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トピックス 2024-D (10- 月) 2024.10.01 公開
2024.11.23 更新
前のトピックス
2024.11.23版 リスとドングリ,の巻
i (10/22)
h1 (10:16:32)
h2 (10:17:30)
h3 (10:17:32)
h4 (10:17:36)
h5 (10:17:38)またまたしつこくエゾリスでゴメンナサイ。一度嵌まったら,もがけばもがくほど抜けられなくなるお爺さん,なのです。
(i) 昨日(10/22)のことです。クルミの脇に転がっていたドングリを拾い上げてみると,,,あ,怪しい。。。これはもしかしたら,いやきっと,リスが遺した歯型ではないだろうかっ!
(h) そこで前回(11/15)現れた時の画像を入念にチェックしてみました。()内の数字はここでは撮影時刻で,何秒までは正確な時刻を保証するものではありませんが,リスがどのくらいの敏捷さで動いているかを察知することができるでしょう。
リスは現れてはクルミを咥えて去り,そしてまた現れるを4,5回繰り返しました。
(h2-5) がドングリとの格闘編。そのひとコマ先が(h1)で,2秒後にクルミを咥えて立ち去りました。この画像の←のドングリを注目してください。
56秒後にまた現れたかと思うと間髪入れず咥えたのがドングリだったようです(h2)。(h1)のドングリはなくなって,咥えられています。
その2秒後の画像を拡大(h3)。長く鋭いノミのような前歯で割ろうとしています。
2,3秒そのドングリと闘っていましたが,美味しくなかったとみえて別なドングリに目をつけニオイを嗅いでいます(h4)。
しかしドングリはやはり気に食わなかったのでしょう,すぐに近くのクルミを咥えました。それが11/21版の(e-2)で即座にすっ飛んでいきました(h5)。見ると最初に噛みついたドングリが残されていることが分かります。
(i) のドングリはこのドングリに間違いないでしょう。リスには,ドングリよりクルミ,なのでしょうね。
ついでに,クルミやドングリの中に,プラタナス(鈴懸の木)の実も紛れ込ませておきました。どうやらこれにも齧られた痕跡が。でもこれはいかにも美味しくなさそう。
2024.11.21版 続・リスとクルミ,の巻
e - 1
e - 2 (10:17:38)
e - 3
f
g - 1
g - 2(e) 11/14版の後,実はその翌日11/15にもエゾリスはいろいろな表情を愉しませてくれた。けど,その後杳として姿を見せない。
なにしろ11/18から3日間ほど庭も白くなった。
(f) 11/19,それでも果敢にアタックする足跡。カラスだ。エゾリスよりよほど頭がよいのかもしれない。
(g) 今日(11/21)つまらないから,ふと思いついてエゾリスたちの素行を確かめてみた。11/14版の(d)で獲物を隠して安心している姿があったところだ。落葉をよけてみると,あっけなくその下に隠されたクルミ?が発見された。うーむごめんね,また落葉を被せて隠しておいた。
でも,この所在を彼はしっかりと覚えているのだろうか。だとしたら私は躊躇なく帽子を脱ぐ。ゴメンナサイ。
2024.11.17版 こ,これはねぇ。。。,の巻 第一突堤の頭
A (10/21)
B (11/16)
C (11/16 拡大)
D (10/9)
