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トピックス 2024-C (7- 月)

2024.07.01 公開
2024.10.19 更新

前のトピックス




2024.10.19版 老いの執念,昨日の続き,の巻 今日は第二突堤


6/11

10/11

10/13

10/15

10/17

10/18
第二突堤への堆砂の寄り付きに今年初めて遭遇したのは9/23。(9/25版参照)
ここでは得意とする定点観察点(第二突堤付け根の崖の上)から眺めた画像を並べてみた。なにごともなかった6/11と,日々堆砂が動いている10/11以降の画像である。10/13は強い北西風で海は荒れていて,潮位も高かった。(これら以前の10/4の画像は10/8版参照)
9/28版で,堆砂が寄り付く前の9/1,9/12の画像を並べてあるが,6/11の画像とほとんど変わらない。すなわちこれが,第二突堤南側のごく当たり前のの情景で,6/11画像の中で赤矢印を施したテトラポットの先には普通は進めなかった。それが今のところ第二突堤先端近くまでラクラク進めるのだ。
しかも寄り付き堆砂は見て分かるように拡大しつつある。寒冷前線が通過した今日はなすすべもなかったが,明日は寒気を伴った強い高気圧に覆われるという。11時半ころが干潮。見逃せない。西高東低の気圧配置でかなり荒れ気味みたいだけれど,波に浚われないようにお爺さんは気をつけよう。

2024.10.18版 老いの執念,の巻 右岸・第一突堤にこだわる


a (9:07)

b (9:52)

c (10:06)

d (10:20)

e
昨日も書きましたが,ほぼ一日おき,そして今日(10/18)は昨日に続いての連日。向かった先は右岸第二突堤。というより,この間第二突堤がらみで書いていますが,本命は実は第一突堤
昨年末の11/27,そして12/15に見たのが彼の最後の姿だった。通常の潮位では彼は生き残っていたとしても海面下で見られない。高気圧下の干潮時が絶対条件。今日やっと,午前9時から11時にかけて潮位マイナス10cm以下という願ってもない条件。老いの一徹のお爺さんは,文化祭もヘチマもあるもんかと頭を出した第一突堤を様々な角度から狙ったものでした(a-d)。
(a)の遠景は小樽高島岬。 (b)は来札水制工とその手前に第三突堤,さらに手前に2本ほどの第一突堤。 (c)は対岸・左岸砂嘴先端。 (d)は離岸堤の端っこ。いずれにしても彼は,海面下でも健気に生き続けていたことが確認されました。
ついでに近ごろクローズアップされてきた第二突堤に寄りつく堆砂(e)。いよいよ肥大化しつつあり,この先どこまで成長するのか目が離せません。ということは,これからも通うってことなのかしらん?

2024.10.17版 明日から石狩市民文化祭・展示部門,の巻 Topicsは1週間のご無沙汰でした

今年の石狩市民文化祭・展示部門は18日(金)から20日(日)までの3日間。
石狩市花川南コミセンで開催されます。
石狩かしわ俳句会も参加しますので,今日午後,展示作業を終えてきました。
ご覧いただければ幸いです。関係ありませんけど,選挙も始まりましたし。
私は早くも期日前投票を済ませました。
前回10/10版以降,決して寝ころんでいたわけではありません。10/11,13,15,17(今日)と,一日おきに右岸第二突堤近辺に出没しておりました。堆砂の寄り付きが思いのほか成長し続けているのです。
でも,同時にその他の事柄,トウネンのこと,キツネのこと,ムクドリの群れのこと,木の実のこと,などなど,書こうと思うとメンドクサクなってしまうのです。今夜もこんなこと書き始めた途端眠たくなってしまいました。
スーパームーンも撮りましたけど,普通の満月でした。
明日は大潮。干潮+高気圧。またまた右岸に向かう予定です。文化祭どころではありません。

2024.10.10版 もっと第二突堤先端から河口導流堤,の巻


a

b

c

d
一昨日(10/8)左岸砂嘴先端から第二突堤と河口導流堤を遠望した(昨日のe図)。そして昨日(10/9)は,右岸知津狩川の左岸堤防上から角度を変えて第二突堤と河口導流堤を遠望した。
(a) は2基の離岸堤と第二突堤,そしてその先に続く河口導流堤
(b) は第二突堤の基部方向。
(c) は第二突堤先っちょのクローズアップ。昨日の(b)との対比。
そして(d) が全体図。
A が10/8 左岸砂嘴先端からの視角。距離約750m
B が10/9 右岸知津狩川堤防からの視角。距離約450m。

2024.10.08版 第二突堤先端から河口導流堤を激写,の巻 9/28版とも見比べてください


a

b

c

d

e (10/8)
花畔大橋下をうろついた10/3以降連日,午前10時ころから正午過ぎにかけての観察最適時間帯に干潮を迎え,さらに高気圧に覆われて潮位がぐっと下がる日が続いた。じっとしていられない老人は,10/4,5,6と連続してでかけたのだった。訪れた時間帯での潮位は,いずれも0~マイナス5cmそこそこ(この値は東京湾平均海面を基準としての石狩湾海面の標高値である)。
タイトル通りに第二突堤先端から河口導流堤を望めたのは,実は10/4のみ。だから上の(e)を除く4枚の画像はいずれも10/4のものである。
(a) は9/28版同様,第二突堤付け根の崖の上から撮った光景。第二突堤に寄り付いた堆砂の領域が9/24よりさらに相当拡大していることが分かる。
(b) この日は突堤先端まで堆砂が続き,先っちょのテトラポットまで到達可能。
(c,d) ここからほぼ直角に折れて延びる河口導流堤を激写。こんな光景,誰も見たことないでしょっ!
次の日(10/5)もさらにその次の日(10/6)も再び見たくて行ったものの,先っちょまでの到達は不能。
水中を悠然と歩くアオサギに自分もなったかのように水中をうろつき始める同伴者も現れたりして焦る。これはいかんと,引き上げてきたのだった。ついでに,秋晴れの日曜日とあって,灯台の周りでモーターパラグライダーが遊んでいた。

そして今日(10/8),ヴィジターセンターを起点に左岸砂嘴をひと回り。疲れを知らない?。砂嘴先端から第二突堤の先っちょあたりを遠望した画像が(e)である。先っちょで,第二突堤から導流堤へとほぼ直角に折れ曲がっているのだが,これだけ離れるとほとんど真っ直ぐ繋がっているかのように見える。

2024.10.06版 うようよ,の巻 3度目のサケ・ウオッチング

今年初めて,ボクサナイ川へのサケの遡上を確認した9/16以降,石狩(厚田でも)まともな雨はほとんどない秋が続いた。川の水量が少なければ遡上が阻まれる。10/4,ようやく振り払うかのように降雨。ヒガンバナの開花を見届けた昨日(10/5),早速厚田まで走った。
恒例の,まずは厚田川河口の光景。好天ながら,釣り人はちらほら。
目指すは,支流ボクサナイ川・サケ二次飼育施設脇。厚田川河口では昨日の雨で濁っていた川水もここでは澄んでいて,しっかり堪能できた。しかしほんの少し上流の床止め近くでは昨年までとまわりの様相が異なり,河原に下りることも不能。サケたちはいるにはいるのだが,きちんと画像に捉えることはできなかった。

2024.10.05版 ヒガンバナが咲きました,の巻


9/26

9/28

10/2

10/4

10/5 6:11

10/5 14:42
ヒガンバナたちにとってはおそらく,開花するには過酷な寒冷地(というよりきっと,積雪地)である石狩の露地植えで,20年持ち堪えてくれました。今年は9/25に1ヶの花芽。その後待てど暮らせど現れず,今年の花茎はたった1本のみ。まぁいいか,咲いてくれたんだから。
2022年は9/20花芽発芽,9/30開花,花茎6本。
2023年は9/17花芽発芽,9/26開花,花茎24本。【過去最高
2024年は9/25花芽発芽,10/5開花,花茎なんとたったこれ1本。【近年では最低
とんでもないはなしです。
画像追加 : そして開花2日目の10/6。6:0216:34

