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石狩の紅白 熱供給用煙突,石狩灯台,幌灯台,浜益港防波堤灯台,新港の導灯,ガントリークレーン,民家の煙突,小型風車,動く紅白,石狩消防 もくじ

2012.03.21 公開
2013.07.21 独立
2022.11.15 更新


花畔スカイツリー = 熱供給用煙突
石狩灯台
幌灯台
浜益港防波堤灯台
新港・中央水路奥の導灯
新港・ガントリークレーン
民家の煙突
小型風車 (垂直軸風車)
動く紅白
石狩消防署石狩湾新港支署


"紅白"といっても歌合戦ではない。
紅白の縞模様をもつ構造物を集めてみた。
ただし,そこかしこにある送電線の鉄塔とか,路肩表示の赤白ポールなどは除外する。
もちろん紅白饅頭,紅白幕も無視します。

花畔スカイツリー

2012.03.20

2012.03.20

2012.03.20

2012.03.20

2012.03.20

2012.03.20

2012.03.27

2012.03.27

2012.03.27

2012.04.01

2012.04.07

2012.04.13

2012.04.19

2012.04.24
そしてとうとう
跡形もなくなった。

2012.05.21

2012.06.08
オドロクナカレ
更地になっていた。
ここに何が建つのか?
2月末に竣工した東京スカイツリーに張り合って,勝手な名前をつけてしまった。
こちらは逆に,もうじき地上から姿を消すことになる。 [関連]

正しくは,花畔団地内に暖房や給湯用のお湯を供給するサービスの熱源の,のっぽ煙突である。
このほど北ガス(北海道ガス)グループの石狩サービス(株)がその事業から撤退するのに伴い,熱供給施設の解体工事が始まった。

異変に気づいたのは3月13日。いしかり浜に夕陽を撮りに行く途中,下部がシートで覆われている姿を目にする。
化粧直し(塗装)でもするのかなと思ったが,そうではなかった。
現場掲示板に貼られている解体作業の工程図(@A)によると,4月末にはすっかり消滅するらしい。

とにかく目立つ煙突だった。だから,団地の目印だった。
石狩サービスは1974年(昭和49年)設立,1978年(昭和53年)4月熱供給開始というから,この煙突は少なくとも供給開始の前年までには立てられたのだろう。
在りし日のスカイツリーの雄姿をここにとどめておくことにする。(ほかに,2007.05.05とか,2007.10.21とか…)

2007.06.27

2008.07.24

2008.08.30

2009.04.07

2009.06.19

2011.02.27

石狩灯台
灯台の詳細

2007.09.22

2009.01.02

2009.01.02 @

2009.08.10

2010.01.03

2010.01.08

2011.12.06

2012.02.18 @

2012.02.18 @

2012.03.16

2012.07.14

2012.07.14

2012.07.19

2012.09.23

2012.12.29

2013.02.25

2013.05.09

2013.07.13

2013.07.15

2013.12.18 (a)

2013.12.18

2014.02.02

2014.03.17

2014.05.20

2014.08.09

2014.08.26

2014.09.27

2014.10.08

2014.12.03

2015.04.25

2015.06.01

201506.06

2015.11.04

2016.02.25

2016.03.15

2016.08.27

2016.11.26

2016.12.20

2017.02.13

2017.05.09

2017.09.19

2017.11.13

2017.11.27

2018.02.01 @

2018.02.02 @

2018.02.20

2018.05.09

2018.05.30

2018.07.20

2018.11.03

2018.11.07-a

2018.11.07-b

2018.11.18

2018.12.03

2018.12.13

2019.01.08

2019.02.25

2019.03.01

2019.05.26

2019.09.22

2019.11.04

2019.11.17

2020.01.09

2020.01.12

2020.01.19

2020.01.23

2020.04.03

2020.04.17

2020.04.19

2020.09.30

2020.10.05

2021.08.28

2021.10.30

2021.11.21

2022.10.11(new)

2022.10.26(new)
新しい画像のコメント(new)
初点プレート燈光会周知板石狩市教育委員会の説明版
この灯台が白一色から紅白の縞模様に変身したのは1957年(昭和32年)のこと。
映画『喜びも悲しみも幾歳月』の撮影の舞台になった時である。
ロケは3月。雪景色の中での白い灯台では,映像的にうったえるものが弱いということだったのだろう。
この映画以降,各地の灯台が紅白縞模様に塗り替えられるようになったという。
さらにまた,ポスターに写っている縞模様と,現在の縞模様との違いにお気づきだろうか…

