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石狩川河口での遭遇
No. 061 〜 070
旧知津狩川河口閉塞,漂着クジラ,イトヨ漁,ヘッド2,ヒト,矢臼場護岸遺構,ワンコ救出作戦,季節はずれの浮き輪,ガラスの浮き球,趣味の悪いモニュメント もくじ 2009.07.31 公開
2010.05.25 独立
2014.07.30 改編
2016.10.07 分離
2022.09.05 更新
- 061 : 2014.11.05 旧知津狩川河口閉塞
- 062 : 2015.01.14 漂着クジラ
- 063 : 2015.03.14 イトヨ漁
- 064 : 2015.04.01 マネキンヘッド・その2
- 065 : 2015.04.09 たまにはヒトも…
- 066 : 2015.08.02 矢臼場護岸遺構
- 067 : 2015.08.14 わんこ救出作戦
- 068 : 2015.10.10 季節はずれの浮き輪
- 069 : 2015.11.11 ガラスの浮き球ゲット
- 070 : 2015.12.20 趣味の悪いモニュメント
旧知津狩川河口閉塞 2014.11.05
この日も石狩川右岸を徘徊した。
現在の知津狩川は,昭和40年代にショートカットされて石狩川右岸に河口を持つ石狩川の支流になっている。
一方,本流から切り離された旧流路(旧知津狩川)は直接石狩湾にそそぐ形の上では独立河川である。
源流を断たれているため流入する水量は僅かで,融雪時,降雨時以外は水勢がか弱い。
そのため波に翻弄されて,河口は右に蛇行したり左に蛇行したり,そして時には海に繋がらず閉じてしまう(2009.04.17)。
しかしこの日の閉じ方は尋常ではない。砂浜に川がまったく見当たらないのだ(a)。
2日前に塞がったらしい。
ようやく見つけた川の先端まで,汀線から7,80mもありそうだ(b)。川の方を振り返ってみる。
重機がやってきて水路を掘りはじめる(c)。
どうやら年に4,5回(多い年はそれ以上)は川が塞がり掘削しなければいけないのだという。
でなければ,流域の水田が冠水してしまうのだ。
掘削が進み川の水が流れ始める(d)。
そしてついに海へと流れ出る(e)。
川からも眺めてみる(f)。
漂着クジラ 2015.01.14〜2015.10.10
久々綺麗な朝日も撮りたいと思い立ち,早朝6時半ころからうろつき始めた浜歩き。
砂嘴先端を回って600mほど波打際を戻った9時ころ,カラスや海鳥たちが騒がしい。
こういう場合,彼らは必ずエサにありついている。
巨大な物体が横たわっている。
カラスたちを追い払って近づく。
メジャーがわりの杖でざっと測ると体長およそ5.5m。背から腹までの幅は1m近い。
こんな物体は,自分のいい加減な知識ではクジラ以外にありえない。
さっそく砂丘の風資料館に知らせる。
鳥たちにいたるところ突かれて痛々しい姿にいたたまれず,そそくさとその場から離れる。
しばらく歩いて”あそびーち”(海水浴場)北端近くで,調査に駆けつけた学芸員のSさんに遭遇。
”オウギハクジラ”という種類らしい。(石狩自然誌研究会)
2015.02.17
1/14に遭遇した漂着クジラのその後。
Sさんから通報を受けた北大水産学部のチームが翌1/15にはすかさず飛んできて,解剖/試料採集が行われたとのこと。
腐敗,動物による食害,あるいは波による再流出,などに備えてとのこと。仕事が早いわけだ。
しかし残渣は砂を被せられた程度,ということで,当然露出する。
(h,i) は背骨,(j) は背骨から20mほど離れたところ。
どちらも周りには鳥の足跡がビッシリ。
食物連鎖の環の中に取り込まれつつあるのだろう。ホッチャレが森の栄養になるのと同じように。
しかし当分の間,見た目にはあまり気持ちのいいものではない。
新たな定点観察ポイントになりそうな兆しが・・・
2015.03.14
2015.03.14
2015.03.28
2015.04.09
2015.04.25
2015.05.14
2015.06.27
2015.07.16
2015.08.13
2015.09.21
2015.10.10
定点観察マニアとしては願ってもない新たなポイントとなるのだろうか?
