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石狩の遺構をたずねる

2015.08.23 公開
2021.12.14 更新

■ 2015.08.23 公開に先立って

ちかごろ,石狩海岸(新川河口〜厚田)とその近辺に佇む「遺構」にこだわっている。
ただしここでいう「遺構」とは,タイムスケール的にも考古学でいうところのいわゆる「遺跡」とは異なるニュアンスで捉えている。

おおむね幕末以降に作られた構造物の全体,あるいは損壊された残骸でもいまもなお残存している状態を指す。
かつての石狩におけるもろもろの活動の痕跡といってもいいだろう。
あるいは残骸すら認められなくても,その構造物があったことを窺わせる・感じさせるそこはかとない風景をも含めてみたい。
私たちの目に迫ってくる「遺構」を,さまざまな角度から光景として切り取ってみたい。

それらの多くは必ずしも見た目に決して美しいものではないだろう。
しかし良きにつけ悪しきにつけその時代,その社会の背景に基づいて建造されたものである。
さまざまな曲折を経て石狩市がいまここにあることを示す「証」でもある。

そういう目で見ると不思議なことになぜか美しく見えてくる。
もしかしたらとんでもない観光資源となりうるかもしれない。

個々の「遺構」の来歴についても可能な限り調べてみることにしたい。

具体的には,産業構造物(農林漁業,鉱工業,商業など),公共土木構造物(道路,鉄道,河川,港湾など)とされるものたちで,一般家屋や石碑類は除くことにする。

思いつくままざっと列記してみる。

小樽内橋
保安林を縦貫する銭函街道の痕跡
花畔銭函間運河

石狩海浜ホテル        Topics (
←浴槽発掘速報)

石狩展望台
海難救護所跡
河成地 もとは右岸の耕地が河道変化で川の底になっている土地(番地がきちんと振られている)
石狩川口灯台跡地
石狩港修復工事 波浪観測所,業者の作業員宿舎(飯場),石狩港建設事務所?
石狩川河口右岸水制群
石狩町道路元標
造船所および廃船置場跡
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石狩渡船場跡
養鮭場跡
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矢臼場併行水制
生振捷水路〜茨戸川/真勲別川
岡ア式単床ブロック施工跡
茨戸生振間締切堤防と観音橋
(2016.12.09 追加)
厚田油田掘削跡
無縁浜の突堤
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北海道日産嶺泊ハウス
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押琴の突堤
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小谷の傾いたサイロと巨大な廃墟
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まだまだあるかもしれないが・・・


★ 以下 2016.03.15 の追記 ★

海浜植物等保護地区の車両進入防止ブロック
はまなすの丘の浜崖上に設置された木道

新トンネル開通により近づけなくなった(秘境化)海岸景観と閉鎖された旧トンネル
開通年 新トンネル名 延長m 旧トンネル名
厚田区 2002 太島内 2,454 ルーラン 1971年,165m
太島内 1971年,880m
2008 新赤岩 963 赤岩 1967年,?m
浜益区 2003 二ツ岩 1,796 二ツ岩 1972年,587m
つばめ岩 1973年,120m
2016 浜益 4,749 千代志別 1973年,346m
ガマタ 1981年,2,060m
タンパケ 1981年,340m
雄冬岬 1981年,878m

■ 主目次
最終更新日
石狩川河口右岸の遺構群 石狩港,水制工,導流堤 2021.12.14
石狩川口灯台 石狩にあったもうひとつの灯台 2020.03.19
タンパケトンネルと景観 浜益トンネル開通により秘境化 2021.06.26
石狩海浜ホテル 浴室などが発掘される 2019.11.11
■ 関連目次
当サイト【花畔・網】で個別テーマとしてすでに表示した遺構関連ページ

ページへのリンク
小樽内橋 オタルナイ橋に関するメモ石狩の「これ,なぁ〜に?」- 新川河口
石狩展望台 石狩の「これ,なぁ〜に?」- 石狩展望台
石狩町道路元標 収集癖-道路元標
石狩渡船場跡 石狩の「これ,なぁ〜に?」- 河口渡船場渡船場跡
矢臼場併行水制 石狩川河口での遭遇 - 矢臼場護岸遺構
岡ア式単床ブロック 石狩の「これ,なぁ〜に?」- 単床ブロック観音橋石狩河口橋
茨戸川の岡ア式単床ブロック護岸
厚田油田跡 石狩の「これ,なぁ〜に?」- 厚田油田跡
車両進入防止ブロック 石狩の「これ,なぁ〜に?」- 車両進入防止ブロック
茨戸生振間締切堤防と観音橋 観音橋


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