カメラ台(初夏)が設置されている。
三脚なしでひとりで訪ねても,この位置(初夏)に立った自分と灯台とのツーショットが可能。
セルフタイマーのセットをしくじると,そこにたどり着く前にシャッターが切られたりする。

(カメラ台は根元が朽ちて横たわっていた。再び立つことはないだろう。 2012.06.30)

2012.09.23 石狩さけまつりでのヘリコプター遊覧飛行にたまたま同乗できて,およそ170m上空からの灯台を撮ることができた。

2013.12.18 はまなすの丘で石狩灯台とともに納まる遠方の山といえば,暑寒別岳を主峰とする増毛の山並みか,樺戸三山か,といったところだが,この朝ははるか彼方ながら夕張岳,芦別岳がくっきり。(a)

2014.02.02 朝陽が,金色のひと筋に収斂する。
2014.03.17 無辜の民とツーショット。っていったって,ちょっと離れすぎてるよねぇ。
2014.05.20 カメラ台が復活していた。新しいカメラ台から写してみる。
2014.08.09 これほど酷いピンボケ写真は,もう一度撮ってみろといわれてもムズカシイ(^^;;;
八幡町からの灯台と夕陽はコチラをどうぞ。
2014.08.26 "はまなすの丘"ならぬ,"すすきの丘"の石狩灯台。これはこれで,またひとつの風情。
2014.09.27 ふたたびの空撮
2014.10.08 皆既月食とのコラボレーションを狙ったが,雨で果たせず。ずぶ濡れになって退散。

2015.04.25 さて,どういうシチュエーションなのでしょうか…?
2015.06.01 石狩河口橋の上から遠望。ほぼ真北の方向になる。
2015.06.06 ちょっとだけのハマナスと,阿蘇岩山と石狩灯台。
2015.11.04 某展望台から。右上には望来の風車が見える。

2016.02.25 突然吹雪いてきて,ホワイトアウトになる直前の灯台。
2016.03.15 対岸八幡町からの夕陽と灯台。
2016.08.27 河口右岸,来札水制工のやや上流から望む。灯台の右に,ヴィジターセンター,マウニの丘,建設中の北電火発用LNGタンク,既設北ガスLNGタンク。
2016.11.26 早朝(7:05),石狩川の川面に映る灯台の灯り。このあたりはほとんど明弧から外れていると思われるが,真横に近い角度で灯りを見ることができる。対岸・八幡町は完全に背後の遮蔽された暗弧に入るので灯台の灯りは見えない。
おまけの灯台の灯り3題,木道から灯台の正面を見上げる,東屋と灯台中道の突き当りから(7:40を過ぎても灯っていた)。
2016.12.20 石狩灯台といえば夕陽が定番だが,朝陽だって見逃せないものがある
こちらは,朝陽が昇り始める20分ほど前の正面のショット。

2017.02.13 対岸八幡町側の川岸から。水制遺構探訪と,ゴマちゃん探しツアーのついでに。ゴマちゃんはいませんでした。
2017.05.09 小高い砂丘から振り返ったこのアングルは結構好きだ。いままでなかったので追加する。画面右後方に余市岳。
2017.09.19 今年初点125年目を迎えた石狩灯台は,6月から改修工事が行われ再塗装された。
改修工事は9/16にあらかた完了。そして台風18号が9/18北海道を縦断した。その翌日灯台はおどけたポーズをとっていた。
2017.11.13 朝陽に夢中。でも振り向くと灯台とヴィジターセンターが輝いている。(5/9 と角度は似ている)
2017.11.27 右岸・八幡町,第一号水制先端近くの流木のツララと。