2024.10.03版 久々の花畔大橋下,の巻 茨戸川の岡﨑式単床ブロック護岸見てね


a

b

c

d
10時ころが干潮,しかも103(ヘクトパスカル)近い高気圧下。気圧に押し下げられて日中の潮位は相当下がるに違いない。ならば,右岸だ。
と思いながらもグズグズしていてメンドクサクなった老人は,お昼前後,茨戸川左岸の花畔大橋下をウロつくことになってしまった。自分でも思いがけない展開ではある。ずっと奥歯の痛みに苦しんでいたこととは関係あるのかもしれない。
つまるところ本当に久々,岡﨑文吉が遺した単床ブロック遺構に会ってみたくなったのだ。これだけ潮位が下がれば,遺構のブロックも頑張って顔を出しているに違いない。
いまにして思えば,2019年ころまでは単床ブロックに凝っていた。翌2020年3月コロナ初期,志村けんさんが亡くなった。翌3/30に界隈を歩いた。実はその後ほとんど歩いていない。
石狩治水遺産研究会なる組織?が,岡﨑の足跡を洗い出し始めたこととはまったく関係はない。私自身がもう十分調べたと思ったからだ。
そしてその研究会なる組織はいまはない,という。なんなんだ。岡﨑も浮かばれないのではないのか。まぁいい。好きにしなさい。私の頭の隅からは,単床ブロックは離れない。

2024.10.01版 出雲さんから保護センターへと抜ける道,の巻


a

b

c

d

e
9/27未明に激しい雷雨があったが,それ以降今日までずっと好天。おかげで,一昨日(9/29)訪れた第59回石狩さけまつりもたいへんな賑わいだった(a)。でもでも,人混み苦手な老人(なら,初めから行かねばいいのだ)は逃げ場を求める。
まつりの会場となっている弁天歴史通りの一角に曹源寺がありそれにほぼ隣接して出雲教大神社(出雲さん)がある(b)。歴史通りからやや奥まっているのであまり気づかれない。この社のすぐ脇から,小高い砂丘(といっても草木に覆われている)を越えて浜へと続く踏み分け道がある。いや,あった。今年も5/18に歩いて,道なき道化した獣道になっていることを知っていた。けれど人混みから逃れてほっとするのには格好のスポットではないか・・・
こ,これわっ!踏み分け道,どころか,完全な藪(c),である。ヤマブドウの太いつるなどが横に伸びて通せんぼ。道などない(d)。戻るにも戻られず,老人は無我夢中で標高10mほどの天辺にたどり着くことができた(e)。
ここは『展望の丘』(私は勝手に,”弁天の丘”と呼ぶ)。保護センター側からは登る道がしっかりと整備されている。
この小径は過去に何度か歩いたことがある。それがこれほど鬱蒼とした藪になっているなんて,驚くなかれっ!だ。
往時の面影のない道,過去にさかのぼって,若干の蘊蓄が必要な気がする。
2013.09.29

f

g

h

i
膨大な画像収納庫をひっくり返して探した。そしてこれが,私にとってのこの小径の最初ではないかと思われる画像たちだ。
奇しくも11年前のさけまつりの日だったようだ。
(f)がこの日の出雲さん。社は1996(平成8)年に建て直されたということだからまだ20年も経っていない頃だ。
その脇に,車両の通行は禁止されているが,綺麗に刈り込まれた小径が浜に向かっている(g)。砂丘の道も整備されている(h)。
天辺に上がるとそこには『弁天の丘』の標識(i)。その後なぜか『展望の丘』などというつまらない名に付け替えられたのが癪で,私は”弁天の丘”と呼び続けている。
(i)の画像の右下に小さな標識が立てられていて,そこに「弁天歴史公園の近道」と記されている。つまり,出雲さんからの小径は海浜植物保護センターお墨付きの近道だったのだ。ところが今年の丘の天辺には,ほとんど同じ位置に「市有地につき立入禁止」の看板が・・・なんてこったい。
1937年竣工して一度も営業されずに,1945年米軍の空襲により焼失した石狩海浜ホテル。ホテルへと本町側から通じていたのもこの道だったに違いない。

2024.09.28版 右岸第二突堤にこだわる,の巻


9/1 : 45cm

9/12 : 30cm

9/24 : 0cm

a

b

c
第二突堤付け根の崖の上から撮った,9/1,9/12,9/24 における第二突堤先端までの光景を並べてみました。
それぞれに付記した cm は,撮影時点におけるおおよその石狩湾潮位です。陸地がどれだけ見えるかは,当然ながら潮位に大きく依存します。特に前日(8/31)かなり雨が降ったことと,やや荒れ気味だったことにより,9/1には泥水化し汀線も後退しています。9/12の景観が最近の通常のパターンで,9/23,24の景観は年に一度出会えれば幸運?に近いパターンです。
さらにまた,9/24の補足画像です。
(a) 突堤先端の砂の堆積をクローズアップ。
(b) 突堤の上のハマナス。
(c) 突堤の向こうに見える衛生センターの煙突。

9/28 : 30cm

d
9/30 追補 さらにこだわり続ける
実は9/28版をアップしたその日も
右岸を歩いている。
けど,力尽きた。
昨日もさけまつり。
9/28も,第二突堤脇の堆砂は動いていなかった。しかし,9/28の歩いた時刻の石狩湾潮位は,9/24に比べて30cm高い。
潮位は同じ30cmほどだった9/12に比べてかなり先まで歩くことができたが,離岸堤の延長線を越すことはできず,(d)どまり。してみると,9/25版の(c)は貴重だ。
ところでここまで右岸にこだわるのは,潮位が下がったら再び第一突堤が現れるのではないか,との儚い期待から。10月も日中のちょうどよい頃合いに潮位が下がってくれる18日からの数日,高気圧に覆われてくれるとじっとしてはいられない。

2024.09.25版 ヒガンバナ一番花芽,の巻 石狩川河口右岸の老人


ヒガンバナ

a

b

c

d
今年は遅いなぁ,と思っていたが,今朝いきなりヒガンバナの花芽が1ヶ突き出ていた。20年ほど持ち込んだ株の方で,曼殊沙華らしい赤花のようだ。
一番花の発芽は,一昨年は9/20,昨年は9/17。それよりやや遅れたけれど,こんなもんだろう。
それだけではやや寂しいので,相変わらず石狩川河口右岸をうろついていてのこぼれ話。
一昨日(9/23)も昨日(9/24)も朝晩冷えたが日中はほとんど快晴。干潮は13時から15時。高気圧の押し下げでかなり潮位が下がり気味。ということで連日出かける。ただし上の画像はいずれも9/23のもの。
(a) 第二突堤を遠望する。潮位が下がったうえに,突堤のこちら側にはかなり砂が堆積したもよう。
(b) 先端間際。間違いなく行けそうだ。
(c) 縦列した2基の離岸堤の裏側まで望める位置まで到達。
昨年も9/21に同じように歩けたが,今年の方が昨年よりも突堤の先端近くまで近づけた。
おまけに・・・
(d) ここで,なんとなく顔に見覚えのある老人と遭遇。聞くところによると,この老人も誰も見てくれないようなホームページを作り続けているらしいのだが,近ごろは作業が捗らなくて息も絶え絶えだという。わかるような気もするが,私はそれほどでもない。奥歯が痛いことに往生している。

