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トピックス 2023-D (10-12月)

2023.10.31 公開
2024.01.31 更新

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2023.12.31版 サンピラー,のつもり,の巻

ここんとこ,朝陽が出そうになると2階の窓から狙います。ご近所さんには疑われている可能性が大ですが,構わず寒さに震えながらカメラを向けます。そしてロクな写真が撮れません。
が,昨日の朝,サンピラーをキャッチしました。左の画像です。
ま,見える人にだけはっきり見える,という程度のサンピラーですけど。見えない人にはまったく見えません。

2023.12.30版 ドラゴンは来春まで安泰かな?,の巻


O' - 1

O' - 3

a - 12/26

b - 12/28

c - 12/28
一昨日は知津狩で雪漕ぎして草臥れて,昨日は夜酒飲んでうたた寝,結局2日続けて更新をサボる。
今日も大掃除して腰が痛い。けど,こんなページを何人が見てくれているか分からないけど,頑張る。
12/26 左岸砂嘴をひと回りして,12/12以降ドラゴンがほとんど動いていないことを確認した。しかしGPSの誤差もあるようなので,ドラゴン点を少し修正(O'点)(図ではのまま ^^;;;) した軌跡図を示す。
冬季の典型的な地形変動・・・左(西)から右(東)への砂嘴先端の動きが見て取れる。
(a) はドラゴンの至近距離からの画像。地形変動に伴って,ドラゴンは岸からの隔たりが大きくなり安定している。
(b) は八幡堤防から望むドラゴン。
(c) は知津狩新橋中央から望むドラゴン。
O'-3図に,(b) および (c) の視線を示す。知津狩新橋からが視線a,八幡堤防からが視線b,である。
前回例示したミラクルアイス関連では,ドラゴンより川上では雪庇が発達して氷塊はほとんど見られないが,ドラゴンより海側では氷塊がひしめいてミラクルアイス予備軍が出番を待っていた。

2023.12.26版 今日の相棒は”ミラクルアイス”,の巻


a

b

c

d
今年最後の浜歩き,のつもり。
このトシになってなおこんなところを徘徊できるとは思わなかった。いつ死んでも構わない。楽に死ねるのなら。
つい先日の北海道新聞によると,北見市では常呂川河口海岸の氷塊を”ドラゴンアイス”と命名したという。豊頃町・十勝川河口海岸の”ジュエリーアイス”の向こうを張ってのことだろう。
私は石狩川河口海岸の氷塊をむかしから勝手に”ミラクルアイス”と呼んでいる。ま,なんでもいいわね,そんな呼び名。
人間が勝手に面白がっているだけの話。氷塊にとってはどうでもいいこと。観光資源だなんだとは関係ありません。
(a) それこそ河口に居座るドラゴン流木(12/12以来どんな時化にもビクともせず不動)のおでこに座った氷塊。
(b) (a)に似ているけど別人の氷塊。
(c) ピンキーとキラーズ(古い!)っぽく帽子をかぶった氷塊。
(d) 誰かの足跡と氷塊。

2023.12.25版 なんとなく恥ずかしい,の巻

12/18版で,来札頭首工とあるのは来札水制工の誤りです。
12/17版の浜崖浸食関連の記事は,10/13a版の記事とほとんど同じことの繰り返しでした。
つまり,2ヶ月前に書いたことをすっかり忘れて繰り返して書いている・・・あ~ぁ,オイラもとうとうきちゃったのかなぁ。。。

2023.12.23版 広告,の巻 雪と遊ぶ

【花畔・網】ではさまざまなページを用意しているところではありますが,すでにお気づきのように寄る年波,対応できず個別のページの更新を諦めて,ほとんど Topics の更新に紛れてしまっています。
これから若返ることもありませんので多分それはそのままにいくと思われますが,雪と遊ぶベージだけはできることならなんとか個別ページで頑張ってみたいと思いますので,ぜひそちらをご覧いただければ幸いです。

夜7時半。静かに積もっています。明日の朝も Old Man Power 全開だよね。

2023.12.22版 循環放水,の巻

紅葉山公園の池の循環放水。やめてしまったのかなと思ったら,今日行ってみると水がほとばしり出ていて,その部分だけ池の凍結は解除されていた。
夕べからの積雪で氷紋はすっかり封印され,その上を縦断する足跡が残されていた。
今朝は久々,100% Old Man Power による雪かき1時間半。でも今日は冬至。明日からは少しずつ日(日照時間)が長くなる。嬉しい。

2023.12.21版 氷紋と白鳥,の巻


a - 紅葉山公園

b - 氷紋

c - 氷紋

d - 氷紋

e - 茨戸川

f - 白鳥
浜ばかりほっつき歩いていたわけではありません。他にもなにかないかと,これでも結構気を遣うのです。
(a) 12/18 紅葉山公園。午後1時半過ぎ。気温マイナス6℃。例年なら池の完全結氷を防ぐため年中循環放水し続けているところなのですが,なぜかしていません。12/11(マイナス1℃)には僅かに凍結していない部分もみられたのですが,この日は完全結氷。
そんな時なぜか気になる(胸騒ぎする)のが,池の氷面ところどころ浮かぶ紋様。とりあえず"氷紋"と書きましたが,"氷眼"といった方が正しいのかもしれません。池の底,あるいはもっともっと深い地底から私たちの挙動を見つめられているような気がします。
(d) 12/20 茨戸川。午後3時過ぎ。マイナス4℃。股引はいてませんので結構寒いですが,川面にハクチョウの群れです。この10分後にはみんな丸くなっていました。茨戸川もほとんど結氷していましたが,こんな氷紋はいただけません。

2023.12.19版 大荒れから一夜明ける,の巻


a - 12/15

b - 12/19

c - 12/19
昨日,一昨日(12/17,18),留萌だけではなく石狩も大荒れだった。そして今日の石狩は快晴?とはいえ最低気温は12℃以下。海は,川は,どうなっているのだろうか?じっとしてはいられない。
昼前,石狩川右岸八幡堤防(あるいは河畔)から眺めてみた。
(a,b) は,河畔から第一号水制を望む。今日の川面は一気に凍りついているのがはっきりと分かる。
(c) 12/15版の(d)図と同じ視角で眺めたドラゴン。12/17は,今年では1月以降最強の荒れ方だったので,ドラゴンも遂に持ち去られたかとも思っていた。が,あにはからんや,12/15と同じところで平気な顔して頑張っているではないか。つまるところ海がいかに荒れて頑張ってもここらあたりで力尽きる,すなわち川の力と拮抗する,といえるのではないだろうか。

2023.12.18版 つらら芸,の巻


a

b

c

d

e

f
今日は本町や八幡町方面では,留萌に負けない大荒れだったと思われますが,花川の日中は風は強いものの快晴だったりしました。しかし最高気温はマイナス5℃の真冬日。いよいよ浜ではミラクルアイス(ジュエリーアイスだなんていいたくない)が育つ季節です。左岸に比べて右岸の方が,さまざまな氷の芸が早くから見られます。メンドクサイことを考えると,それ相応のデータや画像を整えなければいけませんので,このトシになると頭がグチャグチャになりそうです。というわけで,今日は頭を休めるためにも,右岸で出会ったつらら芸を並べてお茶を濁すことにしました。
(a-b)は,12/2,(c-f)は,12/15の画像です。
また,(a)は,来札頭首工。(b,c,f)は,対岸に石狩灯台。(d,e)は,川岸に繁茂するヨシなどの枯れ株に育つつららです。

2023.12.17版 バーム浸食,他,とりとめもなく,の巻


河口全体図

a

b

c
石狩川河口部について浸食が目立つのは,左岸砂嘴先端部と,右岸。この数年のパターンは変わらない。いわゆる,私の云うところの小石狩湾に面した部分である。
先端部を除く砂嘴海岸部については今年も浜崖の浸食はまったく認められないが,数ヶ所で前浜の汀段(パーム)が削られたミニ崖が観察される。位置は河口全体図に示したa,b,c である。いずれも昨年観察された位置とほとんど変わらない。また,a の崖は新しくごく最近のものと思われるが,b, c はやや古いので,昨年のものかもしれない。

なお,やや気がかりなのは,マウニの丘脇あたりで汀線の凹凸が目立ってきたこと(全体図のd部)。この傾向が強まると,凹部で浸食が浜崖にまで達することもありうるので,予断は許されない。

12/14版で現在の石狩川河口の位置についての仮説を示した。これに基づいて12/15版d図を補足してみる。視線の角度はこう(緑線)である。河口を挟んで,川側と海側の海面の相違が歴然としている。