としても,白骨化するまでには気が遠くなるような時間がかかりそうな気がする。
それまで自分の寿命が,はたまた足腰が,もつのだろうか。やや自信がない。
通り一遍の自分の観察をあざ笑うがごとく,思いもよらない切り口での斬新な観察をされる方が現れるのを期待する。
と思っていたらこの日,さらに巨大なクジラの白骨化した背骨に遭遇して驚愕した。
2015.03.28
背骨は堆砂に埋もれつつある。
しかし裏側には無数の鳥たちの足跡が・・・
2015.04.09
クジラの骨のすぐそばで,ハマニンニクが元気に新芽を突きだしていた。
2015.04.25
トンビ『このホネはオイラのもんだぜ。文句あっか?』
2015.05.14
どうも変わり映えがしない。これからは大きな変化があった時だけ更新することにしよう。
2015.06.27
ホネには変わり映えがしないが,ハマニンニク,ハマニガナ,オニハマダイコンなどまわりの植物がどんどん元気。
2015.07.16
ホネまわりの砂紋。
2015.08.13
クジラの栄養を得て巨大化したかのようなオニハマダイコンの芽を無心に摘むうら若き女性。
ここ,はまなすの丘の砂丘浜崖の下から汀線までは海浜植物採集禁止区域の外と思われる。
とはいえ,波浪による浸食を受け大きく後退した浜崖が,崖下に下りた植生により復活再生する兆しも見られる。
ハマニンニク,ハマニガナ,ハマボウフウほか,在来の植生はここでもしっかり保護していく必要があるだろう。
が,オニハマダイコンだけは気の毒だけど別。
近年侵入してきた外来種で,猛烈な繁殖力をもって在来種を駆逐してしまう恐れもある。
摘んでいた女性に聞くと,この芽がテンプラなどにするととても美味しいのだという。
そういうことならば,オニハマダイコンの勢力を削ぐためにもこれだけは例外的かつ積極的に食ってしまうのがいいのではないだろうか。
2015.09.21
オニハマダイコンのみならず,クジラのまわりの植生はいよいよ元気。
2015.10.10
10月に入るや否や,爆弾低気圧(2日)と大型台風(8,9日)に見舞われた。
砂丘の浸食が気になり,さっそく歩いてみる。
予想に反して浜崖はほとんど無傷だった。
が,汀線は明らかに後退している。
そして,ク,クジラがいない!
波にさらわれたのだろうか?あるいは砂に完全に埋まってしまったのだろうか?
(追記)
そういえば爆弾の前日の2015.10.01,日中の陽気に誘われてのほほんとクジラに会いに行ったのを思い出した。
つまりその日がクジラの見納めだったのだ。別れはいつだってイキナリだ。。。
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(以下追加 2015.02.16)
専門用語では,イルカやクジラなどの座礁・漂着・混獲・河川港湾への迷入などを総称してストランディング(stranding)というそうな。
さらに日本語では,生きた動物が自力で乗り上げる場合を「座礁」,死体が漂流して打ち揚がる場合を「漂着」と区別することもある。
とすれば今回の遭遇クジラは「漂着」で間違いではなかったということか・・・
《そのほかの関連ページ》
▼ ストランディングネットワーク北海道
▽ SNH15002 [漂着] 石狩市(日本海) オウギハクジラ ← by Sさん
▼ いしかり博物誌/第32回 座礁したクジラたち
▼ 石狩浜に打ち上げられた「オオギハクジラ」を本学で解剖
▼ ストランディング
イトヨ漁 2015.03.14 2016.04.16 更新 2015.03.14
3月,河口水辺の雪が消えると仕掛けられるのが,イトヨ漁の定置網。
4月の中ごろまで毎年見られる春の風物詩のひとつでもある。
この日の川面は鏡のような静けさで,対岸遥かの衛生センターの煙突がこちら岸間近まで伸びてきていた。
初めてイトヨ漁に接したのは,河口を歩き始めたばかりの2009年4月19日。
おりしも漁船が出て作業中だった。さらにその150mほど下流にももうひと網設置されていた。
昨2014年は積雪が残り3/17にはまだ見られなかった。
3/26と4/9には見かけたが,4/26にはすでに漁が終わっていた。