2024.09.21版 石狩川河口右岸の地形変化,の巻 ヒトのフンドシで相撲をとる


2009.05.21

2014.10.07

2018.10.22

2020.06.13

2021.07.19

2024.07.22
ヒトのフンドシとは,Google Earth の背景画像のこと。
Google Earth の背景画像は場所ごとに適宜更新されている(必ずしもすべての背景画像が同一日に取得されたものではない)。最近の石狩川河口部についていえば,左右両岸とも,2020.06.13取得の画像から2021.07.19取得の画像に更新された後はしばらく更新されなかった。今年になって数ヶ月前に本町地区を含む左岸部については2023.04.22取得の画像に切り替えられたものの,右岸部については3年前のままだった。それが最近2024.07.22取得の画像に更新された(いまのところ,左岸部は2023年のまま)。
そこで,知津狩川河口(来札水制工)から導流堤の基部に当たる第二突堤までの間に焦点を当て,自分がこのあたりを徘徊し始めた2009年以降の背景画像を適当な間隔で並べてみた。この15年,石狩川河口右岸は一貫して衰退傾向で,汀線が後退し続けていることが分かる。しかも,2021年までの12年間は緩やかな衰退傾向だったのに対し,2021年以降はかなり激しい。

汀線変化

浜崖変化
左図は,2009年,2021年,2024年の画像から汀線,および浜崖のラインを抜き出して,その変化を眺めてみたものである。
汀線変化についていえば,2009→2021と,2021→2024との最大の変化幅はそれぞれ50m以上に及ぶ。
知津狩新橋を通る市道と汀線との間隔がぐんぐん狭まってきていることが如実に示されている。市道と汀線との間に,かつての聚富川の旧河跡が存在しているのだが,2024年には旧河跡に接する辺りまで汀線が後退していることが分かる。90m以上になる汀線後退を意味する。
左岸砂嘴先端についていえば,2019年秋以降2021年にかけて激しく浸食され浜崖も押し潰されたことが記憶に新しいが,この2年ほどは小康状態。代わりに右岸が攻めたてられている,というのが現状のようである。

2023.10.18版に続いて,再びお断り
この話も,格好の右岸物語のネタだと思いましたが,Topicsに書いてしまいました。
さらには内容的には石狩川河口での遭遇にもかなり共通するものがありますが,3年の時間経過も踏まえて新たにここに書きました。

2024.09.17~18版 お月さま,の巻 そしてその翌朝も,夜にも


18:25
うたた寝をしていたら,起こされました。ので,仕方がありませんので眺めました。
9月17日。中秋の名月,だそうです。
動き回るサケとかアオバトとは違って,年寄りにも撮りやすいです。
本当は違う話題を書き始めていたのですが,草取りで草臥れました。
おやすみなさい。

a

b
寝るのがなんとなく勿体なくなりました。
名月に脇役になっていただいて,庭のホウヅキ(a)と,ワレモコウ(b)とに
遊んでもらいました。
風流でしょ?わっはっは。
あらためて,おやすみなさい。

5:52

c

d
調子に乗って翌朝(9/18)の朝日です。
生憎,雲の間から昇っています。
夕べの主役・ホウヅキとワレモコウ(c),そしてタカネナナカマドの実(d)が朝日に照らされていました。
お月さまは見えませんでした。

18:47
ひつこいですね(^^;;; 9/18の夜,です。
今夜は月齢15.0。満月です。昨夜は名月(カレンダーによっては十五夜と書いてある)で,今夜は満月。十六夜(いざよい)ともいうらしい。なんとなく,どころか,はなはだ紛らわしい。
確かに画像で見る限り,昨夜の月は左側がイマイチ満ちていない。が,今夜の月はほとんどまん丸。しかしあえて言えば右側がやや欠け始めている。十六夜というに相応しいのかもしれない。
ここで一句。できれば申し分ないのだが・・・

2024.09.16版 サケとアオバト,の巻


a - 1

a - 2

a - 3

b - 1

b - 2
トシのせいにはしたくないのですが,どうにも明らかにトシのせいです。ぼやっーーー・・・としてまとまりがつきません。
それでも一昨日夜から昨日朝までまとまった雨。サケたちが遡上するには格好の条件です。そろそろ,だろうと思い,昨日,今日,続けて厚田川支流のボクサナイ川へ。厚田川河口の昨日今日。昨日はひとりも釣り人がいませんでしたが,今日はそれなり。しかし聞いてみるとさっぱり!とのこと。まぁいいや。破れかぶれでも,ともかく目当ての支流・ボクサナイ川・サケ二次飼育施設脇へ。昨日は雨後の激流でな~んにも見えませんでしたが,今日は水量もやや減って澄んでいます。そしていました!少なくとも3匹のサケを確認(a)。
今年最初のサケ・ウオッチングの成功。そして帰路,押琴へ。これまでの経験上アオバトたちは間違いなく9月10日ころまではいたのだけれど,今日は16日。もういないのかもしれないとは思いました。がなんと,まだ残っていてくれました。ただし位置取りが悪く,水辺に下りた姿は撮れず。飛んでいる姿のみ(b)。でもまぁいいや。サケとアオバトのダブルですから。
とにかく今日は見晴らしの良いいかにも秋日和。押琴浜から積丹半島がくっきり。未来がこれほど見通しが良ければいいのだけれど。あれこれの選挙の騒ぎはさておき,先の短い年寄りには幸せないち日でした。明日どうなるのかは分からない!

2024.09.10版 思い立って石狩川の橋の旅,の巻


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石狩川に架かる橋のページは2008年以来【花畔・網】でとりわけ力を注いできたページである。しかしここ数年長距離運転が億劫になり,ここ2年新たな書き込みができていない。情けない。
グズグズしていたらいよいよ運転できなくなるではないかっ。意を決して層雲峡までの一泊取材の旅。往復450km,なんとか迷うことなく帰ってくることができた。
(a) 妹背牛橋。新橋工事が始まった2017年以来毎年のように様子を眺めに通っていたが,2022年6月を最後に億劫になっていた。意を決して行ってみると,出来上がっているではないかっ。令和5年8月竣工,とある。現在は旧橋の撤去作業中。趣のある橋だっただけに惜しまれる。
(b) 比布大橋。2015年に架替が新規事業化されたというのに遅々として捗らない。確かに橋脚は必要なだけ建てられてはいるようだか,いつになつたら完成するものやら・・・
(c) 神居大橋。先ごろ若い女性たちによる凄惨な事件が発生。おかげで【花畔・網】のページも閲覧数が一瞬激増して面喰った。そんな事件とは関係なく激流の神居古潭を見下ろしている。この日も,関西からというツアー客が往来していた。
(d) 七戸の吊橋。2016年8月の台風で崩壊。真ん中の支柱のみがやや傾きつつも踏ん張った。今回は,この橋のたもとの川原で休憩。深川の道の駅で買った弁当を食す。向こうに見えるのは,旭川紋別自動車道の愛山渓大橋。
(e) 菊水10線の吊橋。2016年8月の台風でこの上流の菊水12線の吊橋も崩落したが,この橋は健気に踏みとどまった。現在も歩くことができる。けど,かなり揺れる。コワい。
(f) 日東東雲線新設橋。あまりにも古い10線,12線(すでにない)の吊橋に替わるものとして道が建設中の新道に架かる橋。名前はまだないらしい。工事中の厳しすぎる規制のため現場に近づくこと能わず。この画像は,10線の吊橋の上から撮ったもの。工事車両が走っている。
(g) 碧水橋。林道橋。廃橋となって久しく,橋の上に樹木が林立。。2013年と2018年にクマを恐れながらアプローチを敢行,渡ったことがある。今回はさすがに無理。やや上流,国道の胡蝶岩橋から眺める。
(h) 彩雲橋。大雪国道とホテル層雲本館とを結ぶ町道に架かる橋。もともと老朽化して危うい橋だったが,ホテル層雲の撤去作業の重機などの走行のためか補強されている。ホテル層雲は2011年,東日本大震災のあおりで廃業。今年ようやく撤去作業が本格化したらしい。
(i) ホテル層雲・本館別館渡り廊下。ホテル層雲は何度か泊まった思い出のホテル。本館(左岸)と別館(右岸)を繋ぐ渡り廊下(つまり,橋)が石狩川を跨いで架かっていたからだ。ホテル層雲の撤去に伴って渡り廊下も撤去作業の最中にあった。こちら側にあった別館の露天風呂などの大浴場はすでに更地になっている。
(j) 層雲峡はシカだらけ。クマには遭遇せず助かった。