2023.12.16版 定位置から眺めるのは得意技です,の巻 12/14版のドラゴン位置図参照


12/5

12/8

12/15
ひつこいかもしれませんが,またドラゴンです。
12/5,8,15 石狩川右岸・知津狩新橋中央定位置から遠望したドラゴンです。
12/5のドラゴンは,ドラゴン位置図のN点にいます。
12/8と12/15のドラゴンは,奇しくも同じ位置で胡坐をかいています。ということは,ドラゴン位置図のO点と思われます。
12/15は,12/12に負けないくらい潮位が低かったせいもあり,ドラゴンは水際からやや離れて安定した位置にあります。満潮時には水際すれすれになるのかもしれませんが。いずれにしても1週間強この位置を保っています。
私の予想では,この位置から数10mくらい上流が海と川の勢いが拮抗する河口と思われますので,このあたりでしばらく落ち着くのではないでしょうか。
ただし,川に引きずりこまれたりすると,どんなに大きなドラゴンでもスイスイ流されて,石狩湾の海の藻屑となってしまうこと必定でしょう。少なくとも来春の融雪期まではそうならないことを祈ります。

2023.12.15版 久々,八幡河畔,ほか,の巻


a

b

c

d
e
石狩川右岸・八幡堤防上に見慣れた車が停まっている。足跡を追いかけてみた。画家のBさんだ。
おかげで3月以来,夏場は歩きにくいこのあたりの河畔に接することができた。折しも12時過ぎの干潮時。
(a) 第二号水制。潮位(-5cm程度)が低くてもほとんど水面下だ。
(b) 謎の水制。
(c) 第一号水制。
(d) 八幡の堤防上からもドラゴンが確認できることを知った。
(e) これだけは八幡堤防に行く前の,知津狩。知津狩川左岸堤防上からの遠望。
11/27に続いてこの日も波に見え隠れする第一突堤の頭を捉えることができた(潮位-10cm程度)。

2023.12.14版 ドラゴンの動きから石狩川河口の位置を極めたい,の巻


O - 1

O - 3

ドラゴン 12/4

ドラゴン 12/12

中村水制工 12/12
20年近くこの辺りをウロウロし続けて,しかしながら『石狩川河口』って一体全体どこなんだよと,未だに腑に落ちない。歯がゆい。
2009年からGPSを使って河口部の地形変化を調べ続けた結果として分かっていることは,河口も常に一定の位置にあるわけではなく,時々刻々位置を変えているのだ,ということ。これは間違いない。ここで時々刻々とは書いたものの,劇的な変化がなければある期間河口はこの辺りだったと示すことは可能ではないだろうか。そして,現時点ではどこが河口なのだろうか。
字引を引くまでもなく,などとふんぞりかえらずに,まずは広辞苑で”河口”を調べる。いわく”河の,海または湖に流れこむ口”だって。なんだかなぁ。ネットでもあれこれの百科事典的なサイトでの答えは似たり寄ったり。
北海道開発局では,海岸線に口を開く「河口」を川と海の境としている。海岸線というのは海と陸との境のことを指す(海上保安庁)らしい。なので陸ではない川には海岸線は引けない。
メンドクセー。そこで,”川と海の境”という言葉に着目することにした。それはつまるところ,川の勢いと海の勢いとが拮抗する辺りに他ならない。”境”とは結局そういうことだろう。
そこで今回はドラゴンの動きを追うことになる。波打ち際にあったドラゴンは水勢の影響をモロに受ける。それは一貫して海から川方向への動きなので海の水勢が勝っていることは明白である。この動きを続ける限りドラゴンのいるそこは”海”なのだ。しかしその動きはいずれ止まるはずだ。その近辺にこそ現時点での河口が存在する。川の勢いが増すには大雨による増水などが不可欠だが,しばらくは期待できない。3月末以降の融雪増水が始まるまではドラゴンもうろうろし続けているだろう。そして川の水勢が増すと,ドラゴンの去る時が訪れる。

なんだかんだ書いたが,12/12のドラゴン(点)を追加した汀線軌跡を示す。 NO間は約15m。
O-3図で,中村水制工の延長線上の川幅が現在で最も狭く,およそ150m。おそらくここが,現時点での石狩川河口ではないかと思われる。それより北の水面の拡がりは河口の入江にできたもうひとつの湾=小石狩湾と呼ぶにふさわしいのではないかと夢想している。

ドラゴンの画像。12/4,12/12の右背後の出っ張りは,それぞれ砂嘴先端の膨らみ。12/12は干潮時だった。
中村水制工の画像は,水制工の対岸(左岸)から。ここが現段階での河口と考えられる。

2023.12.12版 石狩灯台に噴煙,の巻

3日も休んで,今日はこれだけ。

2023.12.08版 栗鼠だっ,の巻


12/3 - a

12/3 - b

12/3 - c

12/8

12/8

12/8
11/11 庭木の冬支度。アジサイなどを極めていい加減に縛っていると,目の前を横切る物体。ドブネズミかっ!?棒っきれで叩いてやろうと思ったが,思ってるうちに姿をくらまされた。数日後再会。じっとしてるところを見直すと,間違いなくリス。エゾリスだ。
エゾリスなら自宅近辺で見かけても決して不思議ではない。その後も1,2度見かける。そのたびにカメラがなくて口惜しい思い。
ならば餌でおびき寄せてやろうと,近所で拾ったクリやクルミを器(灰皿ね ^^;;)に入れて雪の上に置く(11/28)。
早速やってきたのはカラスたち(11/29)。足跡で分かるし,クルミを咥えて飛び去るのも目撃。せっかく用意したのにリスの現れる気配なし。
半分諦めかけた12/3朝,クリがほとんどなくなっていて,器のまわりにけものの足跡たくさん(a)。大きさは直径ほぼ2cm(b)。そして1cmほどの長さの落とし物(c)が数ヶ所に。そのうち餌もすっかりなくなってしまい器も片付けた。
そして今日(12/8),有史以来人類にはどれだけの数の開戦日があったのだろうか,などとぼんやり外を眺めていると,敏捷にうごめくものが。リスだっ,いや違うカメラだっ,カメラカメラと,窓ガラス越しに撮ったボケボケ写真を3枚召し上がれ。
それにしても,動物写真家ってどうしてあんなに上手に撮れるのだろうか。

2023.12.07版 なんで突堤にこだわるの?,の巻 昨日12/6版の補遺


a - 2020.04.19

b - 2021.07.13

c - 2022.04.12

d - 2022.12.12
角度はバラバラだけど,第一,第三(手前)突堤のツーショット
2023年がないのは,第一突堤がほとんど海中に隠れて見えないから。
石狩川河口右岸,来札水制工と河口導流堤との間に3基の突堤が造られている(というより,今となっては,造られていたという方が正しいかもしれない)。上流側(来札水制工寄り)から,第三,第一,第二と並ぶが,番号は造られた順である。
中村水制工とともに来札水制工が造られたのは1972年。一方河口導流堤はそれよりずっと早く1961年に着工,以来徐々に延長されて1973年完成。完成とはいうものの,630mで打ち切られた,というほうが正しい。
3基の突堤は導流堤を保全・補完する工作物で,第一突堤は導流堤着工の2年前,1959年に造られた(後,洪水で被災し,頭が海面上に見え隠れしている現在の突堤は1971年復旧されたもの)

最下流の第二突堤はその先端からほぼ直角に導流堤が伸び出す構造でテトラポットを主体とした頑健な工作物。波に洗われて基部がかなり露出しているが,まだ右岸の陸地に繋がっている。
一方,第一,第三突堤は木杭を主体とした(一部コンクリート塊)水制工で,右岸の浸食を防いで導流堤を護るためのものと考えられる。これらも基部は陸地にあって,そこからほぼ直角に沖(ここでは石狩川)へ向かって突き出す構造である。かつて川岸には小高い砂丘が連続していて,その砂丘の直下から川に向かって構築されていたものと考えられる。

私が第一,第三突堤に初めて出会ったのは2009年。それ以降2020年までは,突堤が河畔の砂浜から伸び出す光景にはほとんど変化が見られなかった(a)。
ところが2021年春,いきなり砂丘が半分ほど浸食されて崩壊し,汀線も大きく後退していた。第三突堤の基部はまだ砂浜上にあったが,第一突堤は完全に海中の工作物と化していた(b)。
2022年春までには第一突堤近辺の浸食がさらに激しく(c),夏季には第三突堤も海中に引きづりこまれた(d)。
そして今年も浸食が続き,汀線は後退しっぱなしである。

汀線が退いて,もともと陸上にあった物が海中に引きづりこまれるということは,当然そのあたりの水深が深くなるわけだから,木杭などの工作物が川底に埋められている部分の長さは短くなる。つまるところ,激浪とか流木等の衝突などの衝撃に耐えられず崩壊する,というような連鎖反応の果て,木杭も次々に抜けたり倒れたりしてまばらになっていったものと考えられる。
そういう突堤たちの悲しい末路はどうしても見届けたい ;_;)。このままではユダヤの民は,再び世界中から嫌われることになってしまうのだろうね。みんながみんなそんな人たちとは思えないのだけれど。ひと握りの輩のせいで,民族全体がそんな風に思われるなんて,それもまた悲しいことだと思う・・・宗教って,都合よく使われるよね。