2018.02.01,02 右岸・八幡町から水面に映る灯台。
ついでに古い写真箱から拾いだした写真も追加。今回追加は @ マーク。
2018.02.20 明けがた吹雪いた後の灯台。全容。ホワイトクロスについてはコチラにも。
2018.05.09 デジカメが壊れたせいではない。対岸八幡町の巨大な流木のウロから眺めた灯台。
2018.05.30 ひさしの下の灯台。またまた右岸側,中村水制工の先端と。
2018.07.20 レスキューボートと灯台。
2018.11.03 日没直後の灯台。このところなぜか対岸からの画像が多い。今年(2018年)は,2/20以外すべて八幡町から。
2018.11.07 (a)は水面に長い影を落としているが,珍しく左岸から。(b)はまたまた八幡町。灯台と北石狩衛生センターが川を挟んで対峙している。そして5/9と同じの八幡町の流木のウロ
2018.11.18 石狩灯台マニアならでは,の逸品(のつもり)。タネ明かし。もうひとつ,12/2追加
2018.12.03 朝陽の石狩灯台。サンピラーも見える。
2018.12.13 石狩河口橋の朝陽を撮る。下流に見えるけあらしを追ってはまなすの丘。南東の微風に乗って川霧が左岸にたなびく

2019.01.08 蓮の葉氷と。ほかにも氷と愉しむ
2019.02.25 八幡神社横から。灯台と衛生センターが肩を並べる。
2019.03.01 多目的運動広場の融雪進む。
2019.05.26 夕暮れ時。遠景は石狩河口橋の街路灯。
2019.09.22 灯台へのアプローチを示す誘導灯。この日灯台はライトアップされた。⇒Topics
2019.11.04 ふたつ並んだ灯台⇒Topics。ペーパークラフトではない。
2019.11.17 何度目かのホワイトクロス⇒Topics
ホワイトクロスは胴体部分だが,ここでは灯室・灯光に注目する。
石狩灯台の背面(八幡町側)は遮光されていて,灯光の広がり角度は180°。明弧は223°〜43°。
明弧の中心線の方向は313°となるから,これはほとんど北西の方向(315°)に等しい。(角度は北から右回りの角度)
石狩の冬季の卓越風向は西北西(292.5°)であるが,ほぼ風にまっすぐ向かって仁王立ちしていることがわかる。
灯室の周りは3面の板ガラス(玻璃板)で覆われていて,猛吹雪は真ん中のガラスに直角に襲い掛かり雪が付着する。
こうなるともはや灯光を透過することは不可能と思われる。
熱線入りガラスなどの対策が必要なのでは・・・?
2020.01.09 朝陽と灯台(7:19)⇒Topics
2020.01.12 対岸八幡・第一号水制の先端近くから。御神渡りも見られる。
2020.01.19 手持ちでブレを抑えるのはこれが限界?(5:49)⇒Topics
2020.01.23 対岸八幡・第二号水制のやや下流からの夕陽(16:20)。ヴィジターセンターと灯台。⇒Topics
2020.04.03 嶺泊の海岸からズームアップ。およそ10km離れているので肉眼では無理でしょう。この写真でも,灯台がどこにあるか分かりますか?
2020.04.17 右岸・知津狩新橋から望む。ホーストレッキングと。
2020.04.19 これも河口右岸。4/17と同じく距離約2km。日没後,凪た海面を灯台の灯火が流れる。
2020.09.30 ポプラ,アキグミなどの雑木が刈りはらわれてすっきりとしたあずまや越しの灯台。
2020.10.05 12,3年通い続けて初めて虹の架かる灯台を撮る。しかし,虹,薄すぎ。
2021.08.28 一反もめんと灯台⇒Topics
2021.10.30 ライトアップされた灯台を対岸・八幡町の堤防から眺める⇒Topics
2021.11.21 ムクドリの大群と灯台⇒Topics
2022.10.11 2年ぶりに2度めの虹。八幡堤防より。こんなきれいな虹見たことないっ!⇒Topics(new)
2022.10.26 開通50周年の石狩河口橋と点灯130周年の石狩灯台のコラボ,撮り直し。⇒Topics(new)