E (11/16)昨日(11/16)は満月。ということは干満の差が大きくなる大潮。そこへ高気圧がどっかり乗っかってくれればさらに海面が押し下げられて潮位が下がる。潮位が思い切り下がると,再び三度第一突堤がひょっこり顔を出す。と,大いに期待した昨日だったが,肝心の高気圧が弱々し過ぎた。先月第一突堤が現れた10/21の観察時の潮位(あくまでも,港湾局により新港東埠頭に設置された潮位計によるもので,石狩川河口右岸の潮位とイコールとは云い切れない)はマイナス20~25cm(東京湾平均海面を基準として)。一方昨日(11/16)観察時の潮位はマイナス5~10cm。15cmくらい負けている(高い)。結構目を凝らしたつもりだったが,第一突堤の頭を認めることができなかった。
しかしパソコン画面でおもむろに撮影画像を睨みつける。第二突堤寄り付き堆砂の定点観察点Tbから首を振って第三突堤方向を眺めた画像,A及びB。A(10/21)には右側にくっきりと第一突堤も写っている(赤楕円)。B(11/16)ではどうか?な,なんだか赤楕円の中はあやしい。さらに拡大して見たのがC。間違いない。水制の木杭が1ヶだけ海面から頭を覗かせている!しかしさすがにこれは肉眼では無理だっ。
いまさらながらの蛇足
最近凝っている突堤(第一,二,三)はいずれも河口導流堤(1959年着工)の付随工作物。第二突堤だけは導流堤の基部としてテトラポットを主体に頑強に構成されているけど,第一,第三は浸食から導流堤を護るための木杭(一部コンクリート)主体の水制工で脆弱。私同様余命いくばくもない。
知津狩川河口と聚富川河口との間にそれらよりも古い1957年施工の第四号水制の遺構がある。これも木杭の構造であるが,浸食を免れいまだに陸続きとして残存している。DとEに,10/9と11/16の雄姿?を示す。砂の堆積/浸食状況そして潮位によって,かなり姿を変える。例えば同じように歩いた7/31にはまったく確認できなかった。
2024.11.16版 今朝の満月と朝陽,の巻
5:41
6:00
6:37
6:40西の空に満月が沈んでいきました。
およそ30分後,東の空には朝陽が。
それだけのことですけど,なにか?
満月といえば,大潮。朝陽ということならもしかしたら高気圧。潮位が下がるぞっ!
右岸向けて突っ走りました。けど(●´ω`●) また明日。
2024.11.14版 3コマ・リス×4,の巻
a-1
a-2
a-3
b-1
b-2
b-3
c-1
c-2
c-3
d-1
d-2
d-3クルミがしょっぱくて美味しくないからもう来ないのかと思っていたら,今朝またいきなり現れてくれた。嬉しい。
(a)は,ゲットしたらそれを咥えて素早く逃げて行った。けれど,(b),(c)になると徐々に余裕を見せつつある。
最後の(d)は,明らかに獲物を隠してひと安心しているような素振りだ。
結局,ドングリと,その袴ばかりが残ってしまう。クマと違ってドングリを食べる風習はないらしい。
好天の今日,またまた右岸の浜に行ったお爺さんは,クルミを拾ってきたのだった。しかしこういうのって,いいのかどうかわからない。
2024.11.13b版 とりとめもなく,の巻
a-1
a-2
b
c(a) 10/31b版で書きましたエゾリス,その後杳として現れません。浜で拾ってきたクルミが余程美味しくなかったのでしょうか。それにしては,転がしておいたクルミがかなり減ってきています。どうやら犯人はカラスたちのようです。用心深くやってきて,咥えて飛び去ります。電線に止まったかと思うと,下の舗装路にぽとっと落とします。また,息の合った車が通りかかり,クルミを踏んずけて粉々にしていきます。ゴチソウサンと叫ぶカラスの声が聞こえるようです。
(b) 昨日(11/12)は石狩浜左岸砂嘴を歩いてきました。はまなすの丘公園の木道が工事中で通行禁止でした。かなり痛んでいましたからね。工期は来年2/5まで,とのこと。それに伴って,砂嘴先端方向へは堤防上を歩くことになります。その先の木道は冬枯れながら気持ちよく歩行可能。
【11/17 追補】11/16立ち寄ると新たな工事標識が。それによると工期は12/10まで,とのこと。どっちが正しいの?