もっと書かねばと思っていた矢先,誰だかが命を引き取ったという知らせがあった。90歳だ。歳の問題ではなく,ヒトとしてどこまで生きるのが本当に幸せなのか,の問題だ。正直ほっとした。命の軽重はないというが,パレスチナとかウクライナとか,はたまたさまざまな天災,争乱によって苦しむ人々の命に比べて,オイラの命なんてもうどうでもいいよな,とつくづく思う。だからこそ,命のある限り徘徊したい。

2023.12.06版 今年2度目の第一突堤,の巻 第一突堤について詳しくはコチラ


a -1

a - 2

b

c

d
気象庁の潮位観測情報によるおおよその潮位(cm)[標高値]
a 2023.11.27 0
b 2023.03.11 0
c 2022.12.12 -10
d 2022.04.02 -10
海水面上に僅かに顔を出している遺構を観察するには,潮位が低いことが絶対条件。潮位が下がるのは大潮(満月,新月)の干潮時で,かつ高気圧下で海面が押し下げられている時。かつ南東の微風で石狩湾が穏やかである事。かつその干潮時が真昼間である事。さらになおかつ,他に用事がなくヒマであること。これらの条件をすべてクリアできるのは至難である。
11/27,まさに満月。干潮は9時31分。気圧条件はそこそこ。穏やか。&ヒマ。潮位がマイナス値になればよりベターだけれど,0前後でも大満足。9時ころ出かけて,頭を僅かに出している第一突堤に遭遇できた(a-1,2)。今年2度目!
今年の初めは3/11(b)。この日の潮位はほぼ0。なんとか海面上に見える程度。去年に比べて情けなかったけれど。
去年の最後は12/12(c)。そして去年の初めは4/2(d)。去年も浸食が進んで汀線が後退。ということは,突堤位置の水深が深くなり,木杭が埋まりが浅くなって抜けたり倒壊しやすくなったに違いない。木杭の数も目に見えて少なくなっている。

2023.12.05版 ドラゴンの動きは不可逆なのか?,の巻


N - 1

N - 2

N - 3
12/4のドラゴン(N点)追加 (昨日12/4歩いての汀線軌跡を含む) MN間は約25m。
N-3図は,さらに縮尺を変えて,右岸の状況も加えたもの。12/2,来札水制工から中村水制工まで往復した際の汀線(川岸)軌跡を付記(白線)。
関連画像は後日。(写真撮りすぎて収拾がつかない・・・)

2023.12.02版 中村水制工の異変,の巻


中村水制工 10/9

中村水制工 12/2

聚富川河口 12/2

ハクチョウ 12/2

木道 12/2-a

木道 12/2-b
バッテリーの交換はまだしていないけど,とりあえず車は動く。荒れ模様の3日間も過ぎようやく穏やかな日が戻る。ドラゴンも気になるし,知津狩に向かう。花川の今朝はうっすら白い,くらいだったのに,本町,八幡,知津狩は積雪30cm超。八幡の堤防から知津狩に向かう市道は通行不能。仕方がないので北石狩衛生センター側に駐車してズボズボ埋まりながら歩いて往復。
ドラゴンはやはり動いていたが,今日驚いたのは中村水制工。ここいらへんは近頃水制工の先端近くまで堆積が進む傾向があった(10/9)のだが,なんと今日は先端から3~4m先まで川岸が広がっていた。15年近く見続けてきたが,こんなのは初めてである。堆積した砂礫は石狩川上流方向に砂嘴となって伸び,つられて聚富川河口が湾曲して流れていた。
一方下流側の来札水制工近辺は対照的にきびしい浸食傾向。水制工の基部近くまで流れに洗われている。
と,まぁ,疲れたのでこれだけ書いて今日の分は十分だと思うのだが,ついでにハクチョウと木道上の風景。
ハクチョウはもっと大群だったけどただそれだけのこと。知津狩から戻って左岸・本町の市道灯台線も除雪はポンプ場まで。しかしヤンチャ者が先鞭をつけた轍があってヴィジターセンターまで余裕で走れる。駐車場には10台ほどの車。木道でなにかやっている。よく分からないけど,撮影らしい。疲れたので確かめずに帰ってくることにした。

2023.12.01版 プラグかぶり,の巻

昨年12/14,ロードサービスのレッカー車のお世話になった。そして昨日(11/30),またまたロードサービスのお世話になった。
車庫内でエンジンを始動しようとすると,かからないのだ。何度も繰り返しているうちに,どうやらバツテリーも上がってしまったようだ。運転歴60数年を誇っている割には,おバカさんだよねぇ,である。
ロードサービス到着,ジャンピングで一発でかかる。どうやらプラグかぶりという現象でかかりにくくなっているのにセルを繰り返してバッテリーが上がりにっちもさっちもいかなくなっていた,というわけだ。
エンジン始動がうまくいかない原因に,カーボン付着というのもあるようだ。
皆さんも,ご用心。特に古い車に乗っている人はね。

2023.11.29版 なんだかなぁ,オマエじゃないよね?,の巻


M - 1

M - 2

a - 右岸から遠望

b - 左岸接近
今日の新聞報道によれば,フィリピンを拠点とする特殊詐欺組織の日本人幹部に”JPドラゴン”と呼ばれる野郎がいるらしい。ふざけやがって。
23,24,25日と荒れた。25日には石狩の積雪深も19cmを記録,今冬初,朝から3時間雪かきをして音を上げた。
ナウファスの石狩湾新港波浪計が10/12から計測機器不具合のため欠測が続いていて,波浪状況(有義波高)などを知ることができないが,気象庁の石狩の風データからするととんでもなく時化ていたに違いない。
一昨日(11/27),まずは石狩川右岸川岸から眺める(a)。ドラゴンはやはり動いている(11/22の地点はその日(11/22)の画像から導いた)。
行きがかり上,引き続き左岸砂嘴もひと回りすることになる。管理道路はすっかり雪道で難儀した。少し動いてもドラゴンは平然としていた(b)。
先端の一部がなぜか膨張。当然できるだけ先まで歩いて振り返る
GPS軌跡から,11/27のドラゴン(M点)は前回(L点)より15mほど移動していることが確認された。
昨日から今日にかけ(11/28,29)またかなり荒れた。どうなったことやら?もうメンドクサイのでここまで。

2023.11.27版 あ~ぁ,の巻 国語辞典の中の浜防風 ←クリックしてよね

私はホームページ【花畔・網】を Windows にくっついてきて誰でも利用できる IIS (Internet Information System) というアプリケーション[Web サーバソフト]を利用して公開している。
この管理システムでは,Web サーバに何日何時何分にどの IP アドレスからどのページにアクセスがあったかが当然のように記録されていて,管理者(つまり【花畔・網】の場合,私)はいつでもそれを確認できる。ヒマな管理者なら頻繁にそれを見ているかもしれないが,少なくとも私は,メンドクサイのであまり閲覧しない。
で,でも,公開したばかりのページについては,やや気になる。
11/23 に公開したての『国語辞典の中の浜防風』。図書館通いして結構頑張ったのだけど,いったいどれだけの人が見てくれたのだろうか。
愕然とした。公開後今まで,見てくれたのは,な,なんと二人だけ
ま,私と皆さんとの関係はそんなものかもしれませんね。つまらんものは見ませんよね。(スネ夫モード)
先日,石狩市学び交流センターに行った際,新たに「角川国語中辞典」というのを見つけたので,その内容を付け加えた。どうせ見てもらえないのかもしれないが。
私自身,これから【花畔・網】とどうつきあうべきかを考えさせられた事件でもある。

2023.11.25版 ドラゴンの軌跡を追う,の巻 11/22版の続きです


L - 1

L - 2
実際に11/22に歩いた軌跡の図。歩いた歩数でいい加減に推定30~40mほどと書いたけれど,どうやら45mほど移動していたらしい。
A4/19 - 5/29 (7/19版) 砂の上に定住
J10/4 (10/8版) ここまで波打際をのた打ち回る。
K10/7 (11/5版) - 11/16 (11/19版)
L11/22
L-1 は,これまでと同じ高度から見た縮尺画像。
L-2 は,より高い位置(2倍弱)から見た画像。
ドラゴンの移動とはまったく関係ないが,背景画像(2021/7/19)と比較すると,その後の2年間で川側への堆積が顕著であるということがよく分かる。とりわけ,赤の破線部分。
先端は依然として衰退傾向が見て取れるが,川側が今後どのように動くか,注視する必要がある。