改修工事について詳しくは → 石狩灯台改修
かつて石狩にはもうひとつの灯台がありました。しかも元祖・紅白縞灯台なのです → 石狩川口灯台

幌灯台

2008.08.05

2009.05.26

2009.05.26

2010.03.02

2011.01.20

2012.07.14

2013.05.01

2014.09.22

2015.03.30

2016.03.18

2016.07.04

2016.11.14

2017.04.02

塔頂部横から

塔頂部前から

2019.04.07-a

2019.04.07-b
深い藪に囲まれているように思えて,間近までは未到達。
初点は1986年(昭和61年)10月。雄冬岬灯台が廃止され,その役割が引き継がれた。
光源(ビーコン)だけは雄冬岬から幌に転用されて,しばらくの間活用されていたとのこと。
高台にあってしかも高さ25mというから,高さ14mの石狩灯台よりもはるかに威容を誇る。

2012.07.14 あらためて接近戦を試みる。が,こんな時期に挑むオロカさを直ちに痛感。
丈2mを越すイタドリがびっしりと生い茂るヤブにひとりで突入するということは,数ヶ月後に白骨化したオノレを発見することになることと等しい。

2013.05.01 超接近を挑むには雪の重みでイタドリがすべて倒伏したこの時期をおいてほかにはない。
前回の学習が功を奏して,ついに灯台真下まで到達。全景と,見上げた頂部。そして,初点プレート
やや離れて,KDDI浜益幌局のアンテナが聳える

2014.09.22 サケ・ウォッチングの群別川河口で,振り返ると群別漁港のかなたに聳えているのが見えた。

2015.03.30 おととしよりおよそ1ヶ月早い。今年は雪解けが早いとはいえ,残雪とクマザサに足をとられながらの気まぐれ再接近。初点プレートが少し綺麗になっていた。

2016.03.18 新・浜益トンネル内を往復7.5km(約13000歩)歩いた帰り,始めて床丹側から撮る。
2016.07.04 増毛山道の入口を探しに幌稲荷神社へ。高台にある神社の前からの遠望
2016.11.14 ここんところ遠景が多い。今回もおよそ10km南の送毛山道の途中から眺める。より視野を広げると,雄冬岬が背後に迫る。

2017.04.02 過去2度接近したKDDI幌局アンテナ近くからのルートは邪道と判明。どうりで薮の中だった。
実は海上保安庁が整備したアプローチがあったのだ。ほぼ直線で300m弱。
しかしこの道(帰路)もちょっと手抜きしたらたちまち薮に覆われてしまうことになりそうだ。
あらためて,建屋(付属舎)初点プレート
塔頂部の写真で分かるように,灯室の陸側は遮蔽されている(石狩灯台と同じ)。
それはそうと,この日はちょっぴりアドベンチャー気分を味わった。
灯台の海側は50mほどで崖になっている
灯台の仕様では,塔高25m,灯高61m ということなので,崖の高さは35mくらいだろう。
見ると崖の斜面を下りる道がついている。
途中崩れている部分もあったりしてコワいけどおっかなびっくり下りてみる。
そしてなぜかイキナリ道が途絶える
もうちょっとだったのにぃ・・・諦めて引き返す。
そこから眺めた幌漁港

2019.04.07 (a) は海保のアプローチの出口から。 (b) は幌漁港から見上げる。
海保のアプローチの途中の薮の中に乗り捨てられた車。一昨年と,今年。気持ちが悪いので近寄りたくない。

先代の雄冬岬灯台については → タンパケトンネルと景観

浜益港防波堤灯台 浜益漁港図 (クリツクしてください)

2017.04.02

2017.09.16

2017.09.16 (西)

2017.11.06 #

2017.11.06 (北)

2017.11.06 (西)

2018.04.02 #

2018.04.02 (西)

2018.04.02 (北)

2018.04.02 (北)

2018.10.09 (西)

2018.10.09 (西)

2018.10.09 (北)

2018.10.09 (北)

2018.10.09

2019.04.03 (西)

2019.04.03 (西)

2019.04.03 (北)

2019.04.03

2019.04.03

着氷実験灯塔(元・石狩川口灯台

2017.11.06

2018.04.02

2018.10.09

2018.10.09

2019.04.03

2019.04.03

前々から浜益港防波堤の先に立つ2基の灯台 - 1基が赤でもう1基が白 - が気になっていた。
”石狩の紅白”に組み込むべきや否や。(それほど大層大袈裟なものでもありませんが・・)
2017.10.22 石狩灯台125周年記念イベントで,海上保安庁により1対の航路標識が展示された。
赤い標識は右舷標識で光も赤,白い標識は左舷標識で光は緑,という。(右舷,左舷は入港する船から見ての右,左)
なるほど。これはやはり”石狩の紅白”に組み込むべきだろう。
浜益港は港口を南側に開いた形の2本の防波堤で囲まれていて,外側の防波堤を北防波堤,内側の防波堤を西防波堤と呼び,それぞれの先端に灯台が立つ。港に入る船から見て外側(左)は白く,内側(右)は白い赤い。

