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 花畔神社あれこれ 初詣とか,どんど焼きとか,絵馬・破魔矢とか もくじ

2008.01.07 公開
2015.02.15 独立
2019.01.14 更新

石狩への和人の足跡をたどると17世紀初頭までさかのぼる。
松前藩により海産物を中心とするアイヌとの交易の場,いわゆる「場所」が海沿いに設定されていった。
そのひとつが「イシカリ場所」である。

やがて渡来する和人が徐々に増え,故国土着の風習や民間信仰,鎮守の祭りに思いを馳せる。
17世紀後半には心の支えとしてさまざまな堂社が創建され始める。時あたかも神仏混淆の時代。
祀られたのは主として漁業神,そして商いや航海を司どる祭神が多かった。
そして明治維新後の開拓期に入ると農業神も多く祀られるようになった。
稲荷社,弁天社,八幡社,恵比寿社,金毘羅社などなど。

「パナ・ウン・グル・ヤ・ソツケ」と呼ばれたこの地にも,明治4年に岩手県からの39戸などが入植。
開拓使・岩村判官により「花畔村」と命名されて同年開村。

花畔神社由緒によると,明治5年,農漁業,航海の守護神とされる金刀比羅宮の祭神を祀って創設されたのが,現在の花畔神社の前身・花畔村金刀比羅神社。
昭和48年,石狩湾新港開発に伴い,花畔瑞穂神社,相馬妙見太田神社を合祀して現在地に社殿を新築したということになっている。

合祀により祭神は5座になっているが,主祭神がこんぴらさんというのが個人的にはほのぼのとする。
【花畔・網】で最初に作ったページ『「花畔」にこだわる旅』でのトップの項目に起用したのも”花畔神社”だった。
(花畔神社がらみの項目はそのほかにも境内の石碑などを含めて3項目と,秋祭りについても取り上げている)

このページは,昨年まで『番外編』ページの中に掲載していた花畔神社に関する項目(”初詣”とか”どんど焼き”とか)を独立させたものである。

2015.02.15

収集癖』のページから,”花畔神社の干支の絵馬(破魔矢)”の項目をこちらに移動する。

2015.02.16

このページへのアクセスは年末年始に急増する。
なんらかの関連する検索キーワードでヒットして情報を求めにくるお客さんたちだ。
そして圧倒的に多くの場合,残念ながら二度と現れてくれることがない。
ここ【花畔・網】の記事は,”花畔神社”だけではないのだ。
さまざまな(多くの場合”いしかり”に関わる)ページを用意している。
かならずや”花畔神社”に負けず劣らず興味を惹くものもあるはずだと思う。
「一期一会」という言葉もある。
一度だけの出会いで終わってしまうのもいいだろう。
でもせっかく出会ったのだから,その機会をおたがいに大事にしたものだ。

2017.01.16


初詣
2007年 別ファイル『「花畔」にこだわる旅』にリンク
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年 デジカメもスマホも忘れましたので写真はないのです
2017年 初詣の後に行った本町で事件?に遭遇(Topics)
2018年 生協の売り出し後の参拝で特段の事件なし。
2019年 前年同様。
どんど焼き
2008年
2013年
2014年
2015年 クジラ漂着
2016年 二日酔い
2017年 失念
2018年 挫折
2019年 今年でお仕舞
花畔神社の干支の絵馬 【付録】お年玉切手シート
破魔矢

初詣 元日の花畔神社 もくじ

2008.01.01
元日。荒れるとの予想を覆して平穏。去年と同様,蒼空のもとでの初詣。
しかし明け方の東の空は雲が垂れ込めていて,初日の出は臨めなかった。
花畔大橋を眺めて帰る。

 

 

 

 

 
2009.01.01
前日の大晦日は終日時ならぬ雨と強風。引き続き荒れるとの大方の予報に反して,風も止み穏やかな元日。
9時過ぎ恒例の花畔神社。人影はまばら。駐車場には10台ほど。夜半参詣に来た車はぬかるみとの戦いだったに違いない。

花畔埠頭をまわって石狩放水路へ回り道。
右の水門は塗装塗替工事が完了して閉じられ,左の水門が引き上げられている。正月休工中。
さらに花畔3線浜から弁天町(あそびーち石狩)に続く海浜砂丘沿いのハマナスロード(石狩樽川海岸線)。
暮れの29日には通行不能だったが,昨日の雨と風で雪嵩が激減。しっかり轍もついている。いささか不安だったが,走ってみる。不安的中,なんどもハラをこすって失速し,亀の子状態になりかける。いい年寄りが元旦早々こんなところでエンコ(立ち往生)しても,嗤われるだけだし。南無三と歯を食いしばって駆け抜けたから,まわりを楽しむ余裕などなし。