2024.09.08版 9/6の浜歩き,の巻


a - 8/17

a - 9/6

b - 1

b - 2

c - 1

c - 2
昨日(9/7)は5ヶ月ぶりに床屋に行ったり,銀行のATMで先日の工事代金を振り込もうとしたら「お取扱いできません」と拒絶されてムカっ腹を立てたり,紅葉山公園のカメにもシオカラトンボらも無視されたり,層雲峡まで行きたいと思いつつそろそろ運転に自信がなくなったり,さまざまあって更新できませんでした。
それで,一昨日(9/6)のはまなすの丘ひとまわりでの出会いです。
(a) 浜沿いの汀線の凹凸は,前回(8/17)よりやや和らいだような気がしました。しかしところによっては前回よりも激しく牙を剥き,浸食が浜崖に迫ってきている部分も見受けられました。
(b) 浜辺で最初に出会ったのは,たった1羽のアカエリヒレアシシギでした(鳥名はGoogleレンズによる)。アカエリとはいうものの,まったく赤みはみられません。もしかしたら幼鳥かもしれず,私が近づいてもさほど逃げる素振りも見せませんでした。
(c) そしてトウネン。8/1はつがいと思われる2羽だけでしたが,この日は団体。最初は8羽(c-1)。私が近づくといっせいにお尻を向けて一定の距離を保とうとします。一緒に移動しながら8羽バーサス1人の関係がしばらく続きましたが,やがて飽きたのか数羽が波打際から離れて浜の流木の中でひと休み。そしていつの間にか群れは9羽になり,10羽になり,先にメンドクサクなった私の別れ際には13羽(c-2)になっていました。

2024.09.06版 ハマボウフウ大作戦三年目,の巻


a

b

c

d
一昨日(樽川),昨日(押琴),今日(はまなすの丘)と,3日連続浜遊び三昧です。ビンボーな年寄りにはお手ごろなのです。
で,今日の書き込みは昨日の押琴海岸(a)。一昨日樽川で採取したハマボウフウの種をばらまきに行ってきました。
一昨年(9/11)から始めた大作戦は,昨年(9/4)に続いて三年目。9/5現在,過去の作戦結果の現況は,(b)が昨年播種の今年発芽一年目株。他に など。(c)が一昨年播種の発芽二年目株。他に
今年播いた種がどれだけ発芽するか,来春確認に行くのが楽しみではあります。が,ハマボウフウ大作戦は今回が最後になると思われます。ここまでの結果はやや悲惨。いずれ必ず総括しなければなりません。
ところで昨日はハマボウフウ大作戦と同時に,アオバトさんたちとの遭遇も期待したのですが,カラスが大群で飛翔するのみでついにアオバトさんは現れてくれませんでした。そんな私を慰めてくれようとするのか,1羽のキアシシギが現れてくれました(d)。(まっすぐこちらを見つめる) 押琴では2021年にも出会っています。

2024.09.04版 カメとドングリ,の巻


a-1

a-2

b-1

b-2
(a) 9/2,紅葉山公園の池。今年は4/14以来の再会でした。なんとなく人間を警戒している雰囲気で,なかなか近づいてきてはくれません。両方とも同じ個体と思われますが,ずっと池の真ん中の水の中に浮かんで周囲を窺っていました。
(b) 9/4(今日),ハマボウフウ大作戦の3年目,樽川9線浜にタネの採取に出向きました。とっかかりのカシワ林にはドングリがたくさん実っていました。そしてドングリの手前にはカメでもドジョウでもなくて赤トンボ。
昨年の大作戦は9/3採種9/4播種
今朝は冷え冷えとしていたのに快晴。どんどん気温が上がる中,熱中しながらタネを採って,しかし収穫はこんなもの。明日か明後日には播きに行かなければ・・・おそらく今回が作戦の最終年になるのではないのだろうか。

2024.09.02版 ネタ切れ時の救いの神,の巻


a-1

a-2

b-1

b-2

c-1

c-2
石狩川河口,左岸砂嘴の浜歩き。(a)は8/1,(b,c)は8/17に出会った鳥たちです。
(a) つがいのトウネン(だと思う)。Googleレンズで問い合わせると,この手の鳥たちはミユビシギとされることが多いのですが,この子たちには白い眉斑があって,おぼろげながら脚の後ろにゆびが見える(ような)気がします。
(b) ヒバリ。木道脇の草むら。はまなすの丘ではさほど珍しくもありませんが,実ハマナスの繁みの中でそれなり風情があります。一句できそう・・・で,できない。創ることはできても詠めない。
(c) ひとりぽっちのメダイチドリ。私との間隔を微妙に保つのだけれど,あえて私が小走りに近づこうとすると,すかさず飛び立って(c-2)かなり前方に着地,一気に距離を拡げます。そうこうしながら,およそ1kmにわたって私を先導して遊んでくれました。

2024.09.01版 ほぼ同じ時刻での石狩川河口の内と外,の巻


a (10:45)

b (10:58)
久しぶり(正確には8/22以来)の石狩川河口右岸から眺めた対岸(左岸砂嘴側)です。
(a)は八幡堤防から,(b)は知津狩川河口(来札水制工)よりやや石狩川下流から眺めています。
(a)と(b)との大きな違いは水面です。(a)は思い切り穏やか。石狩川の水面に灯台の影が伸びています。対して(b)ではかなり波立っていて,とても(a)と同じ石狩川下流部の水面とは思えません。私の”石狩川河口はどこか論”(8/3版参照)によれば,(a)は間違いなく石狩川の中であるのに対し,(b)は河口の外,すなわち海なのです。川と海との水面の状況の違いを如実に現わしているといっても過言ではありません。
それはさておき(b)の砂嘴先端には思いもよらぬ沢山の人影が・・・そうか今日は歩け歩こう会が催されていたのでした。ここに来るまでにサーモンマラソンの交通規制に遭って迂回させられたりもしたのでした。

2024.08.31版 息を吹き返します,の巻

10日間のご無沙汰でした。ふと気がつけば,明日はもう9月ですものね。
たかだか茶の間の床のリフォームとタカをくくったけれど,足の踏み場もないほどに長い間雑然と置いてきた茶の間のモノをすっかり片付けねばなりません。
その中にはこの【花畔・網】のサーバマシンとネットワーク接続機器もあったり・・・(意外とそれは簡単にすんだりして)
しかし暑いさなか,けっこう大変でした。しかもその工事とは関係なく,築後45年を経た住宅に配管され老朽化したガス管(北ガスはそういう)の改修工事も重なったりして右往左往。
なんとかいま,書いています。このトシになってすることではなかったと,しみじみ実感しています。草臥れました。

2024.08.21版 河口砂嘴の汀線が凸凹に,の巻


汀線_a

汀線_b

汀線_c

汀線_d

見納め帆船_a

見納め帆船_b
すっかり調子がくるってしまって,1週間ぶりの書き込みになってしまいました。
凸凹汀線については,8/17に久しぶりに浜歩きした際のレポートです。
7/8版の砂嘴先端軌跡図でお伝えした通り,の部分(管理道路の行き止まりの先)のくびれ(凹部)は8/17も相変わらずでした(a)。
(b,c,d)は,先端を回って海沿いの波打際の光景ですが,これまで比較的フラットな海岸線だったのが数ヶ所で凸凹が目立ってきました。凹部がさらに進むと浜崖の浸食にもつながりかねませんので注視する必要があります。
また,一般的には凸部では向岸流,凹部では離岸流が発生していると考えられますので,凹部の海で泳ぐのは危険かと・・・海水浴シーズンもほぼ終わったとはいえ凹凸が極端な海岸では注意が必要です。
そしてその前日の8/16,帆船の船影は確認されました。(a)は10時過ぎ知津狩新橋から,(b)は11時過ぎなんと押琴の浜からです。
(a)では船体もしっかり見えていますが,かなり離れた(b)では船体は水平線の彼方に隠れて帆柱しか見えません。
8/16に見えましたから翌8/17にも見えるだろうと思いましたが,あにはからんやその姿は忽然と消え去っていました。なぜか裏切られた気分です。