西防波堤灯台 : 初点プレート全景頂部出入口
北防波堤灯台 : 初点プレート全景頂部出入口

2017.04.02 馬雪を見に行って,ふるさと公園から初めて撮ったふたつの灯台のツーショット。
2017.09.16 浜益川第二頭首工へサケ・ウオッチングしたときにもこっそり寄る。ツーショットは残念ながら逆光。
西防波堤灯台はなにやら工事中。穏やかな日だったのに,北防波堤には行かずじまいだったのが惜しまれる。
2017.11.06 この日のメインはふたつの灯台。しかし海は大荒れ。西防波堤を歩いて灯台真下まで接近。
しかし,北防波堤を歩いたらイコール死ぬよ,みたいで諦めた。北防波堤に襲いかかる高波,滝のように流れ落ちる海水
2018.04.02 好天に恵まれて海は穏やか。この機会を逃す手はない。
北防波堤を先端まで歩き北防波堤灯台に到達!ちょっぴりコワかったけどね。
2018.10.09 10/8 灯台150周年に合わせて企画された”石狩灯台スペシャルツアー”に参加した。
そこで,1999年倒壊し廃止された石狩川口灯台が,浜益漁港に移され北海道教育大学による着氷実験に用いられているということを知った。これはじっとしてはいられない。
翌10/9 穏やかな好天。浜益まで走る。灯器は外されているが,旧・川口灯台を確認(浜益漁港図実験灯塔@)。
15mほど離れて別の灯塔が立つ(浜益漁港図実験灯塔A)。表面の素材や塗装を変えて着氷効果の比較をするためだとか。
そうとは知らずに,これらの灯塔はすでに何度か撮っていたのだった。(2017.11.06,2018.04.02 の #-mark にも確認できる)
2019.04.03 馬雪を追ってのこの日,晴天に恵まれ赤白灯台も実験灯塔もいい写真が撮れた(と,思っている)。

灯台はその役割りから,沿岸灯台と,防波堤灯台に分けられる。
沿岸灯台は岬の先端などに立って,沖行く船舶に自らの位置などを知らせることを目的としていて,光達距離は長い。
防波堤灯台は港の防波堤の先(港口)に立って,出入りする船の安全を守ることが目的で,赤白1対で構成される。
石狩市の灯台でいえば,石狩灯台,幌灯台は沿岸灯台で,そのほかの漁港に立つのはすべて防波堤灯台である。
石狩市の漁港(北から,幌,群別,浜益,濃昼,厚田,古潭)は石狩湾に面し,港口はいずれも南側に開いている。
(北隣の増毛町の雄冬漁港は北側に港口を持つが,ここはもはや石狩湾外なので波浪条件などが異なるのだろう)
港口を南に持つと,左舷の防波堤が荒々しい外海に対峙する形になり,一般に白い左舷灯台の方が大きくて威厳がある。
右舷の防波堤は陸側で左舷防波堤に抱きかかえられたような形になり,赤い右舷灯台もまた小さい場合が多い。
そうした中で浜益港については左右が同じくらいがっしりとしていて異色である。
群別漁港(2017.11.09)も左右がほぼ同じ大きさだが,かわいらしい。(2019.04.07)
幌漁港(2017.11.09)ははっきりと白い左側が大きい。(2019.04.07)
かつて漁船だまり(漁港に発展する以前の段階)を”澗”と呼んでいた(船入澗,袋澗など)。
沖に漁に出た船に澗の位置を知らせるために灯されたのが”澗印灯”であり,灯台の走りといえるだろう。
浜益の郷土資料館(2010.04.26)の前には澗印灯が立てられている。
2011.04.09の澗印灯2013.07.10の澗印灯(現在もこのまま)
漁港ではないが,石狩湾新港北防波堤北灯台赤い。北から入港する船舶から見て,北防波堤はは右舷。
よって,赤。納得。(2017.11.13)

