(ずし)の中に納められていて非公開

■ 左三体 左から 画像

・ 恵比寿 七福神
高さ15cmほどの堆積岩 望来付近の海岸で採取か?
厨子の屋根逸失 鳳凰の透かし彫り
・ 稲荷大明神 「石狩稲荷大明神」の御札
「正一位 石狩稲荷大明神木扁額」画像 1819(文政2)
・ 大黒天 七福神
大黒天と十三童子像

■ 中央の主神 画像

・ 弁財天 厳島大明神=市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視
七福神 弁天様 漁業の神
弁財天の名で現在まで社が残っているのは道内でも希少
「弁財天扁額」 1811(文化8)

■ 右三体 左から 画像

・ 毘沙門天 七福神
毘沙門天と十三童子像
・ 鮫様 妙鮫法亀大明神 1825(文政8)
亀 : 妙見菩薩の神使
鮫 : チョウザメを神格化
アイヌの伝承と和人の信仰とが結びついた独特の文化
「妙亀法鮫大明神石額」画像画像 1838(天保9)
・ お札 石狩場所守護御札 龍澤山 善宝寺
山形県鶴岡市 曹洞宗善宝寺 (竜神様のお寺) より
海の守護として漁業関係者に信仰されている


石狩には,弁天社のほかに,稲荷社,亀鮫宮,竜神宮などの社があった。
1855(安政2) 弁天社,稲荷社,亀鮫社を一社に合祀。
その後 竜神社も合祀


維新政府による神仏分離のおり,神仏習合の神体を多く祀っていること,また,村山家の私神であるということから,もとの場所(官地)に八幡神社を遷宮,村山家所有地の現在地に移築された。



松浦武四郎による記述

1846(弘化3) 『再航蝦夷日誌』
石カリ (中略)
弁天社 運上屋の裏ニ有。石鳥居,石燈籠を建たり。柵皆石にして甚美々敷もの也。
    (中略)
鎮守妙亀法鮫大明神 此川口ニ有。社殿美々敷建たり。華表,石燈籠有。土俗云伝ふニ,鮫は此川の霊主なりと云伝ふ。其故ニ此川に如何計水増候とも,此運上屋前より此川口近くは少しも水の増ことなし。是則亀と鮫との守護なりと。
1856(安政3) 『廻浦日誌』
“神社,弁天社,稲荷大明神,並びに妙亀法鮫と申此川の霊を逢せ祭り,其傍に竜神の社有.各近年の普請にして見事なり”
1858(安政5) 『西蝦夷日誌』
“川端に弁天社あり。社殿美々敷立たり”


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