 

 

 
2010.01.01
元旦にもかかわらず,朝5時ころから雪かき。
初詣はまだ暗い6時半。参拝客はゼロ。
西の空にはほとんど満月がかかるも,初日の出は見込みなし。

 

 
2011.01.01
雪の少ない穏やかな元旦。
しめたっ!と思って6時半,樽川埠頭を目指すも意地悪な黒雲に邪魔されて冴えない初日の出
気を取り直しての初詣。

 

 
2012.01.01
去年のリベンジなる。
西埠頭で嬉しい初日の出

 

 
2013.01.01
初日の出はとても無理な曇り空。
雑煮をいただいてからゆっくりと初詣。
そのあとの太美温泉はたいへんな混みよう。

 

2013.01.01
2014.01.01
穏やかだが低空には厚い黒雲がたなびく。初日の出は断念。
歩いて初詣。

 

 
2015.01.01
3時に目が覚めて,本町築堤へ。
高校生ふうの若者たちも集っていたが,みすぼらしい初日の出
帰路,花畔神社。

 

 


どんど焼き 2008年,2013年,2014年,2015年,2016年,2017年,2018年,2019年 花畔神社のどんど焼きは毎年決まって1/14。 もくじ

2008.01.14
元日の初詣はここんとこ年中行事と化している。
その上,こだわり旅のおかげで去年は幾度となく花畔神社へ足を運んだ。
花畔神社のほかにも,訪れた近場の神社の数は十指に余る。

断っておくが,神道に限らず,宗教への信仰心はいたって希薄だ。

にもかかわらず14日,花畔神社のどんど焼きを見学してきた。
お札やお飾りなどを,生ゴミと一緒にゴミ収集日に出すのは気がひけるものがある。
どことなく滑稽な催しでもあるが,これで気が晴れるのであれば民俗的な知恵ともいえる。

神職により点火され,炎が上がり,煙が広がる。
ダイオキシンなどの抑制までも神頼みはできないだろう。
それはひとえに,お飾りなどを持ち込む人々の意識に関わっている。

とても寒かった。

 

 

 

 
2013.01.01〜14
元日は小雪がチラつき,初日の出は断念。10時前に花畔神社へ。
ブルーシート造りの古神札納所は奥のほうにいくらか積まれている程度。
12日になると,すでに溢れるくらい。
そして14日のどんど焼き当日。
行くと,正月飾りなどが燃え盛っていた。

2013.01.01

2013.01.12

2013.01.14

2013.01.14
2014.01.14
去年に続いてのどんど焼き見物。
今年は元日に続いてウォーキングがてらの往復9000歩。
早朝から2時間以上雪かきをした後だったので,さすがにくたびれた。

準備完了

お供え

宮司が点火

燃える

燃える
2015.01.14
この日は6時過ぎに出てはまなすの丘へ。なんとか朝陽も撮れて浜をひとまわり。
5m以上もあるクジラの漂着死骸と出会ったり盛りだくさんの1万歩。
午後から車でどんど焼き見物。

石狩ならではのお供え

大麻(おおぬさ)を振る

点火する

燃える

狛犬の「阿」
2016.01.14
1月14日といえば,花畔神社恒例のどんど焼きである。
昨夜,50年来の友と飲んだ。
節度のある,少量の飲食,のはずだった。
どのように帰ったのか覚えていない。
携帯の歩数計によると5000歩以上は歩いている。
千鳥足にしても,札幌駅から北24条を越えて札幌新道あたりまで歩いたのかもしれない。
今朝は9時起き。そして,久々の積雪。
酔い覚ましにしっかり雪かきしてフロに入る。
湯船が激しく波打つ。津波か?地震だ。スッポンポンで逃げ出すわけにもいかないので鷹揚に構える。
さきほどまで青空だったのに,再び激しく雪が降り始める。
歩いてでも,車ででも,どんど焼きへの思いは遥か彼方に遠のく。しぼむ。
こんなことも見越して,お飾りとか古神札は11日に納めずみであるところが,我ながら賢い。

2016.01.11

2016.01.11

2016.01.11
2017.01.16
1月14日,どんど焼きをすっかり失念していた。
車のエンジンオイル交換とかタイヤの空気圧点検などをしていて気づいた時には時すでに遅し。
とはいっても,去年同様お飾りなどは11日(歩いて行ってこの日も寒かった)に納め済み。

翌15日朝陽撮りの帰りにどんど焼きのまつりの後を見に行った。(こんなの見に行く人っている?)
いったいなにが燻ぶっているのだろうか,いまだに煙がもくもく。
少しの間かたわらにいるだけでも胸が悪くなりそうな空気だった。
皆さん,やたらなものをどんど焼きに持ち込んではいけないよ。
こんぴらさんは大丈夫なのだろうか?