(3/26と4/9とでは同じ場所ではなく,4/9の方が350mほど上流だった)
イトヨはトゲウオ科の魚。トゲウオ科にはほかにトヨミとかエゾトヨミなど数種あるようだ。
北海道ではトンギョと呼ばれ,かつて札幌近辺ではどんな小川にでもいたような気がする。
食べた記憶はまったくないが,漁をするほどだから食用として流通していることは間違いない。
トンギョといえば,札幌市手稲区の旧中の川に「とんぎょ橋」という名の人道橋が架かっている。
高欄にトンギョをイメージしたパネルがあしらわれていて可愛らしい。
わずか上流に並行して「とんぎょ新橋」も架かり,こちらは車も走行する。
2015.03.28
いつもとはアングルを変え,灯台をバックにしてイトヨの定置網を捉えてみた。
2015.04.09
ハロウィンのピカチュウがイトヨ漁の張り番。
2015.05.14
漁は終わったと見えて4/25には網が片付けられていたが,この日,ピカチュウを再発見。
不思議にも,4/9に見た位置からものの10mほどしか違わない場所で転がっていた。
2016.03.22
今年のイトヨ漁の定置網はここの一ヶ所のみ。
やはり春なんだなぁ,と思う。
マネキンヘッド・その2 2015.04.01 2021.06.26 更新 2015.04.01 かつて1999(平成11)年まで存在したという石狩川口灯台の痕跡をたずねて河口右岸をさまよう。
晴れてはいるが風は冷たい。痕跡も見当たらない。
流れ着いたおびただしい流木,ゴミ。荒涼。
ふと,砂丘で人の気配・・・
4年前の夏,左岸で出会った女性とは違う人だ。
もしかしたらこの人は男性なのだろうか?
うつぶせで息苦しそうだった(a)ので,起してあげた(b)。
対岸遥かに石狩灯台が,LNGタンクが見える(c)。
連れて帰るのはちょっと・・・(d)
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2020.05.26 (2021.05.16 記)
ここは河口右岸,導流堤のつけ根近く。
次の”たまにはヒトも…”の項でささやかにクローズアップした,”敬服に値するヒト”。
”戦争するな!”のおじさんといえば,分かる人にはすぐわかるはず。
左岸砂嘴側だけでなく右岸でもせっせと片付けていて,大型ゴミの集積場のひとつがここ。
洗濯機から首を出していたマネキン。
独特のメイクが施されているので,分かる人が見たらどこのヒトか分かるのだろう。
当然,1年過ぎた今はいない。
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2021.05.14 (2021.05.16 記)
これまた河口右岸。知津狩川河口にある来札水制工のつけ根近く。
2015年のマネキンがいた地点とも近い。
しかもこの人も男か女か不明。カツラとかメイクによってどちらにも変身するのだろうか。
出会った時には寝転がっていた(a)ので,起こしてあげた(b)。やや離れて眺める(c)。
ところで昨年から頻繁にこのあたりをウロつくのだが,このヒトとは本当にこれが初対面だったのかが気になった。
さいわい私は定点観察のオニでもある。行く都度ほぼ同じ構図で写真を撮る。
得たりとばかり,最近の写真と首っ引きしてみた。
うーむ。。。5/8,5/6の画像にはしっかりと首を確認できるではないかっ!5/14とは僅かに動いているが。(いずれも〇印)
両日とも崖の上の定点観察ポイントから対岸砂嘴先端などの写真を撮るだけで崖の下に下りなかったことが敗因だろう。
そして4/29の画像では首は確認できない。向こうにいるのは首の下も全部あるので別人だろう。
当然4/24およびそれ以前の画像にもない。
と・こ・ろ・が・・・
4/24の別の角度からの写真。左下隅に写っていることにいままで気づかなかった。
ということで,このヒトは4/24,あるいはそれ以前に漂着し,誰か彼かの手によって現在地に動かされたものと考えられる。
知津狩川河口の状況の変化とともにご覧いただきたい。
2021.06.12 / 06.20,06.22,06.26,07.18追記
