訂正表 2014.11.10

● 第3回 川と海との出会い/河口見学会 配布資料 についての訂正

 ◆ Power Point スライド番号 - 8 石狩灯台の年表

1977(昭和52) 4/4 春の出水で基礎を抉られ倒伏
と記しましたが,倒伏したのは当時石狩灯台よりさらに河口近くの右岸に設置されていた”石狩川口灯台”であり,いわゆる”石狩灯台”が倒伏したわけではありませんでした。
石狩川口灯台は高さ 8m のやぐら型灯台。平成11年12月10日に廃止されたとのことです。
最初は大正5年に航路標識として右岸河口に設置にされました。
大正7年から昭和33年ころまで発行の地形図には航路標識(有灯固定標)として記載されています。
しかしよく見ると,左岸砂嘴の伸長とともに右岸が浸食され後退したのに伴って,航路標識の位置も明らかに移動しているのがわかります。

右岸河口を歩いていると,水制遺構の背後の砂丘上にかなり痛んだコンクリートの基礎が目に留まります。
このコンクリート基礎は一辺が5メートルほどのほぼ正方形。
もしかしたらこれは,川口灯台の遺構ではないかと睨んでいます。
正確なことがわかったらまた報告いたします。

追補 : 痛んだコンクリートの基礎について
石狩港修築事業(石狩川河口導流堤)に先だって河口右岸の砂丘上に建設された”波浪観測所”の跡と思われる。
詳しくは,「石狩川河口右岸の遺構群」-砂丘の上の基礎 改め 波浪観測所跡 を参照してください。
2015.09.20

追補2 : 石狩川口灯台について
石狩川口灯台についてはページを新設しましたので 「石狩川口灯台」 を参照してください。
2017.05.13



 ◆ Power Point スライド番号 -42 タールボール

地質学を専門とする方から,これはタールボールではなく,泥炭ないし,泥炭質の泥の塊,ではないかとのご指摘を受けました。
今年も海辺を歩いていて何度か同様の塊に遭遇しました。
自分でもあらためて割って触れて(舐めてはいません),あるいは臭いを嗅いだりしてみましたが,油性の感触は得られませんでした。
また,波打ち際で砕くと容易に海水に溶け流れるようです。
よって,目下のところこの写真の物体をタールボールとするのは誤りだと考えています。
時化た後の浜辺に打ち上げられていることの多いこの塊,どこから流れてくるのでしょうか。
参照 : タールボール 改め 泥の塊り