2023.11.23版 国語辞典の中の”浜防風”,の巻 なにを隠そう,11/6版の続きです

11/19日曜日,ふと思い立って石狩市民図書館へ。『みんなで作る水辺の風景inいしかり』なる壁画を見てきた。場崎さんもなかなか頑張っている。
そしてうろうろしていると辞典のコーナーが目に留まった。国語辞典も15,6種類並んでいる。つい一冊取り出して”はまぼうふう”の項を覗いてしまった。そしてハマってしまった。翌日は休館日。なので,21,22日と通い,『国語辞典の中の浜防風』のページを俄仕立てに作り上げた。
市民図書館所蔵の国語辞典全部(?)と,わが家の広辞苑から”はまぼうふう”の項目の記述をあらかたすべて書き写した(だけの)ページである。気が向いたらで結構なので,ご覧いただきたい。

はまぼうふうの別名として,”やおやぼうふう”,”いせぼうふう”などはわりあいポピュラーらしい(私はそんなの全然知らなかった)のに対し,”はまにがな”を挙げているのは小学館の新選国語辞典のみ。
ほかに,新潮社の新潮国語辞典第一版が”はますがな”を挙げている。
はまにがな”も”はますがな”も大言海によれば”ぼうふう”の古名とされている。ぼうふうはまぼうふうとは全く異なる植物であるにもかかわらず,はまぼうふうぼうふうとも略称されることにより混同されてしまっているきらいもあるのかもしれない。

というわけで,国語辞典考察の結論としていえるのは,”はまぼうふう”を”はまにがな”と呼ぶのは間違いとはいいきれないものの,『字引をひくまでもなく…』とまで言い放つほどのものではまったくない,ということ。
こんな物言いをする年寄りにはなりたくないなぁ,と思いつつ,もしかしたら十分頑迷になりつつある自分を感じる今日この頃である。

2023.11.22版 ドラゴン異変,の巻


a - 10/9

b - 11/18

c - 11/21

d - 右岸から遠望

e - 左岸接近
(a,b,c) は,石狩川右岸・知津狩新橋定点B(中央ではない)からの眺望。(d,e) は今日11/22の画像。
10月初めの大荒れで姿を消したかに思われたドラゴンはしぶとく生きていて,10/9以降つい数日前の11/18まで位置を変えなかった(a,b)。ところが11/19,20と海は荒れ,昨日11/21,厚田へ向かう途中に眺めると様子がおかしい。ドラゴンが見えない(c)。
図書館通いで忙しい(註:何故だかは明日)にもかかわらず,今日11/22は石狩川右岸の川岸に下りて眺める。ドラゴンは3兄弟からかなり離れてひとりぽっち(d)。ドラゴンが動く,ということは浸食により砂嘴の形状が変化したということ。なんだかしらないけど仕方がないので左岸に戻って,砂嘴をひと回りして確かめる羽目に(e)。推定30~40mほど動いていた。GPS軌跡による汀線の変動などは後日。

2023.11.21版 滝とか浮島とか,の巻


a

b

c

d

e

f
(a~d)は,今日11/21。(e,f)は,古くて申し訳ないけど11/16。
(a) やまなみの滝。画像は9/13以来。その後もなんども訪れてはいるものの,樹木の葉っぱに邪魔され通し。ようやくスカッとした姿を見せてくれた。
(b) 嶺泊海岸に落ちる滝。3/12以来ひさびさ。潮位も高く,波も荒く,これ以上近づくのは諦めた。崩れそうでしぶとく崩れない団塊の世代(ノジュール)。
(c) 10/12以来のボクサナイ川。二次飼育施設脇にサケ2匹。
(d) 厚田キャンプ場から道の駅に抜ける林道。カラマツの落葉で舗装されていた。
(e) 貨物船。
(f) 石狩新港北防波堤。
(e,f) ほとんど無風ながら海水温に比べ気温が低く下位蜃気楼。船や構造物が海面の上に浮き上がって見える。

2023.11.20 版 砂嘴先端の伸び縮み-2,の巻 10/29版の続き


2023.11.09

2023.11.16

2023.11.18
10/29と同様に,石狩川右岸・知津狩新橋中央から左岸砂嘴を遠望した画像を見比べてみる。撮影時点でのおおよその潮位(石狩新港)は次の通り。海の波浪も,見て分かるようにそれぞれやや異なる。
11/9 10:32 5cm
11/16 12:52 -10cm
11/18 9:57 40cm
見かけ上の砂嘴先端位置をで示してある。
11/9 先端位置は前回最後の10/29とほとんど変わっていない。前回潮位も10:30で約10cmとほとんど変わらない。
11/16 11/19版の通りこの日先端に大きな突起が現れて海面上に浮き上がったことにより先端位置も大きく右に動いている。たまたま潮位が下がったためによる影響も大きいかもしれない。
11/18 11/16に比べて観察時の潮位が50cmも高く,かつ海が荒れている。当然先端位置は後退しているが,それでも11/9の位置より右に動いている。先端が膨らみつつある動きはまだゆっくりと継続しつつあるようである。

2023.11.19 版 砂嘴先端に大小の突起,の巻


先端図 - 11/16

突起 - A1

突起 - A2

突起 -A3

突起 - B

突起 -C
作業が捗らず申し訳ないが,11/16,砂嘴先端を歩いた時の話。10/7から前回11/4までの4回,歩いた日はことごとく海が吼えていた。汀線(波打際)を歩くのもおっかなびっくり。
それにくらべてこの日はご覧のように穏やか。しかも高気圧下の干潮時とあって,前4日と比べて30~50cmほども潮位が低い。こんな日には普段なら波に閉ざされていて見えないはずの浅瀬が顔を出す。嬉しい。
この日(と前回11/4)の汀線軌跡を記した先端図を見て欲しい。このところ左斜め上(北北西方向)に膨らみつつあった砂嘴先端部の動きはさらに顕著。そして汀線の外側に浅瀬が露出した大突起-とふたつの小突起-とがはっきりと確認できる。
汀線の浸食はほとんど見られないから,ドラゴンも3兄弟も平然としていてつまらない。こんな場合の楽しみは突起のできる限り外側を踏破すること。それによって突起の形状をGPS軌跡として捉えることができるのである。
それがなんだ,といわれてもたいした自慢にもならないことは分かっているが,ひとの命を虫けら同然に踏みにじるやつらは地獄に落ちろ。話が逸れた。例えば大突起Aを陸側から見たのがA2,沖側から見たのがA3,である。年寄りの趣味としては割とスリリング。熊との遭遇,ほどではないが。

(11/20 補注)
上の先端図は,11/5版で現在の位置点を記入したドラゴン移動図の続編である。ご覧になった方はお気づきのことと思うが,この図には11/4と11/16の汀線軌跡のほかに,11/4に浜崖上を歩いて取得した浜崖軌跡も記入してある。
浜崖軌跡での注意点として次の2点に留意していただきたい。
① 浸食によりすでに浜崖が失われている部分については,可能な限り植生限界を辿っていること。
② 管理道路近くの凹みについては,自分でいうのもナンだけど,あまりアテにならないということ。凹んだ部分には現在もかなりの植生が生育しているが,嵐により運ばれた流木やゴミが大量に堆積していて収拾がつかない。ここでも植生限界を浜崖軌跡とするならば,凹みの部分の外側をほぼ直線で結んだ方が妥当かもしれない。
なおまた,小突起-の近辺で11/4の汀線軌跡と浜崖軌跡とがほぼ接しているのは,海が荒れていて浜崖の下を歩行不能だったためである。対して11/16では平穏と干潮により汀線がかなり退いて余裕で歩行可能だった。

2023.11.18 版 ハマってしまいました,の巻


a - 11/16

b - 11/18

c - 11/18

d - 11/16

e - 11/16

f - 11/16
ここんとこお天気最悪,出かけようにも出かけられず。おまけに15日にはまたまたコロナワクチン接種。ついでにインフルワクチンも。
そして16日,副反応も見られずに快晴。やったぜっ!とばかり久々浜歩き。ヴィジターセンター駐車場から木道を歩き始めてものの2,3分。いつも見慣れている西方石狩高岡丘陵の景色が変!(a)。”なんなの?あの白いところ…”
この朝,花川では雪は無縁。たとえば少し左(北)の樺戸山地とか,高岡丘陵のほんの少し右(西)遠方の芦別岳とかの標高1000m級の山並みならともかくとして,たかだか標高100mそこそこの丘なのに雪に覆われているはずがないっ!と,私の年老いた固定観念が云うことをきかない。
それからが大変だった。地形図とか航空写真だとか,さまざまネットで眺めているうちにパソコンが悲鳴をあげ始めた。皆さんがアクセスしてくるサーバ用のパソコンはまだ3年に満たないものでサクサク動くのだけれど,自分が作業用に使っているパソコンはもうじき10年。なにごともなければのったりくったりでも動くのだが,機嫌を損ねるともう大変。くそったれっ!と再起動かけても立ち上がるのに1時間以上。
今日18日,ほったらかしてもう一度はまなすの丘の木道へ。阿蘇岩山から高岡丘陵南端までの眺め(b)と,高岡丘陵南端のクローズアップ(c)。この左端の最高峰?が三角点高岡山(137.3m)。木道からの視線ではその手前に高富ダムがありダムの上手に広大なゴルフ場(シェイクスピアCC)が開けていることになっている。つまりほとんど樹がないから積もった雪がそのまま見えていたというわけね。
16日は浜歩きにとどまらず,実は五の沢林道もうろついてきた。五の沢ダム(d)にも水辺に雪が若干残る。排水口はすべて閉ざされ,この日の水位は14番と15番の間。
さらに進んで八の沢油田の石碑のまわりはほぼ白装束(e)。そこまでの林道も深さ20cmほどの雪の轍道(f)だった。花川とはだいぶ違うのね。
そんなこんなでハマっていた5日間でした。ほんとはまだまだお見せしたい画像とか,書きたいこともあるのだけど,トシをとるとシンドイ。