その後も彼(もしくは彼女)はしばらくほぼ定位置でい続けた。
5/20
5/29
6/1
6/9
6/18
時に転がっていることもあったが,多くの場合起き上がって海を見つめていた。
しかし,左岸砂嘴歩きの後に立ち寄った6/1の出会いが,彼(もしくは彼女)の最後の姿となった。
次に訪れたのはやはり左岸砂嘴歩きの後の6/9。彼(もしくは彼女)は消えていた。
気になって,6/10,11にも周辺を探索してみたが行方は杳として知れぬままである。
それとは別に,知津狩川河口の形状。
ようやく右岸の砂嘴が発達し,来札水制工の下を潜って伸びてきている。
(2021.06.20 追記)
その後ヘッドは戻らない。そして興味の矛先は,知津狩川河口形状の急激な変化に向けられる。
6/18には右岸砂嘴がぐんぐん伸びてそれに遮られて左に湾曲した知津狩川は左岸側を激しく浸食。
石狩川に注ぐ河口部から見るとこんな具合。
当面,家出したヘッドの行方よりも,こちらの動きに注目したい。
河口の形状変化(2021.06.22 追記)
知津狩川河口の右岸が砂嘴状に伸び出すのは今年に限ったことではない。
今年は6月に入ってから伸長が顕著になったが,早い年では3月から伸びて知津狩川がまっすぐに石狩川に流入することを阻止,左に迂回することを余儀なくされる。たまたま融雪増水期に重なると激流で左岸を激しく浸食することがある。
1999年4月,石狩川口灯台を倒壊させたのもその一例である。おもしろいことに,砂嘴は石狩川の流れに逆らうように上流側に向かって伸びる。実は聚富川河口にも砂嘴が形成されることがあり,そこでも上流側に向かって伸びる。
石狩川のように直接海に注ぐ河川の河口の場合でも,外海の潮流の向きと反対方向に向かって砂嘴が形成されるものなのか否か・・・は分からない。
少なくとも知津狩川河口,聚富川河口とも水制工の直近に位置している。水制工は石狩川の流勢を削ぎ河岸の浸食を防ぐための工作物。そうした水制工との相互作用とも考えられる。
河口の形状変化
6/24 - a
6/24 - b(2021.06.26 追記)
6/24,知津狩川河口左岸を再度歩いて,河口の形状変化図を更新した。形状に大きな変化は見られないが,縮尺をやや変えてある。
(a) は,来札水制工間近から知津狩川河口方向。
(b)は,堤防上のやや高台から全景。
河口の形状変化(2021.07.18 追記)
7/13 知津狩川河口の左右両岸を歩き,GPS軌跡データを取得した。
左図はその結果を追記した形状変化図である。
6月後半以降も右岸の砂嘴は徐々に伸び続け,左岸は堤防側への浸食が進んでいることが,下の画像の推移からも見て取れる。
河口の形状変化(2021.07.27 追記)
7/24(速報) 知津狩川河口形状はまたまた変化していた(下の画像参照)。
右岸から伸びた砂嘴は来札水制工の脇で食い破られ,そこに河口が開いていた。左に湾曲していた流れは河口が塞がり河跡となる。砂嘴は左岸から繋がって伸びた形となる。
たまにはヒトも… 2015.04.09 2015.04.09 自分のホームページでは人物が写りこむことを可能な限り避けてきた。
にもかかわらず,河口の風景に溶け込むヒトの姿を,誰とは特定できない範囲でならコーミングしてみたい欲求にかられた。
(a) イサダをすくうヒト。
イサダはごく小さな甲殻類で”アミ”というのが本名のようだ。(アミでアミを掬う)
見せてもらうと確かにエビにも似ている。
すぐに冷凍保存しておいて,ホッケやニシンを釣るときに撒き餌にするのだそうだ。
波打際に集まる4,5月によく見かける風物詩である。
(b) 河口導流堤の上で懲りずに釣りをするヒト。
こちらはとくに季節感はない。
天気が良ければ必ず何人かのヒトたちが釣りを楽しんでいる。
対岸である砂嘴の先端からではおよそ1km。
自分のデジカメのズームではこのくらいが手いっぱい。
河口ではないがついでながら。
2月末から3,4月,望来,嶺泊,小谷あたりの崖の上から見下ろすと,磯にはヒトの姿が。
古潭近辺で見かけないのは,漁港に立てられたこの看板の効き目なのだろうか?