石狩湾新港・中央水路奥の導灯

2017.02.01

2017.04.14(前灯)

2017.04.14(後灯)

2017.11.13
石狩湾新港中央水路の最奥から150mほどのところに前灯。さらにその後ろ80mほどに後灯。
花川南の斜め防風林延長上の林の中にあって目につきにくいのだが。
2灯を一対とし,ふたつを一直線上に見る角度で入港すると中央水路の中心を安全に航行できる。
2016年までは意識したことがなかったが,石狩川口灯台が初点当時は導灯であったことから訪ねることになった。
柱状の航路標識(灯竿)であるが,柱は赤白横縞に塗装されていて,ならば立派に”石狩の紅白”の一員として認めざるをえない。

頂部には三角形の頭標が備えられ,その後ろに不動赤光の光源をもつ。
前灯(塔高9.8m)の基部と,背面を見上げる
後灯(塔高14m)の基部と,背面を見上げる

2017.11.13 10/10 無遠慮なデカさのエコ・パワーの風車がいきなり目に入った。そのとき後灯は確認できたが,前灯は遠目では見つからなかった。防風林が葉っぱを落としてようやく前灯もかすかに確認できる。横から見ると,前灯と後灯の高さの違いがよく分かる。

関連ページ : 石狩川口灯台Topics

石狩湾新港・ガントリークレーン

2007.10.28

2008.06.02

2008.09.06

2008.10.17

2009.08.25

2011.06.20

2012.01.01
西埠頭から

2012.01.19
西防砂堤から

2013.08.15
樽川埠頭から

2015.12.09
(a)

2015.12.09
(b)

2016.04.16
朝陽撮りの帰りに

2016.06.01
荷下ろし中

2017.11.13
河口砂嘴先端から

2018.06.16
樽川埠頭から

2020.02.26
冬も仕事中
石狩湾新港管理組合には,花畔埠頭にただ1基あるのみ。

2015.12.09 久しぶり&ふたたび,西埠頭からガントリークレーンの足元から昇る朝陽を撮る(a)。
その10分後,中央水路の奥から(b)。マイナス4℃。指先シバレる。
2017.11.13 早朝の河口砂嘴先端。先に巨大な2基の風車が目にとまる。
ガントリークレーンはオマケみたい。でもここでは主役だ。風車に負けるな。
背後,左後ろは手稲山。大観覧車も見える。

ガントリークレーン増設 (2020年7月)

2020.07.05-a

2020.07.05-b

2020.07.09-a

2020.07.09-b

2020.07.09-c

2020.07.09-d

2020.07.18-a
2020.07.18-b
2020.07.05 2基めのクレーン(まだ台船に載せられている),大分からはるばる入港。
樽川埠頭から(a),および中央水路最奥から(b)撮る。
翌6日,埠頭への設置作業が行われた(けど,私にはなんの挨拶もないので見逃した)。5時間かかったのだと。
2020.07.09
(a) 設置完了後の花畔埠頭船溜まりから。手前の1基めの後ろになって2基めの肩身が狭い。
(b) 中央水路対岸の樽川埠頭から。左が1基め,右が2基め。
(c) 中央水路最奥からの1基め。
(d) 同じく2基め。
2020.07.18
(a) 中央水路最奥から。2基めの調整中か?
(b) 銭函,ドリームビーチ最寄りの砂丘上から遠望

親船町の民家の煙突

2010.10.28

2012.04.21
ごくフツーの民家だと思うのだが,その集合煙突がミニ灯台風で,車で走っていてもとってもよく目立つ。
隣にあるトンガリ頭の石碑は「馬頭観世音」。そのすぐ脇に「殉国軍馬霊」の碑も並んでいる。
開拓期の農耕や荷運びに欠かせない存在だった馬たちに感謝し,慰霊,供養するために建てられた馬頭観世音の石碑は石狩市内でもそこここに見られる。
そうした開拓の友だった農耕馬さえも,戦争に徴用され犠牲となった歴史をあらためて思い知らされる。

八幡町の小型風車

2011.02.28

2011.03.16

2011.08.17

2011.08.24

2012.07.14

2012.07.19

2013.02.25

2013.08.12 (a)