2023.11.13 版 ネタも尽きました,の巻


a

b
前にも何度か書きましたが,ネタ切れになると何故か足が向かうのが紅葉山公園。今年3度目で5ヶ月ぶりのトコヤの帰り,勝手に足が向かったのは紅葉もほぼ終わり侘しいたたずまいの紅葉山公園。橋の上からパンくずをまいているご婦人がいて,カモたちが群がっていました(a)。紅葉山公園からの帰り道が激寒。
ついでといってはなんですが,昨日(11/12),本町まで行った帰り石狩樽川海岸線を走ろうとするとあそびーちで通行止め(b)。迂回せよ,とのこと。幸い日曜日だったせいか休工中。花畔3線通まで走り抜けることができました。新港管理組合が東線道路とかを新設するとか。8月に道路工事標識が出ていたことは知っていましたが。これでドカッと雪でも降れば,来春まではこの道は走れなくなるのかもしれません。

2023.11.10 版 ドラゴンと遊びすぎ,の巻


a

b
(a) 2023.11.04 ドラゴンと衛生センター
(10/24版で海へと立ち去ったはずの老人,なのだろうか??? 謎だ)
(b) 2023.11.09 ドラゴンと石狩灯台
(セルフタイマーのたった10秒で対岸まで行くのはさすがに無理だったらしい)

2023.11.07 版 新港の火災,の巻


a

b

c
今朝からの石狩市新港東2丁目リサイクル施設での火災。集積された鉄くずなどから発火したらしい。
(a)は,サーモンファクトリのありが塔から。(b,c)は,道道小樽石狩線から。10時過ぎの通りかかり画像。
全然関係ないし,この画像から突如飛躍させて申し訳ないが,ネタニエフはもはやヒトラー同等と思わざるを得ない。自分たちがやられたことを違う人々にやり返して,そして世界中の反感を買うことになっても,イスラエルの人たちはそれでも平気なのだろうか。
100年近く前のことを考えると日本人もかなり情けなく,自分だって偉そうなことは言えないのだが。

2023.11.06 版 字引を引きなさい,の巻 10/28版の続きになってしまった

今年の第19回俳句のまち~いしかり~の作品集が届いた。
選者の講評 選を終へて の文が悲しかった。
 ~
 字引を引くまでもなく「浜防風」は「はまにがな」とも言い全国の砂地に分布する 云々
 ~
ハマボウフウは白い花が密集して咲くセリ科の植物,ハマニガナは黄色い花がぽつんぽつんと咲くキク科の植物。(こちらをどうぞ)
ま,誰にでもあるちょっとした思い違いとは思うけど,自分の書いたことにはきちんと責任をとりなさい。

(11/07 追補)
この30年,ことばの意味を調べるために辞典,字引を引く機会が少なくなった。あらかたはウィキペディアやコトバンクなどのインターネットの百科事典でことが足りてしまう。例えばウィキベディアで”ハマボウフウ”を検索すると,さまざまなことがらとともに,その別名として,ヤオヤボウフウ,イセボウフウ,ハマオオネ,ハマギイ,ハマキク,ハマゴボウと呼ばれることもある,とあるが,そこにはハマニガナの名はない。コトバンクで調べてみても,別名として,ヤオヤボウフウのほか,サンゴナが挙げられているだけである。さらに”ハマニガナ”も検索してみる。別名はハマイチョウのみ。ただしここでの問題は,”ハマニガナ”という単語が”ハマボウフウ”も意味するかということなので,ハマニガナの別名を調べても無駄だろう。”ハマニガナ”という単語の意味に,本来のハマニガナの他に何か別の意味があるのかということなのだが,残念ながらそこまでの記述はない。

他人に『字引を引きなさい』といっておいて,自分はネットの事典で済ませようというのは,まさに片・手落ちではないのだろうか?
そこでおもむろに広辞苑を紐解く。わが家に残っていたのは昭和44年発行の第二版(現在は第七版)。

はまぼうふう【浜防風】を引くと,別の名として,八百屋防風と伊勢防風が記載されているのみ。ついでに,やおやぼうふう【八百屋防風】,いせぼうふう【伊勢防風】を引くと,どちらにも”ハマボウフウの別称”とある。ここにハマニガナのつけ入る余地はない。
うーむ。唸って済ますわけにはいかない。広辞苑で,はまにがな【浜苦菜】も引く。として,キク科の多年草。云々。ハマニガナの説明が続く。そしてハマボウフウの別称,とある。やったぜっ!と私が喜んでどーするっ。つまるところ広辞苑いわく,”ハマニガナ”という単語には2つの意味がある,ということのようだ。キク科の多年草と,セリ科の多年草ね。紛らわしい。

俳句コンテストの選者が『字引をひくまでもなく…』として自信満々に言い放った根拠はおそらくここにあったのだろう。恐れ入りました。
しかしながら広辞苑でもネットの百科事典でも兼題の「ボウフウ(浜防風)」の別名について,ハマボウフウの項目からはハマニガナの名は全く語られていないことに虚しさが残るのを禁じ得ない。草臥れたけど,いい勉強をさせていただいた。ありがとうございます。

2023.11.05 版 ドラゴンは生きていた,決定版,の巻 10/8版ドラゴン漂流の最終版ではありませんでした


K (10/7以降)を追加
既にご報告した通り昨日(11/4)砂嘴を歩いて,それらしい流木を撫でたり擦ったりして確かめてきました。間違いなくドラゴンでした。10/4までのドラゴンの動きは波打際でせいぜい各回10mそこそこ。にもかかわらず,10/4()から10/7()への移動は一挙に70mを越していたことが分かりました。それも,波打ち際から10mも内陸の砂の中へ。ま,いろいろ書いていますが,自分が見落とした言い訳です。
現在位置は,管理道路の先端近くに頑張る流木3兄弟から,たかだか15mほどの位置です。今は砂の中で安定していますが,砂ごと浚う大荒れがきたりすると,またどこに消え去るか分かりません。
戦争はいますぐにやめてください,プーチン,ネタニエフ。

2023.11.03 版 ドラゴンは生きていた,かも?,の巻 いつまでたってもウッカリモノだ


a

b
お願いした甲斐あって,昨日(11/2),朝陽と満月から解放された。ホッとした。
気が楽になり,左岸砂嘴をひと回りしてきた。北西風で寒く,海も荒れていた。
特段のTopicsもなく昨日はパス。今日改めてGPS軌跡や撮影した画像約300枚を丹念に眺めてみた。そしてドッキリ。
10/7に昇天したものとばかり思っていたドラゴン(らしい姿)があちらこちらに写っているではないかっ!かなり離れていたはずの流木3兄弟に接近していたのだ。これは近いうちに再度訪れて,GPSで正確な位置を確定してこざるを得なくなった。乞うご期待。

c
(11/04 追補) 10/7撮影の画像を再度眺めてみた。昨日11/2の(a)とほとんど同じアングルの画像(c)があっという間に見つかった。
ドラゴンが同じ格好で寝そべっているではないか。すでに陸上(砂の上)にいるわけだから,波打ち際であがいているよりはるかに安定している。こんなところにいるわけがない,という自分の先入観が恐ろしい。アメリカのダブルスタンダードも恐ろしい。否,日本人の立場としては,それに追随して容認することの方が恐ろしい。プーチン・ロシアと同時に,ネタニエフ・イスラエルも許されない。今回のとっかかりよりもっともっと前も考えろ。ダメなことはダメだ。『戦争するな!』
違った。今日も砂嘴を歩いてきてなにが正しいか,はっきりした。それはまた明日。

2023.11.01 版 続々・朝陽と満月,の巻 ほらね,また悪いクセが出てきた


6:21

6:32

a

b
3日連続です。朝陽も草臥れてボケ始めました。
陽は1日ごとに着実に右(=南)にズレていきます。
月も着実に小さくなっていきます。
もうやめたいので,明日は必ず曇ってください。
(a) はまなすの丘のヴィジターセンターは11/3が最終日ということなので,きっと今年最後になると思う2階テラスからの眺望。
(b) 10/7版に続くマウニの丘脇。状況にほとんど変化はない。