(c,d) 敬服に値するヒト。
砂浜に打ち上げられた大型のごみをひとり黙々と拾い集めている。
声をかけようと思った。
けれど自分は興味のおもむくままただ歩くだけの年寄り。太刀打ちできない。
素通りしてしまった。。。
矢臼場護岸遺構 2015.08.02〜2015.11.23 2018.11.13 更新
最下流の橋・石狩河口橋の直下あたりから石狩川は流れの向きを西から北東へと大きく変える。
最後の蛇行である。
ここでは常に湾曲の外側に当たる左岸が浸食され続けてきた。
河口部の地形変化を抑止することとともに,ここ矢臼場左岸の護岸が石狩川最下流部での治水の要だったと考えられる。
戦前から矢臼場左岸に水制が施工されていたというのは知識としては知っていたが,見たことがなかった。
わけあって今年,渡船場樋門から石狩河口橋の間の左岸を月1回くらいのペースで歩いている。
おかげで初めて,水制工の遺構(といっても,機能的には現役といってもいいのだろう)にお目にかかることができた。
水制工といえば一般的には,岸からほぼ直角に近い角度で対岸に向かって突き出ているものとばかり思っていた。
ここでは違っていた。
岸(つまり流れ)に沿って杭が打ち込まれているのだ。併行水制縦工(平行工) と呼ばれているらしい。
(普通よく見られる岸に直角に張り出すのを横工と呼ぶ)
これにより土砂の沈澱を促し,既成の護岸を維持しようというのだ。
この水制工は昭和11,12年に施工されたあと中断,戦後昭和25年以降に再開されたようだ。
また,昭和26年には戦後はじめての単床ブロックによる護岸工事が行われたという記録もあり,その遺構?も見られる。
大正8(1819)年施工された単床ブロック護岸の爪先部洗掘を防ぐために,その後設置されたものと思われる。
参照 『石狩川治水史』 監修:石狩川開発建設部 (赤線部 2018.11.13 訂正)
2015.11.13
この日,石狩河口橋の朝陽を撮りに行ったついでに水辺に下りてみた。
高気圧に覆われて水位がかなり下がっているようだ。
いつもなら水面すれすれの木杭の頭が,20〜30cmも水面上に姿を現していて珍しい光景だ。
水辺に近づいたのはCの地点とEの地点。
だからA,B,Dの水制は前の写真とは違って遠くから望むアングル。
Eの水制は岸に並行である(縦工)ばかりでなく同時に,岸からほぼ直角に突き出ている通常の水制構造(横工)を併せ持つこともわかった。
水位が下がったことで,岸辺にも水制の木杭の頭が見える。
また,このあたりにも単床ブロックの残骸と思えるコンクリート塊が散らばっていた。
2015.11.23
この日もシベリアあたりの寒気団(寒いけど気圧はメチャ高い)に覆われて水位は下がっている。
10日前には近づかなかったA,B,G地点に迫ってみた。
どこもここも水制木杭の頭はにょきにょき。
春から夏にかけてひっかかっていた流木とかゴミのたぐいは見られず景観としては好ましい。
A地点ではなんと並行水制と川岸との間に単床ブロックが施工されていたのがわかった。
現在のコンクリート護岸が施工される遥か前のことだったのだろう。
水位がこれだけ下がると,単床ブロックの整然とした存在感が浮き彫りになる。
またG地点でも夏に比べて単床ブロックが幅広く露出しているが,しろうと目にも,上手な施工とはいえない。
その中になにやらよく分からない標石も見られた。なんでだす?
わんこ救出作戦 2015.08.14 本町舟揚場の南端からおよそ100mのあたり。
矢臼場併行水制に流木が引っかかり,さらにいろいろなゴミがたまっている。
この日のこの時間は満潮の影響で水没して見えないが,水位が下がると水制杭の頭が姿を現す。(2015.04.30)
近づくとワンコの哭き声。どうやら流木の根元のあたりかららしい。
根元の隙間にうずくまっているのだが,岸までは5m近くあって水深も1m以上はありそう。
しばし逡巡の末110番通報する。
15分ほどしてミニパト駆けつけ,警官,地元の若者たちと見守る。
消防も出動,流木の根元まではしごを伸ばす。
はしごが届くとワンコは怯えて逃げるのだ。流木先端まで逃げる。
やがて消防隊員のひとりがはしごを伝って近づこうとする。
ワンコはココロを開かない。膠着状態が続く。
しばらくして救護所の船も。だが,船が近づくとワンコはまたしても逃げる。
浮かんでいる木片伝いに逃げて根元にたどりつくも,なおかつ船の接近を怖れる。
みかねて勇敢な地元の若者が近づく。が,やっぱり浮かんだ木片の上に逃げる。
その直後の展開が微妙かつ激しかった。あっという間だった。だからデジカメのシャッターを切る余裕はまったくなかった。
ワンコが木片から滑り落ちて水没したのだ。危機一髪。とっさにくだんの若者も飛び込む。
ワンコを捕まえ抱え上げる。『イテーッ!』。もがくワンコに咬まれたようだ。
いさい構わずワンコを岸に放り上げる。
私も含め,岸でポカンと見ていたみんなを尻目にワンコはスタコラサッサと堤防の上の方に逃げていく。
命拾いしても,昨日までの野良ワンコ,捨てられワンコの犬生に戻るのだろう。
いっとき上空に飛来した道警のヘリもすでにいない。
近くに潜んでいたアオダイショウも・・・
かくして,警察,消防,市役所,救護所,地元の若者,そして通報者の私,総勢15,6名に及ぶ大がかりなわんこ救出作戦は終わった。
はたして,
これでよかったのか・・・?