ところで8/10版でお知らせしたわが家の補修工事ですが,工事そのものは8/27,28の予定です。が,茶の間に置かれてあるガラクタの類はあらかじめ一切合財移動してスッカラカンにしなければいけません。その下準備にパソコン周りの整理に手をつけたらキリがなく,くたばりそうです。金曜,日曜は句会もあるし。おまけに日曜は北海道マラソンの交通規制のため1時間も早く家を出なければいけません。
そんなこんなで【花畔・網】の更新も滞りがちになります。サーバマシンまでダハンこいて応答しなくなったりでご迷惑をお掛け致しますがご容赦のほどを。ともあれ,26日夜か27日早朝からお休みさせていただきます。

2024.08.14版 帆船五連発か,決定版・蜃気楼か,の巻


a

b

c

d

e
「いい加減にしなさいっ!」と,お思いの皆さん,お気持ちお察しいたします。私もまったく同じ思いです。もちろん総裁選には立候補いたしません。
今日の石狩の最高気温は27℃ちょい。じっとしていればいいのについつい石狩川河口右岸のあれこれを眺めにでかけました。左岸もうろうろしての帰り道,石狩放水路出口から港を眺めたのが運のつき。でっかい貨物船の脇,北防波堤のはるか向こうにここ数日見慣れた船影が(a)。ヤバイ,と思ったのですが時すでに遅し。東埠頭に戻って昨日と同じ角度で見てしまう(b)。
さらには石狩砂丘に逆戻りしてSP-1600ポイントへ(c,d)。8/7の画像と比べると,高島岬よりやや沖合,向きも反対ですが,碇を下しているようです。台風が連続しているので身動きができないのでしょうか?わかりません。
それとは別に収穫。高島岬の先のトド岩の蜃気楼(e)。いままで見た中でもっともクッキリと見えました。8/7にくらべて気温は低かったのですが,風の向きと強さの条件が極めてよかったものと考えられます。(それ以前の蜃気楼は5/20版)

2024.08.13版 やけのやんぱちひやけのなすび,の巻 とことん付き合いまっせ!


昨日 11:41

今日 11:28
台風も来ていることだし,いつまでいるのだろうかとなんとなく気になる。お昼前,昨日は西埠頭へ。のほほんと停泊中。
とすれば今日もいるのだろうと,花畔埠頭から眺める。い,いないっ!西埠頭はもぬけの殻。
もしかすると・・・東埠頭に走る。北防波堤のはるか彼方に赤灯台と並んでぼんやりとした船影が見える。(ズームアップ)
近くで釣りをしていたお兄ぃさんたちに訊ねると,10時過ぎに出て行ったらしい。
やはり帆は張られていないが,とりあえずこれが見納め。

2024.08.10版 帆船三連発,の巻 【花畔・網】からの大事なお知らせ,も


船首

船尾
帆船3連発?。うーむ,これでは新港管理組合の回し者,みたいではないか。情けないにもほどがある。今日は記念フェスタ当日ともあって,帆船の写真は結構とれたけれども,船首と船尾だけにする。

ということとはまったく関係ありませんが,築46年の古民家のわが家では,茶の間の床がぶよぶよして歩いているといつずぽっと抜けるかもしれません。なので,今月末にちょっとした補修工事を依頼しました。
【花畔・網】のサーバマシンも自分の作業用マシンもすべて茶の間に置いている関係上,補修工事の期間中は【花畔・網】は休止状態にならざるを得ません。いつからいつまで,ということもわかりません・・・ので,ある日突然【花畔・網】が応答しなくなる可能性があるということをあらかじめご了承いただきたく,ここに謹んでお願い申し上げます。お盆過ぎ,25日以降とは思います。

2024.08.09版 帆船入港,接岸,の巻 日本丸


a

b

c

d

e

f
明日,明後日が公開日ということなので,もうとっくに入港しているだろうと思って花畔埠頭北端に行ってみた。なんだ,まだ港外,一昨日とほとんど同じ位置。しかし船首は東に向いて動き始めた様子(a)。したらば・・・というわけで,花畔埠頭→東埠頭→再度花畔埠頭と,追っかけをやってしまってなんとなく情けない。
東埠頭沖合で方向転換()。北防波堤北の赤灯台脇を抜けて(b),石狩新港に入港(c)。ここで私も東埠頭から花畔埠頭に引き返す。2隻のタグボートに引かれたり押されたりしながら,花畔埠頭の正面(d)から西埠頭に接近(e)。ここでまたなんと180度方向転換()。タグボートたちも手慣れたものだ。向きが変わったところで,2隻に押されて接岸完了(f)。
そういえば今気がついた。10年前の8月にはやはり大型帆船・海王丸を西埠頭に呼んでいたんだよね。まだ【花畔・網】にもTopicsのない時代だったけど。2014年の画像を探したらありました。8/24西埠頭8/26花畔埠頭から。私もスキですねぇ。。。

2024.08.07版 帆船と夏の蜃気楼,の巻


a

b

c

d

e

f
暑かったですね。こんなになるとは思わず,石狩川河口右岸にでかけました。来札水制工の根元でくたばりながら対岸・左岸砂嘴先端方向を眺めると,普段見かけない船影(a)。帆はたたんでいますが,明らかに帆船。そういえば今朝の北海道新聞・石狩版に10,11日高速帆船・日本丸が公開される,という記事があったのを思い出しました。これは日本丸に違いない。
しかし暑い。死にそう。もっとあちこち歩くつもりでしたが引き上げることにしました。知津狩新橋から眺めたのが(b)です。
そしてまだなんとなく諦めきれず,左岸にまわりSP-1600ポイントから眺めてみました(c-e)。(d)は,高島岬と帆船との全体図ですが,さらに拡大した(e)では,なんとトド岩の上位蜃気楼がかなりはっきり現れています。この時期としては珍しいかも。
気象庁による海面水温実況図によると石狩湾の海面水温は24℃くらい。今日の石狩の気温はアメダス公式には32℃。しかし私の車の搭載温度計では35℃。この空気が折からの南東風で運ばれると,海面水温との差は10℃以上。蜃気楼が現れて不思議ではありません。
おまけですが,昨日,オタナイ発祥の地で暑かったのですが,その時点での石狩公式気温は23℃程度。なーんだ。しかも風向は北西。海面水温より冷たい風が流れてきていたわけで,改めて昨日の高島岬方向の画像を見てみると,浮島現象=下位蜃気楼が確認されます。
一日違いで下位/上位の逆転が見られるのもおもしろいと思います。
いや,違った,今日のメインは帆船でした。帰路,花畔埠頭北端から望むと,帆船は北防波堤の外で入港を待っているようでした(f)。

2024.08.06版 今年もなんとかオタナイ発祥の地碑,の巻


地碑

碑文

方向台 (before)

方向台 (after)

高島岬方向
昨年訪れたのは6/5。今年も行かなければ…と思いつつ億劫になる。やっと昨日(8/5),意を決して藪漕ぎ。
方向台のまわりのハマナス,アキグミ,トクサ,その他その他を持参の剪定鋏で刈る。熱中症寸前で途中で放棄。
”オタナイ”。漢字表記して”小樽内”。ここに松前藩によりアイヌとの交易所・小樽内場所が設置された。その後事情は定かではないが,間もなく小樽内場所という名前も住んでいたアイヌももろごと今の小樽のクッタルウシに移された。やがて小樽は,縁もゆかりもない”小樽”の名を正式に授かり栄えることになる。
今の小樽の地名の語源は,ここ”オタナイ”の地にあったのだ。小樽市は語源ゆかりの地を草ぼうぼうにほったらかしにするのではなく,もっと丁重に扱ったらいかがなものか。かつては石狩町の町域ではあったが,いまでは取り敢えず小樽市域であるのだから。とはいえ,余計なお世話でしたね。