(c) 11/8版に書きました石狩川河口左岸の定点観察点から昨日も撮った画像です。10/29の画像と2週間経て寸分の狂いもないほど変わりません。堆砂の寄り付きによる地形変化でも,右岸第二突堤近辺と左岸河口とでは変化のスパンがかなり異なっていることが分かります。こちら側は少なくとも半年周期で考えてもよさそうです。
2024.11.13a版 右岸・第二突堤堆砂の動き,の巻 10/23版につづく
2024.10.21
2024.10.26
2024.10.30
2024.11.03
2024.11.06
2024.11.10
GPS軌跡上6枚は,定点観察点Tbから。
左は,10/21と11/10の汀線軌跡。
10/23版A図参照その後,10/21から11/10までの堆砂の動きを,3~5日おきに崖の上の定点観察点Tb点から追って見た。
ご覧になって明らかなように,堆砂は第二突堤先端側から手前の浜側へと移動してきている。それはGPS軌跡図からも読みとれる。
ただしここで注意すべきは,観察時の潮位である。石狩湾潮位でみると,10/21は-25cmと突出して低く,その次には11/10の+5cm,それ以外はすべて+10~20cm。遠浅の波打際で30cmも潮位が低かった10/21には,他の日の汀線より20m以上も沖合に膨らんで歩くこともできたということも示している。海水をたっぷり含んだ砂は液状化している可能性もあるのでやや怖ろしい。かつて液状化した砂に足を取られて転倒し,高価な?カメラを燃えないゴミとしていまった前科者なのにまだ懲りない。
それはともかくこの週末からの数日,日中の潮位が数センチ(天文潮位)まで下がる。さらに高気圧に覆われるという好条件が重なると10/21に劣らない低潮位が期待される。第一突堤がまたまた頭を覗かせるなど,見逃せない。
2024.11.08版 石狩川河口左岸の地形変化,の巻 9/21版(右岸)につづく 11/8に更新したにも拘わらず,11/7版としてアップしてしまいました。訂正させていただきます。
2017.10.25
2018.09.20
2020.06.13
2021.07.19
2023.04.22
2024.07.22
2021.10.26
2022.10.26
2023.10.23
2024.10.29上の6枚は Google Earth の背景過去画像である。つまり,再びヒトのフンドシね。
左の4枚は,そこに示されている定点観察点から,衛生センターのある北東方向を眺望した画像である。河口の地形変化といえば,近ごろはもっぱら右岸が興味の対象となっている。とりわけ9月の半ば以降から始まったと思われる第二突堤への堆砂の寄り付きから目が離せない。10/21までの動きは報告済みだが,その後も10/26,30,11/3,6と足繁く通い続けている。何が面白いんだか・・・自分でも呆れる。
しかし一方,左岸(砂嘴先端)の地形変化を記録することは【花畔・網】としては当初からの最重要課題である。こちら関連の報告は5/27版をもって途絶えているが,先端の劇的な伸び縮みも見られず,ドラゴンも地上に安住していて変化に乏しいのでサボり続けていた。
今回急に思い立って Googleさんの過去画像を並べてみた。2019年,2022年については使える画像が見当たらなかったので,とりあえずは2017年から今年までの最近7年間の変化ということで見てみたい。
すぐに分かることは,2018年以前(Aとする)の画像と,2020年以降(Bとする)の画像とには明かな違いがあるということ。
Aでは,石狩灯台から砂嘴先端までの距離は約1500m。そして各年1枚の画像からでは到底分からないが,夏には先端が上に伸び,冬にはそれが圧し潰されてその分川幅を狭めるように右にせり出す,という季節的な変化が毎年のように繰り返されていた。
一方Bでは,灯台から先端まで約1300m。多少は伸び縮みするにせよAに比べると200mほど縮んだまま。顕著なのは背景画像中赤楕円で示した川岸部分の膨らみが上流方向(図では下方向)へ年々継続的に発達しつつあること。先端方向へは気まぐれに伸びることがあっても安定しない。