2013.09.12 (b)

2013.11.24 (c)

2013.12.27 (d)
紅白の縞模様といっても,縦縞ばかりではない。
横縞の紅白といえばコレ。
そしてコチラもどうぞ。

2013.12.27
最近石狩川左岸河口を歩いていて,対岸(八幡町)の風景がいまいち物足りない。なにかが欠けているのだ。(c)
それを確かめるべく八幡町をたずねた。
紅白縞模様の小型風車が姿を消していた。(d)
(a) が,川越しに撮った最後の姿,
(b) が,間近で撮った最後の姿,となった。

動く紅白

船なんだから動く。やがて去っていく。
こんなド派手な縞模様はなにかの作業船に間違いない。
とはいえ,これらの船がどんな仕事をするのかは,自分にはさっぱりわからない。
わからないけど,目に付く限りここに貼り付けてみることにする。

どの作業船にも備えられている複数の紅白縞模様の長い棒?柱?は,スパッド(Spad)と呼ばれる装置で,日本語で「保持脚」 つまり,船や浮き桟橋などの水平位置を固定する、海底まで届く柱だということである。な・る・ほ・ど

勇進丸 (勇建設)

"いさみ号"の名も
2012.10.12 花畔埠頭 後方ガントリークレーンとのツーショット。
2013.08.12 東埠頭 左後方の2隻はタグボート(OFUYU, SOHYA)。
LNGの大型タンカーが寄港するようになって,この船溜には常時3隻のタグボートが警戒船とともに待機している。(もう1隻はKAMUI)

2012.10.12
花畔埠頭

2013.08.12
東埠頭

KSC-K75 (あおみ建設)

SCP船
北防波堤でしばらく作業していたようだ。
2013.08.15 花畔埠頭に停泊中を対岸・樽川埠頭から撮る。
当初船名がわからなかったが,"KSC-K75"と判明。
海底での地盤改良作業を行うSCP(サンドコンパクション)船ということである。
船橋付近にはイラストが賑やか

2013.06.10
花畔埠頭

2013.06.23
東埠頭先北防波堤

2013.08.05
西埠頭

2013.08.15
花畔埠頭

2014.06.03
西埠頭

2016.06.01
西埠頭

第3石狩号 (ハヤカワ建設) あまり近寄れないのでなにをしているのか分からないが,いつも大きなクレーンとともに作業をしている。
また,なぜか"第3石狩丸"が寄り添っている。押船なのかな?

2013.08.05
東埠頭

2013.10.15
東埠頭

2014.04.01
東埠頭

2016.03.27
東埠頭

2017.05.09
東埠頭

2018.08.22
東埠頭

2020.07.09
花畔埠頭

若竹号 (ハヤカワ建設)

"第26若竹丸"の名も
クレーン作業船。
訊ねたところ,クレーンの吊能力は170トンとのこと。
どうやら"第26若竹丸"は押船ということらしい。
5/29には埠頭船溜に戻ってくる途中の姿をとらえた。

2015.05.28
東埠頭

2015.05.29
東埠頭

2017.05.19
東埠頭

2017.08.05
東埠頭

2019.09.02
東埠頭

第36西村号 (西村組) 会社の資料によると,
『北の海で貢献する最先端技術を駆使した関東以北最大級の25m3砕岩浚渫船 兼415ton吊起重機船』
かなりデカイ。

2015.05.28
東埠頭

一栄号 (ハヤカワ建設)

"ハヤカワ丸"の名も
クレーン作業船。
石狩河口橋の橋脚補修工事に携わっているようだ。
赤白縞模様のスパッドは押し下げられて河床まで届いていると思われる。
ハヤカワ丸は押船らしい。

2015.12.22
石狩河口橋下

2015.12.22
石狩河口橋下

2016.03.27
東埠頭

2017.05.09
東埠頭

2018.01.09
古潭漁港

2018.03.21
古潭漁港

2018.10.05
石狩川を遡上

2018.12.16
新石狩大橋工事

2019.01.28
今年も古潭漁港

2020.01.11
今年も古潭漁港
2016.03.27 石狩河口橋下には一栄号の姿はなく穏やかな水面だった。
2018年冬,しばらく古潭漁港の浚渫工事に従事していたようだ。
2018.10.05 曳き船,押し船の助けで河口を遡る。スパッドは外されているようだ。八幡町から。金龍寺の屋根が見える。
2018.12.16 10/5曳航されていた一栄号を新石狩大橋工事現場で発見。神出鬼没な船だ。つまり,働きものなのかな?