2023.10.31 版 続・朝陽と満月,の巻


6:20

6:31

a

b
そしてまた,今朝も朝陽と満月でした。下に雲がたなびいていたため陽が丸くなるのに少し時間がかかりました。満月もやや右下が欠け始めました。
午前中,クマよけの鈴をぶら下げて導流堤まで散歩しました。かなり痛んだ導流堤ですが先端は海鳥たちの天国です。
クマにば出会いませんでした。よかった。

2023.10.30 版 朝陽と満月,の巻


6:18

6:29
夕べは私にしては夜更かししてしまいましたが,今朝はいつも通りに起きることができました。快晴です。
朝陽と満月を一緒にご馳走になるのも乙なものです。
日出時刻は6:06,月齢は15.4,月入時刻は7:29,ということでした。

2023.10.29 版 砂嘴先端の伸び縮み,の巻 11/20版に続く


2023.04.30

2023.10.09

2023.10.29
早寝早起きを旨とする私なのだが,今夜はなぜか眠れない。昨日,変に八つ当たりしたバチが当たったのかもしれない。今日午後には句会があってメタメタだったのだが,午前中いつものように知津狩新橋から左岸砂嘴を撮った画像を見直してみた。やや伸びているではないか。
というわけで3枚の画像を並べてみた。
4/30 今年最も先端が伸び出たと思われる頃だ。この頃ドラゴンは陸上で安定していた。
10/9 逆に,最もへっこんだ頃。10/6をピークとする大荒れで,ドラゴンも昇天した直後だ。
10/29 そして今日。先端にかなりの人影。どうやらゴミ拾い活動に参加した人たちのようだ。
と,ここまで書いて,23時半。さすがに眠くなったので,中途半端だけど寝ます。

2023.10.28 版 八つ当たり,の巻 石狩俳句コンテスト 俳句のまち~いしかり~

今年第19回の天位句【太古より波は打ちつけ浜防風】の木碑が立てられた

その北海道新聞石狩版(10/26)の記事の中に,ふたりの選者の講評が載せられている。
ひとりが   『真剣に石狩に向き合った句』
もうひとりが『・・・ぽつんと咲くハマボウフウの存在を際立たせている』

ハマボウフウなる植物は人類誕生以前から生育していた可能性もあり,その意味で太古から波と戯れ,あるいは戦い続けてきたであろうことから,この句の云わんとしているところは一般論としてなんら不思議はない。
しかしその表現を,あえて”石狩”に真剣に向き合ったからよしとしたという選者の認識に八つ当たりしたい。
氷河期が終わった後の地球の温暖化により,6500年前くらいをピークとして海水面が上昇(一説には最大120mほど)した。ちょうど縄文時代と重なることにより縄文海進と呼ばれるが,石狩低地帯も大きく内海化(古石狩湾)していた。いまでは内陸の長沼町に,はまなす砂丘が残っているほどだ。
内海を閉じるような形で発達してきた砂州の名残が現在も紅葉山砂丘として残る。その後海水面が下がるとともに石狩川などが運ぶ土砂の堆積により内海は陸地化。さらに紅葉山砂丘の海側にも5000年ほどかけて陸地がおよそ5kmほど前進,現在の石狩砂丘と海岸線が形成されたと考えられている。一説には1000年につき1km前進したとされ,だとすればハマボウフウの群生する石狩砂丘が出来上がったのはたかだか1000年以内。あえていえば,4~500年以内かもしれないのだ。真剣に向き合えば,とても「太古」などという表現は石狩のハマボウフウには不釣り合いなのだ。

”ぽつんと咲く”にも,それはちょっと違うでしょ,と八つ当たりしたい。
ハマボウフウはたくさんの種を周囲にまき散らして群生する植物。種も5mmほどもあってデカいので遠くまで風で飛ばされることも少ない。群落をつくってまわり一面にたくさんの花茎を立ち上げる,というのが普通の姿だ。
でもまぁ,人間がなんらかの意図をもって移植したとか,そうでなくてもたまにはぽつんと咲いていることだってあるかもしれない。たまたまそんなハマボウフウを目に留めたのかもしれない。だったらしかたがない,ではやはりすまされないのだ。選者たるもの,それ相応の知見が求められようというものである。

なお,八つ当たりしておいて逆に反撃を食らいそうな事案を自ら暴露しておかざるをえない。
昨年第18回の俳句コンテストで人位に選ばれた句
【太古よりパナウンクルの雪解風】
これは不肖・私の句。パナウンクルは花畔の語源となったアイヌ語の地名である。
ということは,パナウンクルだってそんな太古からあったわけではないから,明らかに受け狙いの誇大表現である。
謹んで,お詫び申し上げざるをえない。ごめんなさい。

2023.10.26 版 石狩市街築堤盛土工事,の巻


a

b - 8/9

c - 9/11

d - 9/27

e - 10/14

f - 10/24
今年,石狩川河口左岸・はまなすの丘公園まで行った皆さんは石狩川左岸堤防でずっと工事が続いていることに気づいているはず。立てられている工事標識によると国土強靭化対策工事となにやら勇ましく,要は堤防の盛土をするらしい。発注者である札幌河川事務所から委嘱されて,河川愛護モニターを3年ほど経験したこともある私は,興味津々。しかし土木にはド・シロートなるがゆえ(a)のイメージ図を見てもさっぱり分らない。分からないなりに,盛土して堤体を太くしつつやや川側へと若干移動するのかなぁ,などと考え,8月のある時から思い立って対岸の八幡堤防から眺め続けている。あっちこっち見ても比較のしようがないので,ヴィジターセンターと灯台との間を注目することにする。
A : (b) 対岸から見る限りにおいて,左岸堤防の見かけに大きな変化があるとは思えない。
B : (c,d,e) 注目区間について,Aとは明らかに異なる変化が見られた。この区間では2ヶ所で,現堤防からこちら側(つまり川側)へと部分的に土盛りが突き出してきている。うーむするってーと,今は出ていない部分も含めて,堤防幅が川側へと広がることになるのだろうか,なんてことを思っていた。<なお,ほぼ同じ状況なので3つ必要はないと思われるのだが,9/27,10/14については鏡のような水面に映る灯台の画像が捨てがたかったためである>
C : (f) ところが,10月の20日ころ,その部分的な突き出しが今度は削られて,元に戻ってしまっていた。はてさてその後どうなるのかについては,乞うご期待,である。

A - 8/5

B - 9/21

C - 10/23
さて,ABCが左岸堤防の現地ではどういう形なのかはぜひ知りたいところ。それが左の3枚である。
Bで部分的に川側へ突き出した土盛り(下から見た図)は,Cではまた綺麗に削り取られて他と同じ傾斜の法面になってしまった。

2023.10.24 版 見知らぬ老人,去る,の巻

【花畔・網】ではできるかぎりけもの以外の動物が写りこんだ画像を使わない。おまつりの全景だのなんだのやむを得ない場合のほか,ごく僅かな例外を除いて堅持している。なのにごく最近,見知らぬ老人の姿を出すことが多いのには自分でも忸怩たる思いがある。
私は必ずしも品行方正な人間ではない。だから近頃世の中に充満している防犯カメラみたいなものは大嫌いだ。車のドライブレコーダーっつうものも馴染まない。
関係なく昨日(10/23),石狩浜(左岸砂嘴)を久しぶりにひと回りした。天気はよかったが西風が強く寒かった。お昼近く風を避け砂丘の草むらに身を寄せて休憩した。見ると目の前に自動撮影カメラが設置されている。
おそらく野生生物の動きを観察しているものと思うのだが,オイラのタチションまで写されるのではないかと嫌な感じがしていらだった。
そんなことがあって,勝手に写してしまった見知らぬ老人にも申し訳ないなぁと思っていた矢先,彼はまたまたふいに現れ,そしてひとことも云わずに立ち去って行った。
ところが私の技術の未熟さゆえ,彼の頭が切れてなくなっていた
こんなことはよくあること,これでいいべさと私は思ったのだが,予想外に彼が頑強にこだわる。
そんないきさつの末に,今日(10/24)また河口右岸に行くと彼が待っていたかのようにうろうろしているではないか。
ようやく頭がのっかった彼の遠ざかっていく姿を捉えることができた。構図的には昨日の方がよかったのだが…
彼はどこに向かって行ったのだろうか?いずれにしてももう二度と現れることはないだろう。

2023.10.23 版 陥没した道,の巻 10/18版・消えた道の続編


a

b

c

d

e
第二突堤以南で崩落したかつての道路は,導流堤まで通じる部分で現在でも(車は走れないが)細々と使われている。主として釣り人だろうが,私以外にもこんなところを歩き回る粋人がいたりするのだ。そしてこの道はホーストレッキング・ルートとしても使われているようだ。道沿いに赤い標識ポールが立ち,そして馬の落とし物にやたら出くわす。
それはともかく一昨日(10/21),隣り合うテトラポットの間隔を実測したいと思い立ち,メジャーを持ってでかけた。870番のテトラから隣のテトラまで,という具合に15本の間隔を測ってみた。170cmから230cmくらいのばらつきがあるものの,平均すると約210cm。テトラの並ぶ画像を見て,おおよそのその距離感をつかめよう,というくらいのことである。
その後導流堤の方に向かったが,道路跡にでかい穴があいていることに嫌でも気づかされる(a)。近づくとかなり大きいし深そう(b)。
愛用の流木杖(長さ約130cm)を差し込んでみる。穴の底に届くか届かないかくらいだ。深い(c)。嵌まったら上がれない,かもしれない。
ストロボを発光させて穴の中を撮る(d)。さらに崖下に下りてテトラの間を覗き込む(e)。
いずれにしても中はほとんど空洞。20cmそこそこの厚さの砂の層が天ぷらのころも状にかぶさっていただけなのだ。これは危ないよね。かつては車までがよくこんな道を走っていたものだ。人間でもどかどか歩いたらころもが破れかねない。勝手な想像ではトラッキングの馬の脚が突き抜いたのではないかと思う。だとしたら,馬も,乗っていた人も無事だったのだろうか…?