2024.08.05版 沖合にうごめく船,の巻


a - 7/12 押琴沖

b - 7/30 厚田沖
近ごろ石狩のあちらこちらの浜から眺めると,遥か沖合に妖しい船が確認される。漁船ではなさそうなのに,しばらく動かない。
デジカメのズーム機能を目一杯効かせて撮ってみると,”FUGRO”,あるいは”FUKADA”の名が見える。
ともに,洋上風力発電に関わる地盤調査船のようだ。”FUGRO”の方は,石狩沖で7/47/57/17にも見られた。
私なんかは先は長くないのでどうでもいいのだが,それでも,将来への禍根を残すことのないように祈るのみだ。
今日は小樽市の市域のオタナイ発祥の地碑を鬱蒼たる藪を漕いで訪れた。オリンピックは一切見ない。目が腐る。もともと腐っているかもしれないが…

2024.08.04版 石狩川河口河川敷の花,の巻


オグルマ

エゾノレンリソウ

エゾミソハギ

クサレダマ
去年から,石狩川左岸河口で,国土強靭化計画と称して堤防工事が続けられている。国土強靭化計画だなんていかにも胡散臭いが,どうやら堤防を拡幅する工事のようだ。堤防の最下流部(ほんの少し先で堤防そのものがなくなる)でどれだけ必要なのか分からないが,堤防上もすっかり立入禁止化されているものだから,逆に気になって注目している。
8/1,左岸砂嘴をひと回りした後,どんな按配なのか見物に行った。そして工事そのものよりも堤防工事下の河川敷の草むらの中に発見があった。どれもはまなすの丘公園の東屋の先の湿地帯で見られる花たちだが,保護地区となっていて道路からは入り込むことのできない公園内と違ってすぐ目の前でひそやかに咲いている。

2024.08.03版 聚富川河口の変化,の巻 石狩川河口論参照


2023.12.02 - A

2023.12.02 - B

2024.03.30 - A

2024.03.30 - B

2024.07.31 - A

2024.07.31 - B
昨年以来,海の勢いと川の勢いとが拮抗し,川幅が狭くなっている右岸の聚富川河口(中村水制工)と左岸のドラゴンの位置近辺を結ぶ線あたりを目下の石狩川河口,と考えている。
7/31,右岸を歩いて,現在の聚富川河口の状況を確認。昨年末以降の変化(動き)を辿ってみた。
A は,聚富川河口から石狩川に向かって突き出た中村水制工の先端近く。
B は,聚富川が河口で石狩川の上流方向に向かってほぼ直角に湾曲,それに伴って伸び出したミニ砂嘴状の右岸と河道の動き。
昨年夏以降12月まで左岸でドラゴンが下流(砂嘴先端)から上流へと押された動きと同様,右岸でも上流方向への海の圧力によって聚富川河口右岸のミニ砂嘴が石狩川上流方向に伸ばされ,同時に石狩川の川幅も狭まれた。
年が明け3月になると融雪増水が始まり,石狩川の水勢が増す。それにより聚富川のミニ砂嘴も削られて縮小傾向。さらに7月の降雨による増水などでミニ砂嘴は消失,川岸もかなり後退したものと思われる。

という話とは少し逸れるが,覗きに行った7/31は強い北西風で海はかなりの荒れ模様。知津狩川河口の来札水制工近くでは激しい波に洗われていた。知津狩新橋から知津狩川左岸堤防を歩くとやがて石狩川右岸堤防に連続する。かつてはこの道は聚富川まで続いていたが,はるか以前に浸食され途中で途切れる。途切れる点も動くのだが,現時点での点から石狩川右岸上流を眺めてみる。

2024.03.30

2024.06.11

2024.07.31

a

b
いずれも今年になってからの画像だが,3/30,6/11,そして今回7/31。どんどん崖下の川岸が狭まってきていることが分かる。今回(7/31)は川岸を歩くこともできなかった。
とまた関係なく,ここからこの日の生きものがたり
(a)は目の前にいたうまづらの流木。
そして(b)は,石狩川を隔てて対岸を歩く人。なんとなく気になって注目していると,どうやら彼も双眼鏡でこちらを見ている。手も振っている。だから私も手を振る。灯台にぃちゃんに引けを取らないくらいこの界隈では知る人ぞ知る,の人のようである。

2024.07.31版 生きものがたり,の巻 浜益編


a

b

c

d

e

f
昨日)7/30)のこと。厚田までなら厭わずによく行くけれど,片道1時間以上はかかる浜益までとなるとかなりシンドクなってきた今日この頃。とはいえ浜益も石狩市内。浜益を無視したら石狩を代表する【花畔・網】の名折れである。それほどのものでもないかもしれないけど。
ということとも関係なく,昨日はふと思い立って浜益まで。脈絡なく,黄金山林道,ハママシケ陣屋跡,送毛の千本ナラなどを巡った。
一日遅れで,そこでの生きものがたり。
(a) 黄金山林道の行き止まりの黄金山登山口まで。そこで猛然と飛び交うのはアブなのか,ハチなのか?いろいろ調べてみた結果,自分ではこれはアカウシアブと結論。車を停めていると寄ってくること夥しい。排気ガスに魅せられるのかも。とにかく咬まれるとコワイ。
(b) 林道入口近く。でっかい黒い蝶々が飛び交う。もしかしたら国蝶・オオムラサキかっ!とも思われたが,解らないなりにカラスアゲハと決めつけることにした。それにしても綺麗だ。
(c) 荘内藩のハママシケ陣屋跡に向かう。川下八幡神社前に車を停めて,草むらに出る。と,ぴょんぴょん跳ねる懐かしいちっちゃいカエル。ニホンアマガエルだ。近ごろは,ヒキガエルだのトノサマガエルだのとしか出会わないが,花川に引っ越してきた40数年前には自宅の庭の植木鉢の上にも,ちょこんと座っていたものだった。
(d) 神社前から陣屋跡に向かって草の道を歩く。ふと,ヤバイッ!と思って同伴者を突き飛ばす。何も気づいていない彼女はその動作にむくれる。すぐ前に蛇がいる。いかにもマムシっぽい。しかしどうやら彼はすでに亡骸だったようだ。棒で突いても動かない。やれやれ。
(e) 戻って再び八幡神社前。神社の鳥居に貼りついているもの,セミの抜け殻だ。空蝉(うつぜみ)なる美しい語で呼ばれる。見るとひとりではなく,たちまち三人も見つかった。そういえば,殻から抜け出した成虫の鳴き声が騒がしい。
(f) そして帰路の送毛山道。今日の生きものの中では唯一の植物。千本ナラ。ナラの樹が千本あったわけではなく,かつて3本だけ並んでいた中で一番左の1本の老木。樹齢800年以上。枝が無数に伸び出していたことから千本ナラ。真ん中の1本は8年ほど前に倒れ,右の1本も支柱でなんとか持ちこたえている状態。ガンバレ。
(オマケ) 昨日は休館日だった浜益温泉前の金のカエル。貼り紙があって,7/24近くでクマ,とのこと。