第16堀松号 (堀松建設工業) 浚渫作業などに従事する大型押航式多目的作業船とのこと。
クレーンの吊能力は300ton。
樽川埠頭に停泊中。

2016.06.01
花畔埠頭側から

2016.06.01
金網越しに

第18堀松号 (堀松建設工業)

"第21堀松丸"の名も
浚渫,捨石作業船

2017.07.21

2017.08.05

2017.08.05

PIONEER 30 FUDO (不動テトラ)

SCP船
ぱいおにあ第30フドウ丸。
2018.06.16 樽川埠頭に停泊中。
KSC-K75 と同様,SCP(サンドコンパクション)船である。

2018.06.16
樽川埠頭

2018.06.16
樽川埠頭

2018.06.16
花畔埠頭から

2018.06.16
新港西防波堤から

第8まさむね号 (ハヤカワ建設)
クレーン作業船。
横からでは船名が見えないが,訊ねたところ"第8まさむね号"とのこと。
今年になって紅白のスパッドが装備されたということで,晴れて"石狩の紅白"に仲間入り。
2018.06.16 11時前には中央水路にいたが,12時過ぎには東埠頭に停泊していた。
2018.09.05 横に大きく船名が入っているのを確認。

2018.06.16
中央水路出口

2018.06.16
東埠頭

2018.09.05
東埠頭

石狩消防署石狩湾新港支署

2014.07.13

2014.08.31

2016.03.27
ちょっと風変わりな”紅白”。
赤い線,赤い丸がなにを意味しているのかいまのところ不明。
防災広場支署庁舎全景と,海側の隣に小高い山(築山)が造られている。高さ7m(海抜15m)。津波がきたらこの山に逃げろっ!?
この消防署では,大型高所放水車,化学消防車などを配備するという。
親船支署機能を移転し,2014年9月1日から運用開始とのこと。 (8/7 移転完了,親船支署は閉署)

その後わかったこと。(2014.07.21)
この赤丸などは,消防救助技術における陸上の部の訓練種目のひとつ”引揚救助”で使われるものらしい。
搭上から塔下にロープで降りる時に,足の運びの正確さを判定するためのもの,とか。
すると左のはしご,右の15mの目盛も,それぞれ”はしご登はん”,”ロープ応用登はん”などの訓練に用いるためのものだろう。
[Tさん,情報の提供,ありがとうございます]

報道によれば(2014.08.30),庁舎では2階屋上(海抜17.3m),バルコニー(海抜24.4m)などで合わせて490人,築山(海抜15m)では1150人の避難が可能ということらしい。
8/26公表された日本海側の津波の政府推計によれば,石狩における津波の高さは,海岸線で最大9.9m,海岸から200m離れた平地で最大4.8m。
海岸からおよそ1.5km離れている防災ひろばそのものが盛り土により海抜8mにかさ上げされているということなので,計算上は庁舎や築山に上らなくても広場に辿り着けばほぼセーフということなのかもしれない。後は時間との戦いということだろう。

あらためて行ってみると,防災ひろばの片隅に石碑が建っている。かつて公民館分館脇に建っていた「志美小学校記念の碑」(志美小学校はここにあった))がこちらに移設されたらしい。もとあったところにはいまはない

2014.11.01 大きな看板「津波避難場所」が掲げられているのが目に留まった。
2015.04.09 どうやら防災ひろばのグランドレベルは6.5mにも満たないらしい。

2016.03.27 ドクターヘリもまた紅白。赤い消防車,白い救急車などと馴染んでいる。
任務を終えて飛び立ったらしいヘリ,すぐ近くの札幌市消防局石狩ヘリポートへ向かったのだろうと思ったが,行ってみるとそこにいたのは防災ヘリ”さっぽろ”だった。
(ドクターヘリは手稲渓仁会病院屋上に待機していて,この支署までなら10分以内に飛んでくるらしい)