ではAとBとの間に何があったのか。2019年秋から2020年夏にかけて砂嘴先端が激しい浸食を受けて押し潰され,その分川側へと土砂が押し出された。それ以降この変化が定着,常態化してしまっているのだ。何故だろうか。上流から流されてくる土砂,沿岸を動く漂砂の増減,川の流れ,潮の流れ,さまざまな要因はあるのだろうが,差し当たり説明はつかない。
そこでついでながら,私が写した下4枚の画像。
私には毎回同じ位置,角度で眺望する定点観察点が数多ある。この4枚の画像の定点の設定は,注目に値する動きを察知した2021年後半のある時期からだ。だからそれ以前の画像はないのだが,堆砂の寄り付きが年々手前に迫ってきていることがよく分かる。この現象も右岸の堆砂の寄り付きに類似しているが,4年以上に及んで一貫した動きであることも侮れない。
ということでこの話,ここんとこ何度も三度も書こうと思いながらその都度,うたた寝したり,徘徊したり,八つ当たりしたり・・・
5日ぶり,ようやく更新することができた。書き損ないもあるかもしれないけど,めでたい。
2024.11.02版 秋の移ろい,の巻 紅葉山公園
9/2
10/1
11/2エゾリスは,昨日も今日も現れてくれなかった。天気が悪かったせいかもしれないし,お爺さんが見逃したのかもしれない。もしかしたら,浜辺で拾ったクルミなので,しょっぱくて驚いたのかもしれない。
まぁいいや。いまこうして向き合っている作業用のパソコンは10年と8ヶ月のつきあいになる。すでにくどくど書いているようにしょっちゅうヒステリーを起こして動かなくなる。昨日は突如デバイスエラーと表示され勝手に再起動。PIN(暗証番号)を入力後”ようこそ”画面が延々4時間続き一切の作業を拒絶された。これはそろそろ寿命なのかもしれない。人生最後のパソコンに買い換えなければと思い,昨夜から今日の昼過ぎまで必要なファイルをハードディスクにコピーするバックアップ作業に追われた。ただ,いま新たにパソコンを買っても,それを使いこなせるようにセットアップできるかどうか,はなはだ自信がなくなっている。5年ほど前の自分はすでにいない。
うろうろと外に出る。幸い雨も上がってくれた。紅葉山公園の紅葉も終わりかけている。過去の画像を探すと,うまい具合に月一のペースでこんな気分になっていることが分かった。それもあながち悪くはない。
9月にはカメと出会って報告した。実は10月にもホースにしがみついていたのだが,さすがに朝晩冷え込む11月には姿がなかった。来年もまた会えるのかどうか。ああ見えて彼も必死に生きているのだろう。
2024.10.31b版 エゾリスに救われる,の巻 時雨虹を追っかけての一句
a
b
c
d
eたくさん撮った写真の中からこれはいけるぞと思うものを選び出して,いつも使っている何通りかのアプリケーションを用いて画像を加工整形し,それらの画像を組み合わせて表示する文章を構想し,閲覧用のブラウザ(EdgeだとかFirefoxだとか)に表示可能な形式の書体(html)に変換する。何通りかの手続きを踏むことになるのだけれど,大体は決まりきった手順を踏めばいいだけのことで,への河童だ。いや,だった。
近ごろその決まりきった手順を思い出せなくなることが時おり起きる。つまり,次にどうしたらいいのか分からなくなるのだ。もがくことになる。周りに八つ当たりすることにもなる。
道に迷うということは,もしかしたらこういうことなのかもしれない。いつものように目的地に向かって歩いているのに,途中の交差点でふと右に行くべきか左に行くべきかが分からなくなってしまう・・・ということに通ずる現象なのかもしれない。
お爺さんは,実は不安なのだと,声を大にして叫びたい。
そんなお爺さんは浜辺に行くといろんなものを拾って持ち帰る。たとえばクルミ。浜辺には驚くほどたくさんのクルミが転がっている。それからドングリ。石狩の浜近くにはカシワの木が自生し実をつけている。
それらの木の実を庭に転がしておく。花川にだって野生の生きものが結構いる。リス,ネズミ,モグラ,キツネ,ウサギ,タヌキ,シカ,クマ・・・ウソだ,クマにはさすがに出会ったことがない。