2024.07.28版 生きものがたり,の巻 新川左岸編


a

b

c

d

e

f
またまたお詫び,です。昨日(7/27)未明以来,サーバーマシンのネットワーク接続が不能となっていたようです。今朝(7/28)気がつき,午前7時過ぎどうやら復旧することができました。昨日といえば,ポンコツな管理人の81歳の誕生日を祝して,同じくボンコツなマシンがダハンこいてくれたものと思われます。
そんなこんなで,またまた古い話でお茶を濁します。7/16の新川左岸近くで出会った生きものがたりです。
(a) はニワトコの実。樹はまばらですが,密集した真っ赤な実の圧倒的な存在感には息を呑みます。
(b) はアザミ。触ると痛そうで,形態はとにかくとげとげしいのですが,赤紫があまりにも鮮やかです。
私の知るところ,(a)(b)とも石狩浜ではあまり見かけません。
(c) 新川左岸の堤防上の道で,すでに生きてはいないトガリネズミ。北海道には4種ほどいるらしいのですが,そのうちのどれなのかはさっぱり分かりません。
(d) 7/16版にも書きましたが,コロニーでの子育てが一段落したのか,砂の上とか流木に群がるショウドウツバメたち。仔ツバメたちの飛行訓練も兼ねているのかも。
(e) 石狩浜でもお馴染みのホオアカ。
(f) そして,生きものではないマネキンヘッド。7/3には新川河岸で夢うつつだったのに,この日はもうそこにはいませんたでした
石狩新港を見る方向ではこんな按配,大浜海岸を見る方向ではこんな按配。この間,川の増水で運ばれたとも考えにくいので,誰かが動かしたのでしょう。ともあれご冥福を。

2024.07.25版 ドラゴンは…動かない,の巻


a (近影7/17)

b (23.12.08)

c (24.04.07)

d (24.07.20)

e (24.07.25)
5/27版以来のドラゴンです。石狩川の春の融雪期増水にもへこたれず,私はここよっ!とばかり平気な顔をしていました(a)。
しかしながら恐るべきは大雨。それに伴う増水の激流です。昨日(7/24)からの道北での大雨により,石狩川にとっては大支流の雨竜川が氾濫。これは大変なことで,石狩川の水位もかなりの上昇。ドラゴン危うし!
今朝,右岸知津狩新橋から遠望してきました。ここから見るとドラゴンはマウニの丘の直前に位置しています。そして,大丈夫,でした。直近の7/20(d)と,今日7/25(e)とを比較すると,確実に川岸は迫ってきていますが,まだなんとか余裕があります。

ついでながら,ドラゴンが砂嘴先端から流れ流されてこの位置にたどり着いたのは,(私の記録では)昨年の12/8でした(b)。海からの圧力でまだ波打ち際で途方に暮れていました。[このあたりの詳細は,コチラ]
そして冬,海からはむしろ土砂の堆積が進み,春までにドラゴンはすっかり安定モードに移行していました(c)。[このあたりの詳細は,コチラ]

今回の大雨が石狩川の本流域ではなかったことが,ドラゴンにとっての救い,だったような気がします。しかし,昨日,今日,そしてこれまでに氾濫,災害に襲われた地域の皆さんには大変だったことでしょう。心からお見舞い申し上げます。

2024.07.24版 砂丘浜崖と海食崖,の巻


A - 1

A - 2

A - 3

B - 1

B - 2

B - 3
16日大浜海岸,17日左岸砂嘴,19日押琴海岸,まではなんとか動けたものの,20日から昨日23日までの連続4日,石狩もずっと真夏日。玄関も窓も全部開けっ放しにしても風は通らず。腑抜け状態で【花畔・網】の更新もままならず。情けない。
というわけで,5日ぶりに言い訳を書き連ねています。ごめんなさい。
なんとか再開しようとしていますが,この間ほとんどどこにも出かけていませんから19日までのネタでお茶を濁します。

石狩(もっといえば銭函あたり)から厚田にかけての石狩海岸は還暦を遥かに過ぎてからの私のホームグラウンド。起伏に富んでいて,浜沿いには崖が連なっています。しかしこの崖は無煙浜あたりを境として様相が一変します。
無煙浜以南では砂丘が波に削られてできた浜崖で,高くてもせいぜい5mといったところ。
一方無煙浜以北には砂丘は見られず,大昔海底が地上に隆起,長い年月をかけて波浪が浸食してできた海食崖がそそり立っています。ところによっては10m以上の高さがあるかも。

ここでは砂丘浜崖と,海食崖とを比較してみます。
(A) 7/16の大浜海岸
新川河口左岸側から大浜海岸の砂丘浜崖を眺めた画像が(A-1)です。クリックして展開すると赤↓で示していますが,新川に最も近い最高地点が石狩新港方向をいつも眺める観察定点です。しかしこの日も7/3と同様視界が悪く霞んでいました
砂が堆積して高くなりつつ海側からは削られて,年々形状がかなり変化。すぐ脇に上る道があったのだけれど今ではかなり急になっています(A-2)。それを敢えて下りる(一部尻滑り)年寄りがいて,下りてから(A-1)とは逆に新川河口方向を眺めたのが(A-3)です。滑り降りた跡がよく分かります。
(B) 7/12の古潭南海岸
この日先に行った押琴海岸は古潭漁港の北側に隣接していますが,漁港の南側には集落が古潭川河口まで続きます。河口からさらに南側・嶺泊北方向の海食崖を眺めた画像が(B-1)です。浜が極めて狭いのがよく分かります。崖は常時崩落しているようで,逃げ場もなくてコワイです。時には植物の塊りも。見上げると(B-2),崖の頂部では植生が庇状に伸び出しています。あんな上に乗ったら間違いなく植物と一緒に転がり落ちるであろうこと必定。崖の上は春先に群来の確認によく行くところなのでクワバラクワバラ。そして今年は放棄されたと思われるショウドウツバメの巣もありました(B-3)。

2024.07.19版 アオバトたちとやっと仲良くなれた,の巻


a

b

c

d

e

f
7/12には悲しい写真しか撮れませんでした。口惜しいので一週間後の今日,再チャレンジ。
昨日までの猛暑?と打って変わって昼前から雨の予報。押琴浜に着いたのが10時過ぎなので,雨が降る前の1時間半ほどが勝負。
おそらくアオバトたちも,6月10日過ぎにこちらに来てから1ヶ月以上たち,生活に慣れてきたのかもしれません。
今日はどっさり姿を現してくれました。
とりわけ(b)には,1画面になんと21のアオバトさんたちを捉えることができました。快挙です!なんてね。(7/20 追記)

2024.07.17版 花と実と,の巻


タチギボウシ

クサレダマ

エゾナミキ

アキカラマツ

ヒョウタンボク

ツルウメモドキ
今日は石狩でも31℃超え。9時前に家を出て,12時には家に帰る,という午前中の河口砂嘴歩き。なんとか日射病にならずにすみました。
けれど,スマホのGPS機能が不具合を生じたようで,歩いた軌跡の肝心の部分が残っていませんでした。たまにあるけど,そのたびに口惜しい。
ので,東屋の先の花模様。前回まではノハナショウブの世界でしたが,今日は,タチギボウシ(やや淋しい群落),クサレダマ,エゾナミキ,そしてアキカラマツ,など。
それと,はまなすの丘までの途中の海岸通りでの,ヒョウタンボクとツルウメモドキの実。
東屋の先,何カ所かに立てられているカメラが嫌な感じ。なにを写しているのやら。

2024.07.16版 ショウドウツバメたちには熱中症など無縁,の巻

裕福なインバウンド外国人(一部日本人も含む)と違って,人混みがとにかく苦手な私は,14,15日の連休はじっと息を潜めていました。
そして今日(7/16),満を持して7/3以来の大浜海岸へ。ツバメたちのコロニーはさらに拡大。浜辺の砂の上や流木などにも群がっていました。若鳥たちが飛行訓練しているのかもしれません。
あまりにたくさんの写真が撮れたので,6枚選ぶのに難儀しました。
ほとんど日射病(ま,熱中症)寸前。命からがら帰ってきました。

7/12にはアオバトに会った後,古潭漁港の南側,嶺泊方向に崖下を歩いてショウドウツバメたちを探索したのですが,無駄でした。海食崖の崩落が恐怖でした。そのうち書きます。
ホントは亜麻の写真をもっともっと飾りたいのですが,それもなんだかねぇ。。。です。

2024.07.12版 やっとアオバト,の巻 昨年の初日は6/19


a

b

c
そろそろかな?と思った6/10以来,なんと8度目の押琴詣で。ようやくアオバトさんの姿を捉えることができました。
6/20に初めて姿を確認。しかし,情けなくも見ただけ。その後も見えたり見えなかったり。7/10にはカメラにSDカードを入れ忘れて出かけたりして散々。今日(7/12),どうにか撮ることはできましたが位置取りも悪く,名人?の私にしては甚だ悲しい写真しかお見せすることができず,ツライです。またネ。