2023.10.21 版 24本目のヒガンバナ開花,の巻


a

b

c
10/9版に続いて,おそらく今年はこれが最後のヒガンバナ。
(a) は10/13。塀の外での赤と白。今では萎れて見る影もありません。
(b,c) は今日。花茎24本の最後の白花も咲きました。そして地面では葉っぱの芽ももりもりと。
ところで今日は文化祭の勝手当番の日,とは決めてはいたものの,昨日に続いて朝行ってみるとお客さんはガラガラ。そんなところでポツンとじっとしていられる私ではありません。早々に飛び出して今日も石狩河口右岸をほっつき歩いてきました,
第二突堤のテトラポットの間隔をメジャーで測ってみたり,西高東低の荒れた海に対峙する導流堤を観察してみたり,深さ130cmもの落とし穴に嵌まりかけたり,いろいろありましたがまた後ほど。今日もまた見知らぬ老人と出会ってしまいました。こんなふうに写されることを喜ぶ変な年寄りです。

2023.10.19 版 石狩市民文化祭の展示,なんとか,の巻

明日から3日間,石狩市花川南コミュニティセンターで開催されます。
石狩かしわ俳句会も参加します。3年ほどコロナのせいで変則的な開催でしたが,ようやくもとに戻りました。
今日は2時過ぎから2時間ほどかけてなんとか展示を完了してきました。
時間の許す限り,皆さんぜひご覧になってください。
おもしろい!というほどのものではございませんが。

2023.10.18 版 消えた道,の巻 またまた右岸,第二突堤


a

b
10/9,知津狩川左岸から遠望して,河口導流堤の基部となる第二突堤のつけ根の部分の異常に気がついた。知津狩新橋右岸たもとからのアプローチも波浪により悲惨な状況だったが,10/13,14なんとか近づいてみた。その時出会った老人については10/15版で既報である。
第二突堤の上にはかつてほぼ直交するような形で車両も走れる道路がついていたのだが,現在は完全に寸断され見る影もない。
上の画像はいずれも10/14のもの。
(a) は第二突堤の全景。10/9の遠望では露出しているテトラポットの番号は870番までと思われたが,871番も露出していた。テトラポットのナンバリングはなぜか861番以降のみでそれ未満のものには番号が振られていない。
(b) はかつての道路がテトラポットの上で交差していたあたり,おそらく863番を中心にしておよそ5mほどの幅だったと思われる。
● 道路が健在だった頃

c

d

e

f
河口導流堤までこの道を初めて歩いたのは2009年5月。結構おっかなびっくり。
以降の膨大な画像からそれらしいのを探し出すのがとてつもなく大変な作業。
(c) 2009.05.10 立派な道路がやや斜めに第二突堤と交差している。道路の真下に863番を中心とするテトラポットが埋まっていたことになる。この先が河口導流堤に通じていた。
(d) 2010.06.07 第二突堤のつけ根近くに細いが道路を確認できる。画像の右側に砂丘が続き,端にかつての波浪観測所跡の基礎コンクリートを確認できる。道路は砂丘に護られるように裏側を走っていた。現在,砂丘も道路も波に浚われて存在しない。
(e) 2014.11.05 第二突堤脇を車が走る唯一の画像。手前は第一突堤の木杭遺構。残念ながら現在は全く見られない。
(f) 2015.09.03 路面に浮き出たテトラポットの頭たち。最初,この道路は導流堤工事のために造成されたものなのだろうと考えたが,状況から考えると導流堤完成後の土砂の堆積により後年自然生成された車たちの獣道だったと思われる。
● 砂丘が失われて道路崩壊後

g

h

i

j
この道路の崩壊が始まったのは2020年から2021年にかけての冬からだった。2021年春には砂丘が半分ほど崩落していた。
寸断された道路(2021.12.03)
(g) 2021.12.03 第二突堤で,向こう側からこちら側への車の走行は完全に不能。
以下(h-j)は,崩落した863番のテトラポットの上あたりから,手前側への眺望。すぐ下は崖。
(h) 2021.12.03 この先道路幅は半分以下となり,せいぜい人間が歩ける程度。
(i) 2023.05.31 この時点では露出しているテトラポットは865番までだった。
(j) 2023.10.13 10/6をピークとする嵐により871番まで露出。
ほとんど人も訪れない右岸,だったからよかった,のだろうか?
● お断り
かっこうの「右岸物語」ネタだと思ったのだけれど,右岸物語もその後さっぱり話が捗らないし,,,迷子の子猫ちゃんになってしまって,犬のおまわりさんは困ってしまった。メンドクセーからとりあえずTopicsにまとめろ,ということになりました。長々とごめんなさい。見知らぬ老人も結構草臥れた様子で出てきません。そして明日は文化祭の展示の支度です。
話かわって,今朝の北海道新聞石狩版の提灯記事では,”砂丘が防潮堤の役割を果たしている”とのことも書かれていました。確かにその通りでもあると思います。が同時に,砂丘を護る算段を考えなければ防潮堤もへったくれもありません。護ってこその命,です。
同時に石狩版の記事に,バイオマス発電所の記事もありました。道央産木材や未利用材のみを燃料とするだけでなく,海岸に打ち寄せられる膨大な流木ゴミも丹念に集めて燃料としたらいかがなものでしょうか。

2023.10.15 版 あれこれ,の巻 がいして右岸


a

b

c

d
10/4版に続く。
近ごろよく会う見知らぬ老人(あなたもどこかで出会っているかも?)。
10/9 (中村水制工と)
10/13 (テトラポットと)
10/14 (でっかい流木と)
(a) 10/4版のヒマワリ畑。10/11には刈り取りが始まり,翌日にはなーんにもなくなっていた。
(b) 10/14,右岸八幡堤防から。鏡のような水面と中央バス。
(c) 川岸のアキグミを啄ばむシメ(だと思う)。
(d) 同じくムクドリ。そのうち大軍団になるのかもしれない。

2023.10.13b 版 サケとダム,の巻


a

b

c

d
昨日(10/12)のボクサナイ川。
(a) 二次飼育施設脇。
(b) 床止め下。
9/29に比べて魚影少なく寂しい。
9/5-6以降まともな雨が降っていないせいか?はたまた,今年の遡上シーズンは終わったのか?
それにしても二次飼育施設脇の目を惹く位置に転がっていたこの残骸。これってクマの食べかすですか?にしてはあまりにもお行儀がよすぎる。ほかの生きものによる作為,と思われるのだが・・・
(c,d) は,帰路立ち寄った五の沢ダム。9/15には水位は15番取水口まであったが,この日は最も下の18番取水口。ほとんどダム底が露出していた。

2023.10.13a 版 浸食の明暗,の巻


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石狩川河口部の地形変化に関して,この数年の顕著な傾向として次のことがいえる。

左岸砂嘴海沿い(中道突き当りのT点以南)はこの間ずっと比較的安定。浜崖の前進の気配すらも感じられる。
上図(a,b,c)は10/7撮影画像。左岸砂嘴海沿いで,T点以南,かつ海浜植物保護区の河口地区南端線までの間のもの。
浜崖を下りて進出した植生は,10/6をピークとした大荒れによりここで示した3ヶ所で浸食されミニ崖状になっていた。しかし浜崖そのものまで浸食される状況には至っていず無傷。幸いにもマウニの丘脇も無事だった。

浸食は,左岸砂嘴先端部と,右岸河口部に集中している。
左岸砂嘴先端部についてはドラゴンがらみですでに何度も報じたし,右岸河口最下流部についても第二突堤がらみで報じた。
上図(d,e)は10/9撮影の画像。右岸,来札水制工よりやや上流側。普段は土砂とその上の植生に覆われまったく見られない(今年5/8)のだが,土砂も植生も持ち去られ,護岸工が驚くほどの範囲で露出していた。昨年8/5にも今回より小規模ながら河岸が浸食されて護岸が露出していたことがあるので初めてのことではないが。