差しあたっていまの狙いはリス,エゾリスだ。さっそく今朝6時半過ぎ,現れてくれた。嬉しい。
クルミのほか,隣家のイヌバラの実(ローズヒップ)もお目当てらしい。
しばらくは彼らとの朝の出会いが楽しみである。時雨虹を追いかけても道に迷わずにすみそうだ。
2024.10.31a版 更新が思うに任せない,の巻
a
b
c-1
c-2年甲斐もなくウロチョロしているので,更新のネタはそれなりにある。そればかりでなく,プーチンだ,ネタニエフだ,トランプだ,裏金だ,闇バイトだ,なんだかんだ・・・腹立つことも目白押しだ。けど,パソコンに向かう前にうたた寝してしまって,目が覚めても廃人同様にぼぉ~としてしまって筆が進まない(なんて,格好つける)。これは紛れもなく認知機能がじわじわ衰退しつつある証左に違いない。まぁ,抗ってみたところで来るものは来るのだから仕方がないのだけれど,今朝は庭にエゾリスが遊びに来てくれて嬉しかったので頑張って更新したい。
(a) 八幡の堤防を走っていると,時々キツネと目が合う。これは10/11。石狩川の右岸は右岸だけど,かなり離れているので第二突堤近くで出会って友だちになった(と,勝手に思っている)仔ギツネとは違うだろう。スマホに録音した声を聞かせてもキョトンとしていた。友だち仔ギツネに関しては,6/26版,6/21版,6/17版,6/7版に詳しい。彼の姿は,6/25に,テトラポットに隠れるシッポが見納めとなった。
(b) 10/15,これも八幡の堤防での目撃。この時期から年末にかけて現れるムクドリの群れに違いない。川岸のアキグミの実を啄ばみにくるようだ。その後も何度か見かけたが,まだ左岸では目撃していない。
(c) これは10/28。終日小ぶりの雨雲が次々に通り抜け降ったり止んだり。この時期特有の時雨(しぐれ)模様。合間に日が差すと北の空に時雨虹。住宅地で虹を撮る時は,よそ様の家の窓が入らぬよう気を遣う。ともあれ私にとっては今年初めての虹だったような気がして,出たり消えたりするのを追いかけまわした。
(番外) 10/30,石狩俳句コンテスト,今年の天位句『けあらしや鮫様棲むといふ大河』の木碑が立てられた。
(番外) 10/26に行われたらしいのは,石狩灯台のイベントなのか,灯台にぃちゃんのイベントなのか? 北海道新聞の提灯記事(10/31)。石狩灯台マニアを自称する私も,近ごろはこうしたイベントにうんざりしている。
2024.10.25版 第一突堤力いっぱい,の巻
a (10:57)
b (11:37)
c (11:43)
d (11:51)
e (12:24)
f10/23版にも書きましたが,10/21は,10/18に続いてそれ以上に第一突堤が海面上に姿を現してくれました(a-e)。
確認した時間帯での石狩新港潮位は,18日でマイナス15cm程度,21日ではマイナス25cm程度と推測されますので,当然21日の方がめったない程の好条件です。
今回の背景は,(a)小樽高島岬。 (b)来札水制工とその手前に第三突堤。 (c)対岸・左岸砂嘴先端。 (d)北防波堤と洋上風車。 (e)離岸堤の端っこ。
とりわけ (c) に注目すると,第一突堤がふたつのゾーンに分かれていることが確認できます。向かって左側が浜側のゾーン,右が沖側のゾーンで,沖側のゾーンは海面上すれすれで波が下がらないと現れません。通常見られるのは浜側のゾーンです。
また直接関係ありませんが,(d) では北防波堤や洋上風車のジャケット基礎が空中に浮く下位蜃気楼も確認できます。
(f) もののついでですが,10/18には第二突堤先端のテトラポットまでたどり着くことができ,このテトラポット上から河口導流堤の激写に成功しました。10/4以来2度目のオッカナビックリでした。
2024.10.23版 堆砂いよいよ膨らむ,の巻
10/20 (11:16)
10/21a (11:27)
10/21b (11:27)
10/21c (11:42)
A