2017.01.01 (6:38)

2017.01.11 (11:39)

2017.01.15 (7:50)
2018.01.14
1月14日,どんど焼きを今年は忘れていませんでした。
花畔神社まで片道約3キロ。
歩きはじめてほぼ半分ほどで,くたびれはてて『やめよぉ』
帰路の背には挫折感が翳を落としいたはずです。
でも今朝のハードな雪かきのことを,こんぴらさんだってソンタクしてくれることでしょう。

挫折を予感してか否か,お飾りなどは去年同様11日に納め済み。
だからセーフ。

帰り道に寄った生協には,”石狩産”と銘打ったニシンが並んでいました。
卵をたくさん抱えたメスばかり。
うーむ。。。いよいよ,群来,近し,か。。。

2018.01.01 (10:35)

2018.01.11 (11:57)
2019.01.14
昨日今日と連日の朝陽撮り。
とりわけ今朝は激寒かつ真っ暗な中を歩き始めて石狩川左岸河口砂嘴先端まで往復。
一万歩歩いてくたびれてもう動きたくないところでしたが,昼から花畔神社へ。

というのも,このどんど焼きシリーズは,破魔矢シリーズに倣って今年でお仕舞にしようと思うからです。
今年で最後なら,どんどの火を見納めておかなければ・・・との思いから重い腰を上げた次第。

去年の暮れから今日に至るまで,このページは爆発的に閲覧されています(例年通りではありますが)。
しかし寂しいことに,ついでに【花畔・網】のほかのページを見てくれる奇特な人は,これまた爆発的に少ない。
20人にひとり,といったところでしょうか。
どうでもいいから,せめて【花畔・網】のトップページくらい寄り道してくださいな。

2019.01.01

2019.01.08

2019.01.14

2019.01.14

2014.01.14


花畔神社の干支の絵馬(破魔矢) 【付録】お年玉切手シート 2008.03.15 〜 2017.01.01 もくじ


なんとなく元日の朝は初詣から,と決めて久しい。
行く先も花畔神社に決めている。
(たまたまオホーツクの山里で年越しをした1997年だけは,上湧別神社だった)
お札と,干支の絵馬のついた破魔矢を求めてくる。

年賀ハガキのお年玉切手シートもここんとこ毎年当たっている。
ところが2008年からの切手シートは,民間会社JPからのお年玉。
抜け目なく別途販売までしたという。
しかも干支は小鼠純一郎。
民営化にはいまでも反対なんだから,ありがたがって集めていたらヘンでしょ?

干支の絵馬のついた破魔矢は売り切れだった
1996(H8)年 1997(H9)年 1998(H10)年 1999(H11)年

干支の絵馬のついた破魔矢は売り切れだった

この年から初詣の後,元日の銀杏並木の写真を撮りに行くのも恒例となり,2007年まで続いた。
2000(H12)年 2001(H13)年 2002(H14)年 2003(H15)年

2004(H16)年 2005(H17)年 2006(H18)年 2007(H19)年

破魔矢
2007(H19)年 2008(H20)年 2009(H21)年 2010(H22)年
2011(H23)年 2012(H24)年 2013(H25)年 2014(H26)年
2015(H27)年 2016(H28)年 2017(H29)年 2018(H30)年
破魔矢シリーズ,画像の数だけでなら去年まででちょうど12個でキリがよかったのだが,今年もついいただいてしまった。
しかし考えてみれば,干支の十二支最後の(イノシシ)に始まりひとまわりしてに終わるということでこれもまたなんとなく縁起がいい(かな?)。
来年の正月はH(平成のエッチね)でもなくなるということなので,破魔矢シリーズも今回をもってお仕舞とすることにしたい。
おつき合いいただいたほんのちょっぴりの皆さま,どうもありがとうございました。
2019(H31)年