2023.10.11 版 再び,右岸・第二突堤,の巻 前回は9/23版


a - 10/4

b - 10/4

c - 10/9

d - 10/9
6日をピークとして北海道を襲った嵐は,石狩川河口でも左岸砂嘴先端を食いちぎっていった。となると,河口右岸ではどうだったのだろうか?ということで,これは一昨日(10/9)のはなし。
いつものように知津狩新橋右岸たもとから進もうとすると,やや,景観が異なる。流木状の海の藻屑が散乱。春先の融雪時には水没して歩けないことがある(2022.04.02)が,今回のは高潮高波が運んできたものに違いない。さらに行くと完全にアプローチは水没。とても進めないと断念。しばらくして水が引いてからでないと・・・
ということで,この日は知津狩川左岸から石狩川右岸河口へ。そして川岸からはるか下流の第二突堤を望む。
(a,b) は今回の直前,10/4の画像。
(c,d) は今回(10/9)の遠望。
(a,c) が第二突堤全景で,(b,d) はその根元の部分。
異常にに気づいたのは,撮影した画像を確認してから。
テトラポットの露出している根元の番号は昨年春までは"862"だったのだが,その後の浸食で今年の春,"865"が露出(詳しくはコチラ)。そしてその番号は10/4まで変わらなかった。
が,今回さらに引き伸ばすと,なんと"870"!!!崖が削られて,一気に5ヶも新たにテトラポットが露出することになった。
それだけ今回の嵐が河口右岸に与えたダメージの大きさを物語る。
早く現地に赴いてつぶさに調べたいのだが・・・実は,今日(10/11)も試みたのだが拒絶されてしまった。

2023.10.09 版 実と花と,の巻


a

b

c

d
(a,b) ははまなすの丘。
(c,d) はヒガンバナ。わが家の塀の外(9日)。
(a) 7日,コマユミ
(b) 9日,ツルウメモドキ
どちらもそろそろ実が弾け始めた。
(c,d) 今年は白花,赤花,合わせて24本の花茎が上がった。一昨年10本,昨年6本,今年は白花の方が多かった。
10数年育ててきてほほ確信するのだが,北海道では自生しないというヒガンバナも,北海道の寒さに決してへこたれない。しかし,花後にすぐ成長する葉っぱはたちまち雪に埋もれて翌春まで日光を遮られる。光合成ができない。致命的だ。
それでもできるだけ日当たりのよいところに植えて施肥を怠らなければ,もりもり増えることはないにしても一年おきくらいに花を咲かせる。そんな経験則を得たような気がする。

2023.10.08 版 そしてドラゴンは姿を消した,の巻 ドラゴン漂流の続きであり,かつ最終版です


J (10/4)を追加

10/4a

10/4b
10/4版で,ドラゴンがのた打ち回っていることを報じた。
この時点で砂嘴先端の浸食は浜崖までも及んでいることが判明した。取得したGPSによる汀線軌跡は9/21のものとさほど大きな変化はなかったが,ドラゴンは180度近く向きを変えて移動していた。
上の右2つの画像は対岸・知津狩新橋から眺めたものだが,いつもの定点(新橋中央)からの(a)ではもはや植物の陰となり写らない。場所を橋の端にずらして撮って,ようやくドラゴンを捉えることができた。
事件はその直後に起きた。10/5夕方から10/7まで北海道は大荒れ(10/6版の(d)ナウファス画像参照)。10/7に歩いた汀線軌跡をJ図に加えたが9/21の汀線からところによって20~30m後退していることが分かった。
Google Earth の背景画像は2021年の7/19取得のもの。緑の部分はこの時点で植生に覆われていた浜崖部分と考えられる。
この年から翌2022年にかけての冬季も激しい浸食を受け部分的に浜崖は後退して現在に至る。2022年4/10時点での浜崖軌跡を参考までに追加しておく。
ドラゴンはどこに消えてしまったのだろうか?
(11/05 追補) ドラゴン漂流の最終版と書きましたが,その後ドラゴンは健在だったことが分かりました。謹んで訂正いたします。

2023.10.07 版 再びマウニの丘脇,の巻


a

b - 9/7

b - 10/7

c - 9/7

c - 10/7
今日(10/7)もいくらか弱まったとはいえ北西の風が続く。有義波高は依然として1.5mを超えて(さすがに6mなんてことはない)時化は収まらない。しかし台風並みの昨日の嵐で砂嘴先端がどうなっているのか,気になってならない。こんな日には海に近づいてはいけない,とはよくいわれるものの,おとなしくいうことを聞く老人ではない。砂嘴をひと回りして,おまけにマウニの丘脇を浜側から眺めてきた。さすがに疲れた。
まずもって,ドラゴンは昇天したようだ。なにしろ砂嘴先端はざっと20m以上浸食され後退した。これについてはまたあらためて書くことにする。
ついでのマウニの丘脇。
(a) が浜からの眺望。昨日眺めた時(10時ころ)の潮位はおよそ90cm。今日(13時ころ)の潮位はおよそ30cm(いずれも石狩湾新港)。およそ60cmも潮位が下がっているということが昨日の画像との違いを物語る。
そして(b),(c)は,土のうの両端からの眺めを,9/7と今日とを比べたもの。明らかに土のうの下部の土砂が鋭角(ほぼ直角)に削り取られている。土のうが崩れ落ちたりしたら,市道灯台線は通行不能だ。この程度ですむのなら大丈夫と考えるか,次に激しい嵐が来た時には危ないと考えるか,難しい判断の別れ際であることには間違いない。

2023.10.06 版 マウニの丘脇はなんとかセーフ,の巻


a

b

c

d

e
昨夜から北海道は台風並みの大荒れ。
(d) はナウファスによる石狩湾新港有義波実況。有義波高が6mに達している。真冬でも年に1,2度あるかないかのレベル。
(e) は気象庁による石狩新港潮位観測情報。潮位は110cmを超し,稀有な高潮注意報レベルである。
となると,浜がどうなっているのか気になってしょうがない老人は,午前10時ころ,激しい雨の合間に見に行く。
今一番気がかりなマウニの丘脇の市道灯台線 (いつもの姿は9/8版参照)。
(a,b,c) 激しく波に洗われてはいたが,なんとか持ちこたえてはいた。
風速は10m/sくらい。なんどか吹き飛ばされそうにもなりながら,無事帰還していまこれを書いている。やれやれ。

2023.10.04 版 とりとめがないったら…,の巻


a

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d

e

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2日3日と海は大荒れ。やっと静まってきたかと思ったら,5日からまた天気は崩れるという。仕方がないので左岸と右岸の掛け持ち。
(a) 左岸はまなすの丘公園の木道の上に怪しい影。頭蓋骨だった。。。
(b) 今年はまだ見られなかったコガネギク(ミヤマアキノキリンソウ)。東屋の前後でひっそりと咲いているのを発見。道路脇のいたるところで咲き誇っているのはユウゼンギク。あまりにもどこにでもあるので癪だけど,まぁ,綺麗だ。
(c) 前回も群れていたカワラヒワと思われる。
(d) のたうちまわるドラゴン。今回は砂の上ではない。ハマニンニクなどの植生の地上部が洗い流されて,残った根っこの上だ。つまりそれだけ浜崖が浸食されて後退したということだ。検証はのちほど。
(e) これは右岸のキツネ。結構いい毛並みをしている。
(f) 若生の果てしなく続くヒマワリ畑。
右岸第二突堤のテトラポットに腰掛けて,豆パンにパクつく見知らぬ老人(なんとなく見覚えはあるが)がひとり。。。

2023.10.03 版 身近な話題(しかない),の巻


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17年前からお友達だった32インチのテレビをようやく買い替えた。いまどき当たり前のような4K初体験。しかも50インチ。デカすぎる。
某家電量販店で30日に購入,届いたのが昨日2日。さまざま片付けたり,錆びついた頭でネットとの接続であたふたしたり,【花畔・網】の更新どころではなかった。申し訳ありません。ま,これで,死ぬまでテレビを買い替えることはないでしょう。
そんな中で今日の画像。
(a-b) は昨日開花したヒガンバナの今日。3本ともいずれも白花。塀の外,公道の端の芝の中に植えた株。明日か明後日には赤花も咲きそう。
(d) 久しぶりのキアゲハの幼虫。まるまると太った5センチほどの兄弟が3匹も。そろそろ蛹化するころだと思われるので,明日も3匹揃って見られるかどうかは分からない。
(e) 北海道新聞の記事にもあったけれど,コガネムシの幼虫を探してカラスが芝を突くとこうなる。コガネムシの幼虫は亜麻にも害を及ぼすので,いいのやら,悪いのやら。
(f) そして今朝,歯医者への行き帰りの遊歩道での収穫?クリとクルミ。


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