B10/19版に書いた通り,10/20,10/21と2日続けて右岸。第二突堤詣で。
10/20は石狩湾潮位マイナス15cm程度。Good!ながら生憎の強い北西風。波も結構あって水際を歩くのもやや怖。
10/21は潮位マイナス20cm以下!南東風で波静か。まさしくお誂え向き。恥ずかしがり屋の第一突堤もバッチリ。
しかしその件はまたの機会に譲って今日は第二突堤に寄り付いている堆砂の動き。ますます大きくなりつつあって,同じ尺度の画像ではとても入り切らなくなってきた。10/20では手前側に肥大化し,10/21ではa,bに分割せざるを得ない。
ここまではこれまでと同様,定点観察点Ta点からの画像だが,今回はさらに150mほど南の崖の上のTb点からも眺めてみた。その画像が(10/21c)である。
堆砂の形をより実感可能なようにGoogle Earth画像に歩いたGPS軌跡を落とし込んでみたのが(A,B)である。
堆砂領域がかなり大きいことが分かるが,謎は,これらの堆砂の供給源はいったいどこにあるのだろうか,ということ。最近これに見合う浸食が近くにあったとも考えられないので,普通に考えると海中に漂う沿岸漂砂が潮流(向岸流)に乗って運ばれてきたとするのが妥当なのかもしれない。最近いよいよもの忘れがひどくなってきたお爺さんにとっては,難題である。一緒に考えてくれる若者はいないのか。
ま,それはともかく,次は11月半ばまで,極端に潮位が下がることは期待できない。
2024.10.19版 老いの執念,昨日の続き,の巻 今日は第二突堤
6/11 (12:26)
10/11 (13:28)
10/13 (11:08)
10/15 (11:00)
10/17 (9:20)
10/18 (9:42)第二突堤への堆砂の寄り付きに今年初めて遭遇したのは9/23。(9/25版参照)
ここでは得意とする定点観察点(第二突堤付け根の崖の上のTa点)から眺めた画像を並べてみた。なにごともなかった6/11と,日々堆砂が動いている10/11以降の画像である。10/13は強い北西風で海は荒れていて,潮位も高かった。(これら以前の10/4の画像は10/8版参照)
9/28版で,堆砂が寄り付く前の9/1,9/12の画像を並べてあるが,6/11の画像とほとんど変わらない。すなわちこれが,第二突堤南側のごく当たり前のの情景で,6/11画像の中で赤矢印を施したテトラポットの先には普通は進めなかった。それが今のところ第二突堤先端近くまでラクラク進めるのだ。
しかも寄り付き堆砂は見て分かるように拡大しつつある。寒冷前線が通過した今日はなすすべもなかったが,明日は寒気を伴った強い高気圧に覆われるという。11時半ころが干潮。見逃せない。西高東低の気圧配置でかなり荒れ気味みたいだけれど,波に浚われないようにお爺さんは気をつけよう。
2024.10.18版 老いの執念,の巻 右岸・第一突堤にこだわる
a (9:07)
b (9:52)
c (10:06)
d (10:20)
e昨日も書きましたが,ほぼ一日おき,そして今日(10/18)は昨日に続いての連日。向かった先は右岸第二突堤。というより,この間第二突堤がらみで書いていますが,本命は実は第一突堤。
昨年末の11/27,そして12/15に見たのが彼の最後の姿だった。通常の潮位では彼は生き残っていたとしても海面下で見られない。高気圧下の干潮時が絶対条件。今日やっと,午前9時から11時にかけて潮位マイナス10cm以下という願ってもない条件。老いの一徹のお爺さんは,文化祭もヘチマもあるもんかと頭を出した第一突堤を様々な角度から狙ったものでした(a-d)。
(a)の遠景は小樽高島岬。 (b)は来札水制工とその手前に第三突堤,さらに手前に2本ほどの第一突堤。 (c)は対岸・左岸砂嘴先端。 (d)は離岸堤の端っこ。いずれにしても彼は,海面下でも健気に生き続けていたことが確認されました。
ついでに近ごろクローズアップされてきた第二突堤に寄りつく堆砂(e)。いよいよ肥大化しつつあり,この先どこまで成長するのか目が離せません。ということは,これからも通うってことなのかしらん?
