300年以上の歴史を持つ道央圏最も古い社(やしろ)のひとつ
1967(S42).12.22 石狩市指定文化財第1号
1694(元禄7) 創建 石狩川秋味上乗役 山下伴右衛門 願い出
1816(文化13) 再興 新たに社殿造営 村上家守護神
1848(嘉永1) 修築
1855(安政2) 弁天社,稲荷社,亀鮫社を一社に合祀
1874(M07) 移設 八幡神社の位置から現在地に
1950(S25) 本殿再建
現鳥居は 1985(S60)
奉納物の数々から,広く交易があったことがうかがえる
※印 石狩市最古の木造建築物 村山家による再興時からの遺構
現在も漁業者を中心とする崇敬講により護持され,8月末には例大祭がとりおこなわれる
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礼拝器 (右) (左) 2016(H28) やや修復 (右) (左)
手水鉢 1845(弘化2) 茨城県などに産する石材・班石(まだら石)とも呼ばれる蛇紋岩
水戸の名工・大内石可作
題字 水戸藩主の書
水府港 = 茨城県那珂湊港
石狩と水戸との関わりが深いことを想わせる |
灯篭
狛犬 阿(右) 吽(左)
海からの風で痛みが激しいので小屋に入っている不思議な狛犬
石材=笏谷石(しゃくだにいし) 福井県に産する火山性凝灰岩,北前船により全国に流通 |
北千島沖流網之碑
吉田庄助ほかの実績を讃える
戦前の操業期間 1933(S08) 〜 1944(S19) 沿岸漁業からの転進を図って操業が始まる
戦後の操業期間 1952(S27) 〜 1976(S51) 200海里問題等により廃止にいたる |
祭祀・拝礼を行なう
※むくり破風の向拝
むくり 上方に凸に湾曲している破風(はふ)
破風 鼻(部材の先端部)を隠すために取り付ける板
向拝 本殿や拝殿で屋根の一部が前方に突き出し,拝礼の場所となっているところ |
※透かし彫り の欄間 龍,唐草模様など
神体を安置する
礼拝の場所 内陣の外側の一郭
■ 絵馬額
・ 老武将
スギ材,漆塗り
人物不明 作者の渡辺元周は長崎の画家 |
・ 関羽正装
ケヤキ材一枚もの,金粉
三国志,劉備(蜀)に仕えた武将 →曹操(魏),孫権(呉)
桃園の誓い 劉備,張飛,関羽(万能の神・関帝)
信義に厚いことから”商売繁盛の神”ともいわれる
汗血馬 血のような汗を流して走る馬,一日に千里を走る |
・ 加藤清正虎退治
ケヤキ材一枚もの,金粉
関羽図と同じく井上文昌(谷文晁の弟子)の作,2枚同時に奉納? |
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■ 書 『福以徳招』 村山君
福とは心の喜びであり善の心である。日々その心を持って歩めば幸福を招く
M31 初代連合艦隊司令官 伊東祐亨 (スケユキ/ユウコウ)
ほかに 尚古社保管の書 『萬古清風』 中島君
古来伝承の精神を重んじ、清々しい新風のように清らかで永遠に持続する |
■ 鰐口
1814(文化11),直径47cm,厚さ15cm 道内最大級
参拝の時に打ち鳴らす仏具
鈴が下がっているのはおおむね神社,鰐口が下がっているのはおおむねお寺 |
■ 写真
神体,鏡などが納められる 奥まったところ
※柱
※虹梁 虹のようにそりがある梁 透かし彫り
七体合祀
厨子(ずし)の中に納められていて非公開
■ 左三体 左から
・ 恵比寿 七福神
高さ15cmほどの堆積岩 望来付近の海岸で採取か?
厨子の屋根逸失 鳳凰の透かし彫り |
・ 稲荷大明神 「石狩稲荷大明神」の御札
「正一位 石狩稲荷大明神木扁額」 1819(文政2) |
・ 大黒天 七福神
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■ 中央の主神
・ 弁財天 厳島大明神=市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視
七福神 弁天様 漁業の神
弁財天の名で現在まで社が残っているのは道内でも希少
「弁財天扁額」 1811(文化8) |
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■ 右三体 左から
・ 毘沙門天 七福神
・ 鮫様 妙鮫法亀大明神 1825(文政8)
亀 : 妙見菩薩の神使
鮫 : チョウザメを神格化
アイヌの伝承と和人の信仰とが結びついた独特の文化
「妙亀法鮫大明神石額」 1838(天保9) |
・ お札 石狩場所守護御札 龍澤山 善宝寺
山形県鶴岡市 曹洞宗善宝寺 (竜神様のお寺) より
海の守護として漁業関係者に信仰されている |
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石狩には,弁天社のほかに,稲荷社,亀鮫宮,竜神宮などの社があった。
1855(安政2) 弁天社,稲荷社,亀鮫社を一社に合祀。
その後 竜神社も合祀
維新政府による神仏分離のおり,神仏習合の神体を多く祀っていること,また,村山家の私神であるということから,もとの場所(官地)に八幡神社を遷宮,村山家所有地の現在地に移築された。
松浦武四郎による記述
1846(弘化3) 『再航蝦夷日誌』
石カリ (中略)
弁天社 運上屋の裏ニ有。石鳥居,石燈籠を建たり。柵皆石にして甚美々敷もの也。
(中略)
鎮守妙亀法鮫大明神 此川口ニ有。社殿美々敷建たり。華表,石燈籠有。土俗云伝ふニ,鮫は此川の霊主なりと云伝ふ。其故ニ此川に如何計水増候とも,此運上屋前より此川口近くは少しも水の増ことなし。是則亀と鮫との守護なりと。
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1856(安政3) 『廻浦日誌』
“神社,弁天社,稲荷大明神,並びに妙亀法鮫と申此川の霊を逢せ祭り,其傍に竜神の社有.各近年の普請にして見事なり” |
1858(安政5) 『西蝦夷日誌』
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