通報者の立場として私は,とてつもなく虚ろでかつ納得がいかない。
季節はずれの浮き輪 2015.10.10 2015.10.10 近頃さっぱり楽しいものに遭遇する機会に恵まれない。
この日は河口近くの川岸に,2つつながった浮き輪が打ち上げられていた(a)。
裏返しになって転がっていたのをひっくり返すと,キャンディリボンとプーさん(b)。
こんなものでも,カワイイので写す。遠景は衛生センター(c)。
このあたり9月末まで巨大なオニハマダイコンのひとり舞台だった。
しかし,10/2の爆弾低気圧,10/8,9の大型台風による増水,波浪によりすっかりはぎ取られてしまったようだ。
浮き輪たちもここに平和でいられるのはほんの一瞬のことなのだろう。
ガラスの浮き球ゲット 2015.11.11 2015.11.11 自分の浜歩きでは,もっぱら浜辺の表情のビーチコーミングに徹している。
それというのも,GPSロガー携行で波打際をひたすらビチャビチャ歩くばかりなので,めぼしいお宝にはほとんと゜遭遇しないからだ。
河口砂嘴で拾って帰って喜んでるのはピカピカの石炭くらい。なんでだす?
この日はいつものように歩いていたまさに波打際に,大きなゴミの塊りが打ち上げられていた(a)。
どうやら漁網と砂との混成品なのだが,中にガラスの浮き球がよっつも・・・
もちろん持ち帰りました(b)が,こんなもん,どうしましょ?
趣味の悪いモニュメント 2015.12.20〜2016.03.08 2015.10.01 〜 気味の悪い存在のことは,はまなすの丘の監視員から聞いていた。
そしてはっきりと意識して目撃したのは10/01。
浜を歩いていると,卒塔婆のたぐいが流れ着いているのを目にすることはよくある。
おそらく拾ってきた誰かが悪戯半分にこしらえた祭壇「風」なモニュメントに違いない。
趣味が悪いとしかいいようがない。
が,目にして以後,なぜか気になる。
歩くたびにその写真を撮る自分も,妖気に冒されたのかもしれない。
10/10,10/26と砂に埋まりつつ質素化?。
そのままなくなるかと思っていたら,11/11には瓶が並べられ,ロールペーパーも。
この勢いで年を越すというのか・・・
もしかすると意識する以前の写真にも写りこんでいるのではないかと思い探してみた。
あった。9/21にしっかり写っている。
それ以前では8/13。同じ場所を写した写真に存在しない。(どちらもトリミングしてかなり拡大)
8月から9月にかけての作品であることが分かった。
こんな馬鹿馬鹿しい項目を追加したというのも,ここんとこネタ切れなためのその場凌ぎ,ということだ。
2016.01.23 〜
2016.01.23
崖の上の目印?はしっかり残っているが,趣味の悪い「祭壇風」はまったく見えない。
とりあえず清々しいが,しかし雪が消えたら再び姿を現すのだろうか。
あるいは,見える人と見えない人とがあるのだろうか?
2016.02.25
ひと月前とは大きく様変わり。
崖下は激しく抉られていた。
趣味の悪いモニュメントも,完全に石狩湾の藻屑と化したことだろう。
2016.03.08
3/1の爆弾低気圧が追い打ちをかけたのだろう。
このあたりもさらに激しく浸食され,崖は数m後退したものと思われる。
立入禁止柵も支柱ごとすべて波にさらわれ,痕跡も残っていない。