2024.10.17版 明日から石狩市民文化祭・展示部門,の巻 Topicsは1週間のご無沙汰でした
2024.10.10版 もっと第二突堤先端から河口導流堤,の巻 知津狩川左岸から
2024.10.08版 第二突堤先端から河口導流堤を激写,の巻 9/28版とも見比べてください
a
b
c
d
e (10/8)花畔大橋下をうろついた10/3以降連日,午前10時ころから正午過ぎにかけての観察最適時間帯に干潮を迎え,さらに高気圧に覆われて潮位がぐっと下がる日が続いた。じっとしていられない老人は,10/4,5,6と連続してでかけたのだった。訪れた時間帯での潮位は,いずれも0~マイナス5cmそこそこ(この値は東京湾平均海面を基準としての石狩湾海面の標高値である)。
タイトル通りに第二突堤先端から河口導流堤を望めたのは,実は10/4のみ。だから上の(e)を除く4枚の画像はいずれも10/4のものである。
(a) は9/28版同様,第二突堤付け根の崖の上のTa点から撮った光景。第二突堤に寄り付いた堆砂の領域が9/24よりさらに相当拡大していることが分かる。
(b) この日は突堤先端まで堆砂が続き,先っちょのテトラポットまで到達可能。
(c,d) ここからほぼ直角に折れて延びる河口導流堤を激写。こんな光景,誰も見たことないでしょっ!
次の日(10/5)もさらにその次の日(10/6)も再び見たくて行ったものの,先っちょまでの到達は不能。
水中を悠然と歩くアオサギに自分もなったかのように水中をうろつき始める同伴者も現れたりして焦る。これはいかんと,引き上げてきたのだった。ついでに,秋晴れの日曜日とあって,灯台の周りでモーターパラグライダーが遊んでいた。
そして今日(10/8),ヴィジターセンターを起点に左岸砂嘴をひと回り。疲れを知らない?。砂嘴先端から第二突堤の先っちょあたりを遠望した画像が(e)である。先っちょで,第二突堤から導流堤へとほぼ直角に折れ曲がっているのだが,これだけ離れるとほとんど真っ直ぐ繋がっているかのように見える。
2024.10.06版 うようよ,の巻 3度目のサケ・ウオッチング
今年初めて,ボクサナイ川へのサケの遡上を確認した9/16以降,石狩(厚田でも)まともな雨はほとんどない秋が続いた。川の水量が少なければ遡上が阻まれる。10/4,ようやく振り払うかのように降雨。ヒガンバナの開花を見届けた昨日(10/5),早速厚田まで走った。
恒例の,まずは厚田川河口の光景。好天ながら,釣り人はちらほら。
目指すは,支流ボクサナイ川・サケ二次飼育施設脇。厚田川河口では昨日の雨で濁っていた川水もここでは澄んでいて,しっかり堪能できた。しかしほんの少し上流の床止め近くでは昨年までとまわりの様相が異なり,河原に下りることも不能。サケたちはいるにはいるのだが,きちんと画像に捉えることはできなかった。
2024.10.05版 ヒガンバナが咲きました,の巻
9/26
9/28
10/2
10/4
10/5 6:11
10/5 14:42ヒガンバナたちにとってはおそらく,開花するには過酷な寒冷地(というよりきっと,積雪地)である石狩の露地植えで,20年持ち堪えてくれました。今年は9/25に1ヶの花芽。その後待てど暮らせど現れず,今年の花茎はたった1本のみ。まぁいいか,咲いてくれたんだから。
2022年は9/20花芽発芽,9/30開花,花茎6本。
2023年は9/17花芽発芽,9/26開花,花茎24本。【過去最高】
2024年は9/25花芽発芽,10/5開花,花茎なんとたったこれ1本。【近年では最低】
とんでもないはなしです。
画像追加 : そして開花2日目の10/6。6:02,16:34。
2024.10.03版 久々の花畔大橋下,の巻 茨戸川の岡﨑式単床ブロック護岸←見てね
a
b
c
d10時ころが干潮,しかも103(ヘクトパスカル)近い高気圧下。気圧に押し下げられて日中の潮位は相当下がるに違いない。ならば,右岸だ。