2024.07.11版 亜麻見ごろです,の巻 7/10版からつづく 画像追加 7/12(f,g),7/13(h,i)


d (5:54)

e (8:30)

f

g

h

i
主演・月丘夢路,葉山良二。『乳房よ永遠なれ』。まだ,ご存知の方はご存知かと思います。70年前の日活映画。古い話ですけどねぇ。
いまでは亜麻といえば当別ですが,わが家の亜麻はそんなもんと関係ありません。
『乳房よ永遠なれ』の原作・『乳房喪失』の作者・若くして亡くなった女流歌人・中条ふみ子にちなんだ催し(映画会)があった2004年の翌年に,ふみ子が愛したといわれる亜麻の種を播いたことから始まりました。爾後20年。
実は甚だメンドクサイものだから,なんだかんだ文句を言いつつ育てても,花が咲き始めたら見ごろはたかだか一週間かせいぜい十日間。あっという間。情けないくらい。それこそが永遠なる乳房,といえるのかもしれません。
20年めの今年は7/5に開花し,昨日7/10かなり咲いたよなぁ,と思ったら今日はもう見ごろです。しかも見ごろは数日しか続きません。
早朝にはまだ開ききっていない花びら(d)も,8時すぎたら開き切り(e),お昼過ぎには散り始めます(一日花)。

2024.07.10版 亜麻の季節,の巻 7/5版からつづく


a

b

c
今年は7/5に開花した亜麻。6日に5ヶ,7日に18ヶ,そして次の8日にもなぜか18ヶ。9日には目が覚めてどっと80ヶほど。
10日,つまり今朝は数えるのもメンドクサイくらいおよそ200ヶくらいの開花(a,b)。これまでほとんど見たことのないセセリチョウ?もやってきていました(c)。
どっちにしろ亜麻の華やかな時期はあと1週間ほどの命です。
と,そんなこととは関係なく,今日はほぼいち日パソコンの不具合と格闘していました。それがねぇ,もう,ダミダコリャ,と諦めて,このあと【花畔・網】をどうしたものかと思案しつつ庭をのそのそ歩いて,皆さんさよーなら,なんて思いながらパソコンの前に戻ると,キツネの仔みたいな顔をして私を待っていてくれるではありませんか・・・
コイツらいったいなんなんだっ!
というわけで,今日も更新することができました。明日はわかりませんけど。

2024.07.08版 砂嘴先端地形変化のその後-4,の巻 5/27版からつづく


砂嘴先端2024-1

コヨシキリ

ノゴマ

シロチドリ

ヒバリ
前回5/27版5/20の浜歩きの報告でした。それ以降浜歩きしていなかったわけではなく,6月は3日19日の2度,そして7月も4日に歩いてGPSの軌跡を得ています。
今回の河口砂嘴先端軌跡図は,5/20,6/3,6/19,7/4の先端地形変化を記録しています。際立った劇的な変化は見られませんが,図中の部,部でひとつの傾向が見られます。どちらも砂嘴先端が浸食されて後退傾向にあることです。部で40mほど,部で20mほど。そして,
の部分。前回の軌跡図では4/13から5/20にかけて砂嘴が対岸方向へと膨らむ動きが見られたのに対し,5/20以降は逆に衰退傾向となりました。
の部分。前回の4/13から今回の7/4にかけて一貫して衰退傾向にあることが分かります。

そしてそれだけでは淋しい気もしましたので,7/4にはまなすの丘で会えた,というより撮れた鳥たちも並べてみました。
こんなことを書きながら,草取りに明け暮れた(大袈裟)今日でした。明日も天気はよくなさそう・・・また草取り,かな?

2024.07.06b版 公民館夏まつり,の巻


a

b

c
石狩市では,明日,公民館夏まつりが催される。なんとなく盛り上がりに欠ける催しなのだが,行きがかり上石狩かしわ俳句会も展示に参加することになった。今日午後,メンバーの作品(主として,俳句の短冊)の掲示作業に出かけてきた(a)。
作品も少ないのでアンタの俳画(というほどのものではない)も出しなさいとのお達しを受け,ここではずでにお見せ済みの画像に下手な俳句を付け加えて2点出させていただいた(b,c)。恥も外聞もない。

2024.07.06a版 ヒナが顔を出していた,の巻 7/4版の補遺


a

b

c (10:37)

d (11:01)

e
大浜海岸のショウドウツバメの営巣地は,例年砂丘の最もドリームビーチ寄りの浜崖に構成され,今年も大規模な営巣が行われている(a)。
今年はさらに,そこからやや東の浜崖にも小規模ながら営巣地が見られる(b)。
7/3歩いた時にはそのどちらでも肉眼ではヒナの姿を確認できなかった。てっきり早過ぎたのだと思った。
けれど昨日,230枚ほどの画像を眺め直してみると,,,ヒナが巣穴の出口で親を待っているではないか(c,d)。やや時間差がある分,(c)と(d)とではヒナが顔を覗かせている穴が異なる。
そして(e)は,(d)を拡大した画像である。

2024.07.05版 亜麻が咲きました,の巻 5/28播種6/2発芽


a

b

c
今年も亜麻が咲きました。今朝は2輪のみ(a,b)。(c) は今朝の全景。
昨年の開花は6/30。播種後39日目。今年は昨年より5日遅れの開花ですが,播種後38日目。
自然は律義です。
と,思って今日も押琴浜に出かけました。けれど,アオバトにはまたまたまた会えませんでした。自然は結構したたかです。そして暑かったです。明日はもう,どこにも出かけません。午後,学びセンターに行かなければいけませんが。

2024.07.04版 ショウドウツバメ,ほか,の巻 ショウドウツバメは6/3版以来


a1

a2

a3

b

c

d
(a) 7月に入ると,ショウドウツバメのヒナたちが巣穴の出口に顔を見せる頃だ。昨年は7/13に大浜海岸に出かけてヒナたちに出会えた。
今年も,と思って昨日(7/3)大浜海岸へ。時間に律義な自然界で10日の違いは大きいことを思い知らされた。親たちは頻繁に飛翔し巣穴に出入りするものの,ヒナたちの姿を見ることはできなかった。口惜しいからまた出直さなければ・・・
(a3) は巣穴から飛び立つ直前の親鳥と思われる。

(b) それはそうとバッタ塚に駐車し,新川左岸を歩いていくと,河口近くになにやら怪しげな物体が。どうやら性別不明のヒトの頭が転がっているではないかっ。ま,河口近くではよく出会うこと。とはいえしばらくぶりのマネキンヘッド。さまざまな事件がおきる今日この頃のことだけに,ややコワイ。

(c) この日は暖かだったが靄がかった空模様で見通しが悪く,銭函海岸の砂丘定点から石狩新港方向を眺めると,なにもかもほとんどうっすら。6/2の画像と比べるといかにも情けない。

(d) そんなこんなでこの日は大浜海岸にさっさと見切りをつけて,石狩川河口右岸に仔ギツネに会いに行った。そして仔ギツネにも嫌われた。情けない。ふと見ると,普通は海の中に浮く離岸堤の上にたむろしているウミウが,1羽だけ砂浜で叫んでいた。もしかしたらキツネに替わって今日はウミウになつかれているのかもしれない。近づく。彼はたちまちバタバタと海の中に逃げ込んでしまった。紛らわしい。

そんなこんな,今日(7/4)も石狩浜を徘徊,砂嘴先端でたゆたっていた。しかし・・・9人兄弟の末っ子で親兄弟すべてに先立たれた孤独人間を売りにしながらやたら親しげに話しかけてきて,無口で真に孤独を愛する私を閉口させてくれた後期高齢者というおっさんが現れたことも含めて,虚しいいちにちだった。


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