と思いながらもグズグズしていてメンドクサクなった老人は,お昼前後,茨戸川左岸の花畔大橋下をウロつくことになってしまった。自分でも思いがけない展開ではある。ずっと奥歯の痛みに苦しんでいたこととは関係あるのかもしれない。
つまるところ本当に久々,岡﨑文吉が遺した単床ブロック遺構に会ってみたくなったのだ。これだけ潮位が下がれば,遺構のブロックも頑張って顔を出しているに違いない。
いまにして思えば,2019年ころまでは単床ブロックに凝っていた。翌2020年3月コロナ初期,志村けんさんが亡くなった。翌3/30に界隈を歩いた。実はその後ほとんど歩いていない。
石狩治水遺産研究会なる組織?が,岡﨑の足跡を洗い出し始めたこととはまったく関係はない。私自身がもう十分調べたと思ったからだ。
そしてその研究会なる組織はいまはない,という。なんなんだ。岡﨑も浮かばれないのではないのか。まぁいい。好きにしなさい。私の頭の隅からは,単床ブロックは離れない。
2024.10.01版 出雲さんから保護センターへと抜ける道,の巻
2013.09.29
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e9/27未明に激しい雷雨があったが,それ以降今日までずっと好天。おかげで,一昨日(9/29)訪れた第59回石狩さけまつりもたいへんな賑わいだった(a)。でもでも,人混み苦手な老人(なら,初めから行かねばいいのだ)は逃げ場を求める。
まつりの会場となっている弁天歴史通りの一角に曹源寺がありそれにほぼ隣接して出雲教大神社(出雲さん)がある(b)。歴史通りからやや奥まっているのであまり気づかれない。この社のすぐ脇から,小高い砂丘(といっても草木に覆われている)を越えて浜へと続く踏み分け道がある。いや,あった。今年も5/18に歩いて,道なき道化した獣道になっていることを知っていた。けれど人混みから逃れてほっとするのには格好のスポットではないか・・・
こ,これわっ!踏み分け道,どころか,完全な藪(c),である。ヤマブドウの太いつるなどが横に伸びて通せんぼ。道などない(d)。戻るにも戻られず,老人は無我夢中で標高10mほどの天辺にたどり着くことができた(e)。
ここは『展望の丘』(私は勝手に,”弁天の丘”と呼ぶ)。保護センター側からは登る道がしっかりと整備されている。
この小径は過去に何度か歩いたことがある。それがこれほど鬱蒼とした藪になっているなんて,驚くなかれっ!だ。
往時の面影のない道,過去にさかのぼって,若干の蘊蓄が必要な気がする。
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i膨大な画像収納庫をひっくり返して探した。そしてこれが,私にとってのこの小径の最初ではないかと思われる画像たちだ。
奇しくも11年前のさけまつりの日だったようだ。
(f)がこの日の出雲さん。社は1996(平成8)年に建て直されたということだからまだ20年も経っていない頃だ。
その脇に,車両の通行は禁止されているが,綺麗に刈り込まれた小径が浜に向かっている(g)。砂丘の道も整備されている(h)。
天辺に上がるとそこには『弁天の丘』の標識(i)。その後なぜか『展望の丘』などというつまらない名に付け替えられたのが癪で,私は”弁天の丘”と呼び続けている。
(i)の画像の右下に小さな標識が立てられていて,そこに「弁天歴史公園の近道」と記されている。つまり,出雲さんからの小径は海浜植物保護センターお墨付きの近道だったのだ。ところが今年の丘の天辺には,ほとんど同じ位置に「市有地につき立入禁止」の看板が・・・なんてこったい。
1937年竣工して一度も営業されずに,1945年米軍の空襲により焼失した石狩海浜ホテル。ホテルへと本町側から通じていたのもこの道だったに違いない。
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